鉄卓のブログ「きままに」

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第9回北九州無法松ツーデーマーチ2日目も40Kコースに参加

2015-10-01 | JWAウォーキング
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9月27日(日)

無法松ツーデーマーチ2日目も40Kコースに参加。
今日は昨日のとは違い、いつもの和やかな雰囲気になっている
参加者数は昨日より少ないようだ。(ゴール後判明1、282人)




昨日は門司方面だったが、今日は八幡・若松へ。
スタートして高見神社を目指す。
しばらくはJR九州ウォーキングでのお知り合いお二人と歩く。
旧九州鉄道大蔵線茶屋町橋梁跡を通る。橋は、明治24(1891)年4月に開通した旧九州鉄道大蔵線の橋梁として構築された。鉄道会社は海側を走らせる計画で申請したが清国から攻撃を憂慮した陸軍が反対し内陸部を通る路線として開通した。その後、海側にも官営製鉄所が計画され路線が出来て、明治44年に廃線となった。


(大蔵線茶屋町橋梁跡)

高見の高級な住宅街と板櫃川沿いを歩いて、最初のチェックポイント高見神社へ。
高見神社でバナナをいただく。
トイレに並んでいる間にお二人に後れをとる。


(板櫃川沿いから皿倉山)


(高見神社)

しばらく歩くと、スペースワールド、東田高炉記念公園の横を通る。
東田高炉は明治34(1901)年、官営製鉄所として初めて火入れがされた高炉である。戦後、八幡製鉄所は中国大陸から北米大陸に輸出の重点を移していく。主力の生産地点を千葉県の君津に移していく。
空いた土地に出来たのがテーマパークスペースワールド。この地に来て、スペースシャトルと東田高炉を見ると似ているといつも思う。製鉄マンがスペースシャトルをメインにテーマパークを作った気持ちがわかるような気がする。


(スペースワールド)


(東田高炉)

旧長崎街道の黒崎商店街を通って、曲里松並木公園のチェックポイントへ。
曲里松並木は旧長崎街道の姿が約600mそのまま残っている。


(JR鹿児島本線)


(黒崎の商店街)


(商店街で)


(曲里松並木)


(曲里松並木)

しばらく行って、皇后崎公園の中を歩く。
公園の木立の中を歩くのは気持がいい。写真は撮らずに、空気もいっぱい吸い込み歩くのに専念する。

筑豊電鉄の踏切を渡り、JR鹿児島本線の線路下をくぐり工場地帯の方へ出る。私にとっては未知の道。皇后崎浄化センターの長い壁沿いを歩く。左手はJRの線路。ソニックやきらめきの特急も通過するがカメラはポケットに入れていて撮るのには間に合わない。いつもは列車から眺めるだけの所だが、これからは、ここ歩いた、と思い出しながら見ることになるだろうと思いつつ歩く。
塀の終わりのところに陣原駅があった。いつも通過するだけで駅を見たのは初めて。


(ここは工場地帯)


(陣原駅)

そこからは多分西の方へ。新々堀川のゆうじょう橋を渡ったところでチェックポイント。先行するお二人の姿は見えない。ドンドン引き離されたかどうかは見えないので分からない。


(新々堀川)

このあたりは土地勘がないので方角もよく分からない。時々見える皿倉山を見て、大体の方角の見当をつける。
本城橋の交差点からしばらくして、奥洞海緑地へ入る。先行するお二人に少しでも近づこうと急ぐ。緑地を抜けて奥洞海橋を渡る。潜水艦かな、見える。


(本城橋交差点から皿倉山)


(奥洞海緑地)


(洞海湾から皿倉山)


(潜水艦解体中?)


橋を渡ったところからは二島緑道。今日は緑の中を写真も撮らずに気持ちよく歩くことが多い。


(二島緑地から皿倉山)


(二島緑地)

緑道を抜けしばらく平坦な道を歩き、山手の住宅地、旧唐津街道へ。ここからが大変な道を歩くことに。上ったと思えば下り、下ったら上りの繰り返し、時々カーブを曲がる。まるでジェットコースターのようである。ジェットコースターは、私は楽しくないが、乗れば楽しい人が多いと思う。けどこの道は厳しい。


(若松旧唐津街道から皿倉山)


(赤島町東公園給水地)


(若松旧唐津街道から皿倉山)

やっと平坦な道に出て、久岐の浜の陸橋を渡ったところで地元の人から、40K歩くの頑張って、と声をかけられる。SLがある若松駅横の久岐の浜広場チェックポイントへ。久岐の浜は旧若松駅の構内が広場などになっている。若松駅は昭和20年代は石炭の積み出しで賑わい貨物取扱日本一の駅だった。


(久岐の浜の陸橋から)


(若戸大橋)

若松から戸畑へは若戸大橋の下を若戸渡船で渡る。料金100円のところウォーキング参加者は無料だった。若戸大橋は昭和37(1962)年に開通し、当時は東洋一の吊り橋であった。


(渡船から皿倉山)


(若戸大橋の下をいく)

戸畑への5分弱の船旅も終り、ゴール後のビールと帰る時間のことで頭の中はいっぱいになる。気は焦る。
八幡製鐵所の、戸畑地区と八幡地区を結ぶための専用鉄道くろがね線の上を通る。
歩いているところの住所が戸畑区から小倉北区に変わる。小倉北区の住所もゴールに近くなる。もう少し。と、ある立札が気にかかる。きんたま坂?


(くろがね線)


(???)


町の名前が変わる度にゴール間近を思わせる。室町の旧長崎街道を通って常盤橋へ。
常盤橋は、紫側に架かる長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の「小倉の五街道」の起点の橋である。
小倉井筒屋を左手に紫川を上ってようやく勝山公園にゴール。
足よ2日間ご苦労さん。


(常盤橋)


(小倉井筒屋付近)


(ゴール)

今日もたくさんのいただき物。リュックも重くなる。
JRのスタンプも押してもらって、ビール。
予定の時間に帰路に着くことができた。

スタッフの皆さんには2日間お世話になりました。
ありがとうございました。きつかったけど楽しいウォーキングでした。


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2 コメント

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お疲れ様でした (みきてぃ)
2015-10-01 12:44:13
たまたま坂の、由来はやはり男性には辛そうな事件から名付けられた説もあり笑
でもあるかないとなかなかこんな由来もみれませんね(≧∇≦)
来年も10kmで行こーかな
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みきてぃさんへ (鉄卓)
2015-10-01 13:04:02
坂には地蔵様が祀って有ったことからすると、人が亡くなった③が一番ありそうです。①と②はあとからつけられた話のような気がします。
http://www.kitakyushu-museum.jp/resources/1980
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