私は家庭造りに失敗した人間である。
家族からは毒虫のように嫌われている。
だが、2006年当時はまだ子供たちも小さく良好な関係を築けていた。
11,12歳だった長女はすでに関係が崩壊しつつあったが、次女と長男はまだ
父親にやさしかった。二人をつれて西武ドームに観戦に行った。
2007年が開幕した頃だったと思う。大人のファンクラブ会員にも1回の入場券が
もらえ、子供は全試合無料だったので、チケットも買わずに現地に到着すると
なんと満員、チケット完売だった。満員の時はファンクラブチケットでは入場できない。
はるばる所沢まで来たのに、入れないのか、、と途方に暮れていると、偶然にも
顔見知りの球団職員と遭遇した。ご挨拶をして、どうしたのかと聞かれたので、
満員で入れないのです、と答えると、ちょっと待っててと言われ、スタッフパスを
もらえた。
西武ライオンズとの仕事は残念なことばかりだったが、この時は担当して
よかったと思った。Mさんその節はありがとうございました。
初めてプロ野球を体験した子供たちは大喜びで、その後長男は熱狂的な
ライオンズファンに育っていく。ファンクラブ会員も中学3年まで続けた。
2008年は久々のペナントレース優勝、日本一となりとてもよいシーズンだった。
奇しくもこの年は80年代、90年代の黄金期の立役者、清原和博が引退した年で
(所属チームはオリックス)息子に
「この偉大な選手を現役で見られたということは、幸せなことだぞ」と、
言ってやったが、8歳の子供が覚えているだろうか。
現在、女房と娘たちとは「ほぼ会話ゼロ」の状態が続いているが、
息子とのライオンズ及び野球の会話はかろうじて成立している。
また、毎年何試合かは西武ドームで観戦もしている。
かすかに親子の絆を保てている、ような気がする。
これも西武ライオンズのおかけである。
おわり
家族からは毒虫のように嫌われている。
だが、2006年当時はまだ子供たちも小さく良好な関係を築けていた。
11,12歳だった長女はすでに関係が崩壊しつつあったが、次女と長男はまだ
父親にやさしかった。二人をつれて西武ドームに観戦に行った。
2007年が開幕した頃だったと思う。大人のファンクラブ会員にも1回の入場券が
もらえ、子供は全試合無料だったので、チケットも買わずに現地に到着すると
なんと満員、チケット完売だった。満員の時はファンクラブチケットでは入場できない。
はるばる所沢まで来たのに、入れないのか、、と途方に暮れていると、偶然にも
顔見知りの球団職員と遭遇した。ご挨拶をして、どうしたのかと聞かれたので、
満員で入れないのです、と答えると、ちょっと待っててと言われ、スタッフパスを
もらえた。
西武ライオンズとの仕事は残念なことばかりだったが、この時は担当して
よかったと思った。Mさんその節はありがとうございました。
初めてプロ野球を体験した子供たちは大喜びで、その後長男は熱狂的な
ライオンズファンに育っていく。ファンクラブ会員も中学3年まで続けた。
2008年は久々のペナントレース優勝、日本一となりとてもよいシーズンだった。
奇しくもこの年は80年代、90年代の黄金期の立役者、清原和博が引退した年で
(所属チームはオリックス)息子に
「この偉大な選手を現役で見られたということは、幸せなことだぞ」と、
言ってやったが、8歳の子供が覚えているだろうか。
現在、女房と娘たちとは「ほぼ会話ゼロ」の状態が続いているが、
息子とのライオンズ及び野球の会話はかろうじて成立している。
また、毎年何試合かは西武ドームで観戦もしている。
かすかに親子の絆を保てている、ような気がする。
これも西武ライオンズのおかけである。
おわり