鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

「装飾古墳室(熊本県立美術館)」へ行った【熊本の話題】

2020-06-29 | 熊本の話題
2020年6月24日(水)

熊本県立美術館が、熊本城二の丸広場の西側に緑の木々に覆われるようにして佇んでいます。
前川國男によって設計され、代表作の一つとして数えられています。
傾斜や楠などの木々を意識して設計されているようで、美術の鑑賞だけでなく、心地よい空間を感じることができます。





玄関ホールに入って、ロビーから階段を下ると1階展示室、階段を上ると2階展示室となっています。
階段を下ると1階展示室と反対の方に、装飾古墳(そうしょくこふん)を常設展示する、「装飾古墳室」があります。
観覧料は無料です。





室内に入ってすぐに装飾古墳の説明があり、装飾古墳の文様としては、
(1)幾何学的な文様(円文、同心円文、三角文、直弧文など)、
(2)器財器物文様(靫、盾、弓などの武器武具や舟や家屋など)、
(3)人物鳥獣文様(人物、馬、鹿、鳥など)
などが代表的なものとして挙げられています。
ひとつの古墳に各種の文様が描かれている場合も多く見られるということです。

古墳の壁画や出土物の精巧なレプリ力や実物が展示してあります。

◆鍋田横穴(なべたよこあな)(第27号) 7世紀 山鹿市
「横穴の出入り口を守護するかのように、人物と武器類が浮彫されています。中央の大きな靫(ゆぎ)を中心に、さまざまなものを配置した構成が見事です。県内の装飾古墳のなかでもっともすぐれた浮彫の一つです。」(靫・・・背に負う矢筒)

それぞれの古墳には、写真右下のように説明のパネルが設置してあります。「」の中はその一部からで、古墳、文様、装飾などについて、詳しい説明をしてあります。



◆チブサン古墳 6世紀 山鹿市
「奥壁中央の菱形文に円文を配置した図柄は、人の顔にも乳房にも見える不思議な文様です。チブサンの名は、付近の人々がこれを乳房と見て、母乳が豊かに出るように祈ったことに由来します。我が国の代表的な装飾古墳のひとつです。」





◆千金甲(せごんこう)1号(甲号)古墳 5世紀 熊本市
「同心円や靫などの彫刻や、赤・緑・黄などの彩色がよく残っている、はなやかな装飾古墳のひとつです。靫は、その霊力によって古墳を守るという意味かもしれません。」

◆翳(さしば)・蓋(きぬがさ)・靫(ゆぎ) 姫ノ城古墳 6世紀 八代市竜北町
「阿蘇凝灰岩で作った石製表飾品は、石人・石馬とも称され、古代九州を代表する遺物です。筑紫君磐井に関係するものとして知られています。熊本県下では10ケ所で出土しており、姫ノ城古墳は、その分布の南限です。」

◆広浦(ひろうら)古墳石棺財 広浦古墳 4世紀末頃 上天草市
「石棺の内側に浮彫で刀やあぶみ、鏡、刀子などが表現されています。初期の装飾古墳の一つで、被葬者に対する副葬品の意味を込めて彫られたと考えられます。」



◆鴨籠(かもご)古墳石棺 鴨籠古墳 5世紀 宇城市
「この石棺は、棺の上蓋も身も阿蘇凝灰岩をくり抜いて造ったもので、蓋には直弧文などが線刻されています。九州の装飾古墳としては初期に属します。」



◆弁慶ヶ穴(べんけいがあな)古墳 6世紀 山鹿市
「横穴式石室の壁に、赤・白・灰の顔料(岩絵具)を用いて、幾何学文や舟・馬・人物などが描かれています。ことに舟と馬は数も多く、古墳の主と舟・馬とのかかわりが注目されます。」

◆臼塚石人(うすづかせきじん) 臼塚古墳 6世紀 山鹿市
「臼塚古墳の墳頂に立っていた石人です。古墳に立てられた石人・石馬・石製品は、北九州を中心に26ヶ所から発見され、そのうち石人は15ヶ所あります。頭部を失っているものの、この石人は彫刻としてもっともすぐれたものです。」



◆井寺(いでら)古墳 6世紀 上益城郡嘉島町
「古墳時代の代表的文様である直弧文(直線と弧線を組み合わせて作る文様)。この名称は本古墳の装飾文様から始まり、全国的に広まり定着したものです。薄れてはいますが、直線と弧線で区切られた部分が、赤・白・緑でこまかく塗り分けられています。」



◆大村(おおむら)横穴群(第11号) 6世紀後半 人吉市
「横穴の入り口を守護するかのように、靫などの武具類を浮彫しています。装飾古墳としては最南端に位置しています。球磨川を代表する装飾横穴墓です。」

写真が無いものもありました。すみません。

「いろいな装飾文様」、「全国の装飾古墳」、「九州の装飾古墳」のパネルもあり、装飾古墳について学ぶことができます。



例えば、井寺古墳の直弧文については写真のような説明がされています。



井寺古墳は熊本地震の震源地近くにあり、大きな損傷を受けています。その他の古墳も大きな損傷を受けています。
古墳をもとの姿に戻すにはノウハウも乏しく、技術的な問題が山積していると思います。

装飾古墳は4世紀末頃から7世紀頃まで造られており、全国に約700基、そのうち約200基が熊本県内にあります。

梅原猛、岡本太郎など、装飾古墳から古代の人々の美の力に魅せられた人たちはたくさんいます。

高松塚古墳が古墳の壁画としてはもっとも有名ですが、九州の装飾古墳は、高松塚古墳のように大陸の影響を受けたものとは全く違うものだと思います。
九州の装飾古墳には、土着の人々の息遣いや精神を感じます。

縄文時代の土器や土偶などに表現されている息遣いや精神から引き継いだものを感じます。縄文の遺跡巡りをして、そのことを強く感じるようになりました。

照明を落とした「装飾古墳室」を出て、階段を上がると、鮮やかな緑が目を癒してくれます。



美術館の敷地入り口(一番上の写真右下)から見える熊本城です。



熊本城は「特別見学通路」が出来、特別公開されています。1つ前のブログに書いています。
「装飾古墳室」に熊本城とともに訪れる人が増えればいいなあと思います。

熊本地震から4年が過ぎましたが、熊本城の復旧だけでなく、古墳・装飾古墳の復旧にも関心を持つ人が増えることを願っています。

※開館日は熊本県立美術館のホームページでご確認ください。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿