2019年5月10日(金)
今日は、熊本県八代市で開催の「九州国際スリーデーマーチ2019」の1日目20キロ「水島・万葉の里コース」に参加。
スタート・ゴールは八代駅から歩いて15分程、球磨川に架かる新萩原橋を渡ったところの球磨川河川緑地。
急な参加で、当日受付をすませる。
JWA(日本ウォーキング協会)のウォーキングに参加するのも久しぶり。会場に着いたときは、出発式が始まっていて、参加者も国際色豊か。外国から参加の3名のウォーカーによる「エィ・エィ・オー」でスタート。
(出発式)
球磨川沿いを上流にしばらく歩いて、南九州西回り自動車道側道の道へ。
(道沿いで)
(道沿いで)
「九州国際スリーデーマーチ」は5月の連休が終わった後の金土日の3日間毎年開催される。参加する度に山々の緑が深くなりつつあるのを感じる。それだけに暑い。
(山の緑)
小学生の頃に、住んでいる熊本県について勉強があった。習った八代市は熊本県随一の工業都市。高校の時、初めて八代駅に降りた。その時、これが工業都市かと思う異様な臭いは忘れられない。今では、工場も減って、空気もきれいになっている。
(工業都市の面影も残る)
南九州西回り自動車道側道を歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
熊本県指定史跡「平山瓦窯跡」は、南九州西回り自動車道建設の調査で発掘され、設計が変更され保存されている。
八代は、南北朝時代に古麓城、安土桃山時代に麦島城、江戸時代に現在地の八代城が建てられている。平山瓦窯は、小西行長の時代に建てられた麦島城の瓦を焼く窯とし造られた。
(平山瓦窯跡、通称「だるま窯」)
(道沿いで)
国道に出る。八代南IC近くの案内板では、地震があったようだが、鈍感な躰は感知せず。八代の震度が「3」だったのは後から知る。
(八代南IC近くで)
(道沿いで)
国道から右折。「八代ふる里物産村」からは田植え前の田、麦が実った田、トマトのハウスなどの中を歩く。
(八代ふる里物産村)
(い草?)
熊本県は、八代、水俣・芦北、人吉・球磨の県南地域の豊富な農林水産物を活かし、食関連の研究開発機能や企業を集積させる「フードバレー」を形成することにより県南地域の活性化を目指している。八代市は、工業都市からフードバレーの中核市へと発展していこうとしている。
(畑やハウスを眺めながら)
(ハウスの中のトマト)
(麦畑)
(道沿いで)
(川沿いに)
(道沿いで)
枯れても力強く。歩こう。
(道沿いで)
半分歩いた。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
流藻川沿いを歩く。
(流藻川)
(流藻川)
(流藻川)
4年前歩いたときもこの花を撮った記憶が。
(道沿いで)
(空を見上げると暑い)
(ハウスの中)
八代海に出た。みんな写真を撮りだした。
(八代海)
(遠くに雲仙の山並み)
海沿いを歩く。
(海沿いを)
万葉の里公園が第2チェックポイント。トマトが美味しい。
(万葉の里公園)
(トマトをいただく)
9年前、万葉集に関する本を読んでいたら八代市に万葉集で詠まれている地「水島」があることを知った。
場所を知りたくネットで検索していたら、「水島」に行くウォーキングがあるらしい。詳しく調べて、「九州国際スリーデーマーチ」の20Kコースで「水島」に行けることが判る。
早速、申込みをして参加した。ウォーキングを始めたのが、その前の年の秋だったので、20K歩くのに不安はあったけど、「水島に行こう。」が勝った。ウォーキング協会なるものがあるのもその時初めて知った。
万葉の里公園に万葉集巻三245の碑「如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋」が建っている。
長田王の筑紫に遣わされて水島に渡りし時の歌2首の一つで、
読み下し文は、「聞くが如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島」、
口訳は、「聞いているとおりに、まことに貴く、ふしぎにも神々しくあることよ。この、水島よ」。
(如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋)
日本書紀巻第七に景行天皇が「海路から葦北の小島に泊まり、食事をされた。そのとき、山部阿弭古の祖である小左をよんで冷たい水を献上させた。このとき島の中に水がなかったので、致し方なく天を仰いで、天神地祇に祈った。するとたちまち冷たい水が、崖のそばから湧いてきた。それを汲んで献上した。それでその島を名づけて水島といった。」と書かれている。
万葉集巻三245は、長田王がそのことを想い詠った1首。
(水島)
(水島)
このあたりは江戸時代に干拓されて今では海岸から直ぐのところに水島がある。
万葉史跡水島説明板には、「江戸時代末の天保14年(1843)、水島新地が築造される際、水島は干拓地に取り込まれる計画でしたが、万葉の古蹟が失われるのを憂慮した国学者和田厳足の建議により、計画が変更されたことは、文化財保護の先駆けと言えます。」と記されている。
(八代海)
八代海から、球磨川沿いを歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いから金剛歩道橋)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
川沿いの道から下りて、球磨川河川敷の遊歩道を歩く。
(遊歩道)
9年前、ゴールまで後2キロ位の地点で不安が的中した。歩けなくなった。足に豆が出来て痛い。しばらく休んで、足を引きずりながら歩き出した。
今日はまだ軽快。
(球磨川)
その時のことを思い出しながら、ゴール。
ゴール後は、日奈久のサラダちくわと五家荘のイモ天でビール。
明日は起きれたら20Kを歩こう。
《参考本》
中西進『万葉集 全訳注原文付(一)』)講談社文庫、昭和62年第10刷
宇治谷孟『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫、1992年第11刷
今日は、熊本県八代市で開催の「九州国際スリーデーマーチ2019」の1日目20キロ「水島・万葉の里コース」に参加。
スタート・ゴールは八代駅から歩いて15分程、球磨川に架かる新萩原橋を渡ったところの球磨川河川緑地。
急な参加で、当日受付をすませる。
JWA(日本ウォーキング協会)のウォーキングに参加するのも久しぶり。会場に着いたときは、出発式が始まっていて、参加者も国際色豊か。外国から参加の3名のウォーカーによる「エィ・エィ・オー」でスタート。
(出発式)
球磨川沿いを上流にしばらく歩いて、南九州西回り自動車道側道の道へ。
(道沿いで)
(道沿いで)
「九州国際スリーデーマーチ」は5月の連休が終わった後の金土日の3日間毎年開催される。参加する度に山々の緑が深くなりつつあるのを感じる。それだけに暑い。
(山の緑)
小学生の頃に、住んでいる熊本県について勉強があった。習った八代市は熊本県随一の工業都市。高校の時、初めて八代駅に降りた。その時、これが工業都市かと思う異様な臭いは忘れられない。今では、工場も減って、空気もきれいになっている。
(工業都市の面影も残る)
南九州西回り自動車道側道を歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
熊本県指定史跡「平山瓦窯跡」は、南九州西回り自動車道建設の調査で発掘され、設計が変更され保存されている。
八代は、南北朝時代に古麓城、安土桃山時代に麦島城、江戸時代に現在地の八代城が建てられている。平山瓦窯は、小西行長の時代に建てられた麦島城の瓦を焼く窯とし造られた。
(平山瓦窯跡、通称「だるま窯」)
(道沿いで)
国道に出る。八代南IC近くの案内板では、地震があったようだが、鈍感な躰は感知せず。八代の震度が「3」だったのは後から知る。
(八代南IC近くで)
(道沿いで)
国道から右折。「八代ふる里物産村」からは田植え前の田、麦が実った田、トマトのハウスなどの中を歩く。
(八代ふる里物産村)
(い草?)
熊本県は、八代、水俣・芦北、人吉・球磨の県南地域の豊富な農林水産物を活かし、食関連の研究開発機能や企業を集積させる「フードバレー」を形成することにより県南地域の活性化を目指している。八代市は、工業都市からフードバレーの中核市へと発展していこうとしている。
(畑やハウスを眺めながら)
(ハウスの中のトマト)
(麦畑)
(道沿いで)
(川沿いに)
(道沿いで)
枯れても力強く。歩こう。
(道沿いで)
半分歩いた。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
流藻川沿いを歩く。
(流藻川)
(流藻川)
(流藻川)
4年前歩いたときもこの花を撮った記憶が。
(道沿いで)
(空を見上げると暑い)
(ハウスの中)
八代海に出た。みんな写真を撮りだした。
(八代海)
(遠くに雲仙の山並み)
海沿いを歩く。
(海沿いを)
万葉の里公園が第2チェックポイント。トマトが美味しい。
(万葉の里公園)
(トマトをいただく)
9年前、万葉集に関する本を読んでいたら八代市に万葉集で詠まれている地「水島」があることを知った。
場所を知りたくネットで検索していたら、「水島」に行くウォーキングがあるらしい。詳しく調べて、「九州国際スリーデーマーチ」の20Kコースで「水島」に行けることが判る。
早速、申込みをして参加した。ウォーキングを始めたのが、その前の年の秋だったので、20K歩くのに不安はあったけど、「水島に行こう。」が勝った。ウォーキング協会なるものがあるのもその時初めて知った。
万葉の里公園に万葉集巻三245の碑「如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋」が建っている。
長田王の筑紫に遣わされて水島に渡りし時の歌2首の一つで、
読み下し文は、「聞くが如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島」、
口訳は、「聞いているとおりに、まことに貴く、ふしぎにも神々しくあることよ。この、水島よ」。
(如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋)
日本書紀巻第七に景行天皇が「海路から葦北の小島に泊まり、食事をされた。そのとき、山部阿弭古の祖である小左をよんで冷たい水を献上させた。このとき島の中に水がなかったので、致し方なく天を仰いで、天神地祇に祈った。するとたちまち冷たい水が、崖のそばから湧いてきた。それを汲んで献上した。それでその島を名づけて水島といった。」と書かれている。
万葉集巻三245は、長田王がそのことを想い詠った1首。
(水島)
(水島)
このあたりは江戸時代に干拓されて今では海岸から直ぐのところに水島がある。
万葉史跡水島説明板には、「江戸時代末の天保14年(1843)、水島新地が築造される際、水島は干拓地に取り込まれる計画でしたが、万葉の古蹟が失われるのを憂慮した国学者和田厳足の建議により、計画が変更されたことは、文化財保護の先駆けと言えます。」と記されている。
(八代海)
八代海から、球磨川沿いを歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いから金剛歩道橋)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
川沿いの道から下りて、球磨川河川敷の遊歩道を歩く。
(遊歩道)
9年前、ゴールまで後2キロ位の地点で不安が的中した。歩けなくなった。足に豆が出来て痛い。しばらく休んで、足を引きずりながら歩き出した。
今日はまだ軽快。
(球磨川)
その時のことを思い出しながら、ゴール。
ゴール後は、日奈久のサラダちくわと五家荘のイモ天でビール。
明日は起きれたら20Kを歩こう。
《参考本》
中西進『万葉集 全訳注原文付(一)』)講談社文庫、昭和62年第10刷
宇治谷孟『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫、1992年第11刷
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