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「縄文展(東京国立博物館)」へ行った。【縄文を学ぶ-8】

2018-08-14 | 縄文を学ぶ
2018年7月25日(水)

 朝から上野の森へ行くも、蒸し暑い。東京国立博物館近くのベンチでコンビニのお握りの朝食。しばらく木陰で休んでから、特別展「縄文―1万年の美の鼓動」の開場を待つ列に並ぶ。通りかかる外人さんも何ごとかと看板を除いて行く。なかには、展示を見るために並ぶ外人さんもいる。


(東京国立博物館前の看板)


(入口付近の立て看板)

 9時半前に会場の「平成館」に係りの人の誘導で移動。杏さんの案内(音声ガイド)で、「縄文の美」「縄文の造形」に焦点を当てた展示を見てまわる。

 写真で見たことがあるような土器や土偶が次から次へと目の前に現われる。大胆な隆起、繊細な線などで紋様が作られている。「縄文土器」は煮炊き料理に使われたという。特に中期の土器は、これでもかこれでもかという隆起や文様がある。縄文の人たちは、煮炊きの実用には向かないような土器を作り続けた。それも、時代が進むごとに実用性とかけ離れて行くような紋様の土器が出現している。現代の私たちには理解できない「衝き動かす」何かがあったのだろう。

 縄文時代の前、旧石器時代の人々は、獲物をとったり、捌いたりする道具を、石を削って作った。出来上がりは素材に影響される。土器は、粘土から創造したものを作る。いろんな形、文様をつけて行く「創造する楽しさ」もあっただろうと思う。

 煮炊きしている間、食べている間、土器の文様を皆で眺めながら、「物語」が語られたのではなかろうか。今日一日の出来事もあったろう。ムラの歴史や先祖のことが語られたこともあったろう。視覚に訴えると「物語」の効果も高まる。「物語」には満天の星も登場するであろう。暗闇に沈む森とその中で生きる動物たち、ムラの廻りに拡がる山野草や木の実も登場するだろう。「物語」が語られみんなが共有することで、家族の一体感、ムラの一体感、地域の一体感が作られていく。そんなこともあったのではなかろうか。

 男の人が作ったのだろうか、女の人がつくったのだろうか。時代によっても、地域によっても違うかもしれない。一人で作ることもあったろうし、複数で作ることもあったろう。オーダーする人と作る人が別なこともあったろう。地面に棒で、「こんなのを作って欲しい。」と依頼すると、オーダーする人の思い以上の土器ができ上がったりする。

 いろんなことを思いながら見てまわる。

 土偶をこんなにいろいろ見ることも初めてのことだ。土偶は女性を形にしたもので、安産や子孫繁栄、豊穣を願って作られてといわれている。

 土偶も時代や地域によって変化する。現代、「土偶」という分野が作られているけど、当時の人たちは、同じようなものとして意識していたのだろうかと思ったりする。土偶の世界も奥が深そうだ。これまで土器に関心を持って見てきたが、これからは土偶の世界も学んでいこう。

 展示の中で、最も印象に残ったのは、土器では「微隆起線文土器」。最初に見たということもあるが、約一万二千年前に、集中して細かい線を描いている姿が目の前に浮かんでくる。鼓動も聞こえそうだ。

 土偶では「縄文の女神」。立ち姿に惚れ惚れする。モデルがいたのだろうか。ムラでシャーマンのような特別な存在の人だったのだろうか、それとも単にムラ一番の美人だといわれていた人だろうか。国宝に対して不謹慎だが「隣のムラに美しい人がいてね。その人をイメージして作ったんだよ。」と製作者の声が聞こえてきそうな気がする。

 縄文土器や土偶は長い間、土の中に眠っていた。私たちの目に触れるようになっても、元の姿には復元できないものの方が圧倒的に多い。ここに展示されているものは元の姿のまま出土したものや、元の姿に復元され、現代の人たちが「美」を感じるエリートたちの集り。2時間弱、1万数千年前から2千数百年前までの作品を作成している人の集中した姿が目に浮かんでは次の作品へと。写真で見るのとはとは違う、縄文の人たちの気迫に圧倒されながら見てまわった。異次元の世界に浸った。


(岡本太郎が撮影した東京国立博物館所蔵の縄文中期の土器)

 展示会場の出口のところに写真撮影可の作品が並べられている。縄文時代の土器や土偶が「美」として認められるようになったのは、1952(昭和27)年発行の「みづゑ」誌で、岡本太郎が縄文土器の「美」を評価したことに始まる。
 岡本太郎は、「荒々しい不協和音がうなりをたてるような形態、紋様。そのすさまじさに圧倒される。はげしく追いかぶさり、重なりあって、突きあげ、下降し、旋回する隆線紋(粘土を紐のようにして土器の外がわにはりつけ、紋様をえがいたもの)。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。しかも純粋に透った神経のするどさ。」(岡本太郎「日本の伝統『縄文土器』」より)など縄文土器への強い思いを語っている。
 三点は岡本太郎が写真に収めた縄文中期の土器。「とくに爛熟したこの文化の中期の美観のすさまじさは、息がつまるようです。」(同上)と語る。


(図録と土偶パペットタオル)

 縄文時代の出土品が国宝に初めて指定されたのは1995(平成7)年。長野県茅野市棚畑遺跡から出土した「縄文のビーナス」で、現在は6件指定されている。「縄文展」では6件すべてを見ることが出来る。私が鑑賞した7月25日は2件が未到着だった。

 「縄文展」は平成館2階で開催されているが、1階の「日本の考古」という常設展示も縄文時代を中心に見てまわった。東洋館地下1階のミュージアムシアターで上映されている「DOGU美のはじまり」を鑑賞。土偶の学びをはじめる。


(東洋館地下1階のミュージアムシアターの案内)

 東京国立博物館を出て、お隣の国立科学博物館へ。常設展示は65歳以上無料。常設展2F「日本人と自然」のコーナーに「巧みに生きる縄文人」という展示があり、縄文時代が概観できる。骨に関する展示が興味深かった。「早・前期の人骨は全体的に華奢であるが、中・後・晩期になるとがっしりと筋骨たくましくなる。」と説明されていた。入江貝塚で説明にあった、「ポリオにかかった人骨」のレプリカも展示してある。(縄文を学ぶ-4)


(国立科学博物館近くの野口英世の胴像)


(国立科学博物館内の展示)

 上野の森には何度か来たけど、「西郷さん」に初めて会いに行った。西郷隆盛が亡くなったのは明治10年9月。モースが大森貝塚を初めて発掘したのも明治10年9月のことで、その報告書の翻訳から「縄文土器」の名がついた。(縄文を学ぶ-6)


(上野の西郷さん)

 上野の森を後にして、新宿へ。新宿から京王線で多摩ニュータウン駅へ。今日の宿泊は多摩ニュータウン駅前のホテル。新宿から多摩ニュータウン駅へは京王線と小田急線の2つの路線がある。京王線で行くことにしたが、空いている席に素早く座る術を持たない田舎の年寄りは、縄文展の図録で重くなったリュックを背負い立ったまま多摩ニュータウン駅へ。疲れた一日をビールが癒してくれた。

参考文献
 図録『特別展 縄文―1万年の美の鼓動』(2018年)
 岡本太郎著『縄文土器』(「日本の伝統」光文社知恵の森文庫、2010年第6刷)
    昭和27年2月『みづゑ』で発表された。書籍『日本の伝統』は昭和31年に刊行されている。

 「微隆起線文土器」(青森県六ケ所村表舘遺跡・縄文時代草創期約12,000年前)の写真は 「六ヶ所村立郷土館」のホームページで見れます。
 「土偶縄文の女神」(山形県舟形町西ノ前遺跡・縄文時代中期 約4,500年前)の写真は「山形県舟形町ホームページ」で見れます。


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