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「縄文の村(東京都立埋蔵文化財調査センター)」へ行った。【縄文を学ぶ-9】

2018-08-20 | 縄文を学ぶ
2018年7月26日(木)

 朝食を済ませ、多摩ニュータウン駅周辺をブラブラしたら、夏休みに入ったこともあって「サンリオピューロランド」の前には開館を待つ親子連れが長い行列を作っていた。

 「東京都立埋蔵文化財調査センター・縄文の村」(東京都多摩市落合)は、サンリオピューロランドの直ぐ近くにあった。入館料は誰でも無料。


(東京都立埋蔵文化財調査センター)

 常設展の入口では、「丘陵人(おかびと)の肖像」(縄文時代中期の作品)が迎えてくれる。


(丘陵人の肖像)

 多摩ニュータウンには964ヶ所遺跡があり、旧石器時代から近世まで、各時代の遺構や遺物が発見されている。発見された出土品の数々が常設展示してある。その一角に縄文時代のコーナーがある。


(展示ホール)

 すぐに目に入ったのは、「落とし穴」の模型。多摩ニュータウン地区では1万5千基以上の落とし穴が見つかっている。落とし穴は長さ1.5m、幅1m、深さ2m程で、底には篠竹などがうめこまれ、足がからまって逃げられないようになっている。


(落とし穴)


(縄文前期の土器)


(縄文中期の土器)


(土偶たち)


(石器道具の説明)


(石器など)

 平成30年度企画展示「蒼海(うみ)わたる人々-考古学から見たとうきょうの島々」(平成30年3月21日~平成31年3月10日)は、常設展と同じ会場に展示してある。


(「蒼海(うみ)わたる人々」の解説冊子から)

 興味を引かれたのは、「黒曜石」とイノシシの骨。

 「黒曜石」は、神津島(下田から約55km)が産地として知られている。多摩ニュータウンの縄文遺跡を始め、関東各地の縄文遺跡から出土している。特に恩馳産の黒曜石は不純物が少なく良質であったため人気があった。


(黒曜石の解説パネル)

 大島(伊東から36km)の下高洞遺跡(縄文時代後期~晩期)からは動物や魚の骨、貝殻などが見つかり、イノシシの骨も出土している。イノシシは本来伊豆諸島には生息していないとされている。縄文時代に人々は、海を渡って陸地から何十キロも離れた伊豆諸島の島々に住んだ。イノシシも連れて行った。


(イノシシの解説パネル)

 2日前に行った「北区飛鳥山博物館」には、縄文時代の丸木舟が展示してあった(縄文を学ぶ-7)。あのような丸木舟に乗って海を航海して黒曜石など運んだのだろうか。イノシシはどうやって運んだのだろう。
 

(八丈島の縄文時代等の出土品と北硫黄島石野遺跡の弥生時代(約1900年前)の出土品)

 展示室を出ると、体験コーナーでは磨石で木の実をすりつぶす体験などが出来る。


(体験コーナー)

 その奥に行くと凄かった。棚にびっしりと並べられ保管されている土器が見られるようになっている。昨日、「縄文展」で見た土器たちは現代人から見た美のエリートたち。ここに並んでいる土器たちはそこには選ばれなかった。エリートたちは「私を見て。」と叫んでいるように見えたけど、ここの土器たちは「私たちを知って。私たちが生活した頃を知って。」と叫んでいる、そんな気迫を感じる。「少しずつ学んでいくからね。」そう応えるしかなかった。


(壮観 縄文土器)


(棚の中から出てきた?縄文土器)


(棚の中から出てきた?縄文土器)

 土器たちの横には粘土を採掘している模型が展示してある。説明には「No.248遺跡で、縄文時代中期に粘土を採掘した大規模な土坑群が発見されました。地表から3メートルも掘り下げてようやく粘土層に到達し、手が届く範囲の粘土を採掘しています。縄文人がこれほど苦労してまで粘土を採掘したのは、壊れにくい縄文土器を作るための、質の良い粘土を求めたからでしょう。」と書かれている。


(粘土を求めて)

 館内を見てまわってから、併設されている遺跡庭園「縄文の村」へ。[草創期][早期]【前期】【中期】[後期][晩期]と区分されている縄文時代の前期から中期にかけての「多摩ニュータウンNo.57遺跡」に盛土をし、トチノキ・クルミ・クリをはじめ50種類以上の樹木やゼンマイ・ワラビ等を植栽して当時の多摩丘陵の景観が復元されている。


(縄文の村入口)


(縄文の村案内板)


(多摩ニュータウンNo.57遺跡の説明)


(縄文の村)

 村には、住居が3棟復元されている。入ってすぐにあるのは、関東地方を中心に縄文時代中期末(約4500年前)に流行した、住居の床に平らな石を敷きつめる「敷石住宅」。No.57遺跡でも3棟発見されているが、復元されているのは八王子市堀之内のNo.796遺跡から移築したもの。面積は約7㎡。


(敷石住宅。煙が出ていた。)

 この日は火焚きも行われていた。中はそれほど広くは無い。煙がもうもうとしてそんなに長くは居れない。外に出ると気持ちがいい。縄文の人たちは火を焚いて、長い時間住居の中で過ごしたのだろうか。外で生活した時間の方が長かったのではなかろうか。住居の中で火を焚くのは、他の動物たちが入って来ない効果があったのではないかと感じる。寝る時に火を焚いていると安心して寝れたのではなかろうか。


(敷石住宅入口)


(敷石住宅内部。石が敷いてある。)


(煙もうもう)

 前期の竪穴住宅(約6500年前)は、発掘当時の位置に復元されている。面積は約30㎡。「中央に火を焚いた炉があり、外敵の侵入を防ぐため入口は狭くなっています。家の中には4~5人が住んでいたようです。」との説明が書いてある。


(前期の竪穴住宅)


(竪穴住宅の内部)


(竪穴住宅の内部)

 3つ目は中期の竪穴住宅(約5000年前)。楕円形で面積は約15㎡でその頃の標準的な大きさ。「縄文の村」の直ぐそばに鉄塔が建っているがその東側で発見された住居をモデルに復元されている。


(中期の竪穴住宅)


(竪穴住宅の内部)

 縄文時代から使われていたのではないかと考えられている「湧水」の場所もある。昭和の後期まで湧き出ていたが周辺の開発で水は枯れている。すぐそばには線路があって、時折、電車が通過する音が聞こえる。


(湧水の場所)

 縄文時代前期から中期にかけての代表的な形の住居と当時の景観の雰囲気を感じながら見てまわった。センター内の体験コーナーには縄文服の着用も出来たが、その服を着て「縄文の村」を散策したらもっと楽しかっただろうと思う。

 「縄文の村」から歩いて5分の多摩センター駅へ。昨日、京王線で来たので、今日は小田急線に乗る。代々木上原駅で東京メトロ千代田線に乗換えて3つ目の表参道駅へ。駅から歩いて10分弱。「岡本太郎記念館」へ行く。

 見てまわると、岡本太郎に「ようこそ」と、来館を歓迎してくれているような感じがする作品と空間が拡がる。「縄文を楽しませてもらっています。」と感謝の気持ちを伝えて退館をする。(縄文に学ぶ-8))


(岡本太郎記念館)


(岡本太郎記念館で)


(岡本太郎記念館で)

 表参道駅に戻って、東京メトロ銀座線で新橋に向かう。


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