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モースが下車した「旧新橋停車場」へ行った-【縄文を学ぶ-番外編(1)】

2018-08-23 | 縄文を学ぶ
2018年7月26日(木)

 大森貝塚の発見者モースは、横浜港に入港した翌々日の1877 (明治10) 年6月19日、横浜から東京へと向かう汽車に乗って、大森停車場を過ぎたころ、線路脇に貝殻が散らばっているのを車窓から発見した。その後、東京大学の教授となったモースは9月に日本で最初の学術的発掘をおこなう(縄文を学ぶ-6)。

 モースが乗った鉄道は、1872(明治5)年に日本最初の鉄道として新橋と横浜間に開通した。開業時からの駅舎は1923年(大正12)年の関東大震災により焼失している。

 2003(平成15)年、「旧新橋停車場」の駅舎が開業時の外観で復元された。現新橋駅から歩いて5分程のゆりかもめ新橋駅近くにある。駅舎内の大部分はレストランになっているが東日本鉄道文化財団の「鉄道歴史展示室」も開設されていて、旧新橋停車場を中心に鉄道の歴史が学べる。


(復元された旧新橋停車場)

 1階展示室の床の一部はガラス張りで、開業当時の駅舎基礎石の遺構を見ることが出来る。正面玄関階段とプラットホームの先端部分でも、史跡の一部をじかに見ることができるようになっている。


(駅舎玄関遺構。正面玄関階段の最下段として使われていた切石)


(復元されたホーム)


(復元された線路。創業当時は枕木やレールの台座は土を被らせレールの頭だけが見えていた(写真奥)。)


(復元された0哩標識)

 鉄道歴史展示室には「映像の記憶」というビデオのコーナーもあり、開業当時の新橋駅や横浜・新橋間の映像、写真などが楽しめ、モースが乗車したころの駅や鉄道の雰囲気が味わえる。大森貝塚を見学した後に訪れると、モースもこんな雰囲気の汽車に乗って、大森貝塚を発見し発掘していたんだと、と映像に引きつけられていく。


(鉄道歴史展示室で買った絵葉書)
 
 大森貝塚-中里貝塚-縄文展-縄文の村(多摩ニュータウンNo.57遺跡)とまわった2泊3日の東京縄文の旅も、モースに始まってモースに終える。浜松町駅へ移動し、モノレールで羽田空港へ。

 年とったからだろうが考えることもあった。JRの電車に乗った時、ベビーカーのエリアが確保されている。さすが東京と思った。でも、そこに立っている人はベビーカーが乗って来ても全く動こうとしない。まだスペースはあったが・・・。別な電車に乗った時、子供二人連れのお母さんが乗ってきた。子供一人を抱っこして、もう一人は手をつないで。でも、誰も席を譲る人はいない。

 1万数千年前~2千数百年前の縄文時代、人びとは土偶を作って、安産や子の成長を願ったという。個人ではなく、ムラ全体で願ったであろう。

 「進歩」「発展」とは何なんだろう?

 空港で「COEDOビール」を飲んで、帰路に就いた。


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