「新進気鋭」のプロデューサーは当時からすでに有名だった。が、有名だったのはミュージシャンとしてで、プロデューサーとしてのキャリアは浅かったのかもしれない。映画音楽やCM音楽、アルバムのプロデュースとなんでもしていた。物静かでとても紳士的だった。新人の我々に対しても、決して親分風を吹かせるようなことはなかった。また、我々の音楽を非常に高く評価してくれた。お世辞だとしても、高校の頃から知っている憧れの人に評価してもらった、ということはとてもうれしいことである。バンドやっててよかったと思える瞬間だ。出来上がったアルバムも、「とてもいいものができた」と言ってくれた。ほんとうにうれしかった。
「ゆうげん」の歌詞を「このままでよい」と進言してくれたのも、プロデューサーである。
藤沢はその後、このプロデューサーの事務所で何年か働くことになる。そこでレコーディング、エンジニアリングを学び、アレンジや演奏を学び、サックスを吹くまでになるのである。
「ゆうげん」の歌詞を「このままでよい」と進言してくれたのも、プロデューサーである。
藤沢はその後、このプロデューサーの事務所で何年か働くことになる。そこでレコーディング、エンジニアリングを学び、アレンジや演奏を学び、サックスを吹くまでになるのである。
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