鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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なごやんばるツーデーマーチ1日目勝山と屋部みどりの道コース-沖縄の旅1、2日目

2015-12-17 | JWAウォーキング
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12月11日(金)

 沖縄の旅1日目は13時前に那覇空港に到着。モノレールでおもろまち駅へ。沖縄県立博物館は駅より歩いて10分程のところにあった。沖縄の歴史、自然を学びたいとの思いで行ったが、さっと見てまわってしまった。「博物館展示ガイド」を買って後日勉強しよう。

 博物館隣りのショッピングセンター2階にある書店で、沖縄の出版社のある本を探したが置いてなかった。店員さんに聞くと「お取り寄せで1週間位かかる。」というので諦めて、那覇空港へ戻る。

 那覇空港から高速バスで名護へ向かう。バスはウォーカーが多く満席状態、いつもとは違う乗客数で地元の利用者の方々はびっくりされたかもしれない。2時間近くかかって名護バスセンターに着いた。飛行機に乗っている時間よりも長かった。宿泊ホテルはバスセンター近く「ゆがふいんおきなわ」。18時頃で薄暗くなりかけていたが、ホテルはすぐにわかり暗くならないうちに着いて良かった。

 夕食はホテル近くの居酒屋でお刺身、ジーマミー豆腐、ふーちゃんぷる、オリオンビール、泡盛。

12月12日(土)

 日の出前に目が覚めた。ウォーキングの準備をして、コンビニを探しながら海岸沿いの道を歩いて行くが無い。メイン会場の「名護市21世紀の森屋内運動場」を過ぎても無い。朝食は食べなくともなんとかなるだろう思いメイン会場へ行ったらパンの販売があっていて助かった。


(ホテルから)

 会場入口前にはオリオンビールのテントがあった。「ゴールの後はオリオンビールが飲める。」と嬉しくなった。その後、受付で貰ったマップのチェックスタンプ頁を見たら、ゴール後にオリオンビールが提供されると書いてある。ますます嬉しくなる。

 「なごやんばるツーデーマーチ」1日目は「勝山と屋部みどりの道」に参加する。メイン会場~勝山シークヮーサー~屋部(やぶ)支所~21世紀の森ビーチ~メイン会場の実距離19.4kmのコースである。

 勝山シークヮーサーまでの道のりは9.2km。道々、撮ったことのない花ばかり目につくのでいて、立ち止まってシャッターを押す回数が増える。JR九州ウォーキングではウォーカーが前後に見えなくなってもそんなに不安感は無いが、JWAウォーキングで知らない土地を歩いていてウォーカーが前後に見えなくなると不安になる。じっくりと写真撮ることが出来ない。慌てて前を行くウォーカーの背中を追いかける。


(沖縄各地のウォーキングの紹介)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

 国道58号線に出たところの案内標識を見て、海洋博があったところの近くなんだと思いながら歩く。屋部川を渡る橋の所から海が見えたが一瞬だった。


(案内標識)


(国道58号線)


(道沿いで)


(道沿いで)


(国道58号線)


(屋部川の橋から)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

 少し上って着いた勝山シークヮーサーは「農業生産法人有限会社勝山シークヮーサー」がシークヮーサーのジュース等を生産販売所である。サービスのジュースをいただいた。酸味や苦みがあり大人のジュースという感じがする。歩いてきた体の疲れがとれる。チェックポイントもここであった。スタンプを押してもらい進むと、「嘉津宇岳 (かつうだけ)入口」の案内板があった。「かつう」がもともとあった名で「勝山」は後からつけられた名のような気がする。


(嘉津宇岳)


(嘉津宇岳)

 みかん畑や古い沖縄の建物、セメント工場などを通過すると名護湾に出た。しばらくは湾沿いを歩く。屋部地区で一時海沿いを離れ、15.3km地点の屋部支所でトイレ休憩。その後はまた海沿いを歩いて「21世紀の森ビーチ」へ出る。ビーチを歩いて、川のところから海岸線の道へ出て市役所方面に戻りゴールメイン会場へ。オリオンビールが待っていた。


(道沿いで)


(道沿いで)


(海が見えた)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(名護湾)


(名護湾)


(名護湾)


(名護湾)


(名護湾)


(名護湾)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(21世紀の森ビーチ)


(21世紀の森ビーチ)


(21世紀の森ビーチ)


(21世紀の森ビーチ)


(21世紀の森ビーチ)


(名護市役所)


(オリオンビール)


(オリオンビール)

 ホテルへ戻り一休憩して、オリオンビール工場へ。朝方歩いたメイン会場南側の海岸沿いではなくメイン会場北側の道を歩いていると「宮里前の御嶽のハスノハギリ林」があった。名護湾の海岸線はかつてハスノハギリ林が続いていてここ宮里前の御嶽が海岸であったようだ。


(宮里前の御嶽のハスノハギリ林)


(宮里前の御嶽のハスノハギリ林)

 オリオンビール工場はホテルから3キロ弱だったろうか。今日は土曜日で製造ラインは動いてなかったが、見学は出来た。見学の後は試飲。コップ2杯飲ませていただいた。2杯とも泡が最後まで残って味も香りも楽しめた。ビールの注ぎ方はプロだ。


(オリオンビール工場)


(オリオンビール工場)

 工場の直ぐ傍に名護博物館があったので見学。名護はかってくじら漁が行われていたことを知る。見学後、博物館の近くのガジュマル緑地へ行ったら、徳田球一の記念碑がある。「徳球さん」が名護の出身とは初めて知った。


(名護博物館)


(ガジュマル緑地)


(ガジュマル緑地)

 そこの橋の袂にある近辺の地図案内板を見ると、近くにといってもオリオンビール工場の方へ戻らなければならないが名護城跡が公園となっている。階段を五百段位上っただろうか名護神社がある。小さいお宮である。振り返ると抜群の眺望で名護の市街、名護湾が見渡せる。裏へ回るとさらに上っていけて名護城の主郭があった場所にたどり着くことができたようだが、眺めに満足して階段を下る。


(首里城跡公園)


(首里城跡公園)


(首里城跡公園より)


(首里城跡公園より)


(首里城跡公園)

 下る途中の横道に入ると、ノツポヤシ広場がある。その広場の入り口の右手には「白い煙と黒い煙」という碑が建っている。大正時代、黒い煙を吐く船に乗り大和の国へ出稼ぎに行く娘を名護城跡から白い煙を焚いて見送る老夫婦の哀別を主題とした物語の碑である。


(白い煙と黒い煙)


(ノツポヤシ広場)


(ノツポヤシ広場)


(首里城跡公園より)

 階段を下りた頃にはうす暗くなってきた。先ほどのガジュマル緑地へ戻る。ここらからホテルへの帰り道が名護の繁華街になる。ホテルまで少し距離がある。ここで食事をしお酒を飲んだら帰り着くまでがきつい、と思いながら歩いているとホテルが近くなってきた。「宮里前の御嶽のハスノハギリ林」のそばに、ビール工場へ行く時に気になっていた食堂があったので入った。入ってすぐのところに食券販売機があって沖縄そば数種類とカレー、スパゲティー位しかメニューがない。「ソーキそば」600円の券を買う。沖縄そばは何度か食べたが美味しいと思ったことはなかった。これは美味しい。そばの食感、そばにからまるつゆとそばの味、絶妙だ。これまで食べた麺類の中でもこれほどのものはそうはお目にかからない。店の名前はどこかにか書いてあったのだろうけど、目に入らなかった。後で調べたら「宮里(みやざと)そば」で沖縄でも有名なお店のようだ。

 ホテルに辿り着いて、自動販売機でオリオンビール500ml、350円。
 ウォーキングとオリオンビールの一日が終わる。

日本スリーデーマーチ3日目都幾川・千年谷公園コース-埼玉の旅4日目

2015-11-11 | JWAウォーキング
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11月3日(休)

朝霧がかかっていたがスタートするころにはすっきりとした青空に。


(鶴ヶ島駅)


(東松山駅へ向う)


(東松山駅から)


3日間、1日数回も挨拶された皆さまご苦労様でした。


(3日目スタート前)

今日も20K(実距離22K)コースを歩くことにする。
昨日、帰りに通ったおため池を逆に進む。


(おため池)


(虎御石)


(道沿いで)


(道沿いで)


唐子市民活動センター広場では唐子地区商工祭の準備中。


(唐子市民活動センター広場)

唐子中央公園、駒形公園を通る。今日は歩け歩け。
都幾川にかかる枕水橋(橋の案内には沈下橋ではなく枕水橋とあった)を渡る。川ではのんびり釣りをする人の姿も。


(駒形公園を出たところ)


(都幾川)


(篠やぶの道)


(沈水橋)


(都幾川)

ウォーキングに参加している幼稚園児たちとも会う。
子どもたちは何キロ歩くんだろうか。先生も大変だろうな、と思いながら先へ進む。
高本峠の上り口では「ゆっくり登ろう」の案内が。ゆっくり登りましょう。


(高本峠登り口)


(峠道を登る)

峠の頂上から曲がりくねりしながら少し下ったら岩殿観音正法寺の参道に出た。
石段の上り口に30Kとの分岐の案内があったので、20Kの方の道を行ったら右手に岩殿観音があった。ここにも分岐の案内があった。20Kも階段を上ってもよかったのだ。


(岩殿観音参道)


(岩殿観音参道)


(岩殿観音参道)


(岩殿観音参道)


(岩殿観音)

いつも地図を見ないで歩くので、よく見過ごしたりする。

物見山公園のところに展望塔があった。埼玉県平和資料館のタワーだ。
平和資料館と展望塔の組み合わせがよく分からないけど、エレベーターで昇る。
秩父の山並みや東京方面が見える。
眺望はいいが高い所は苦手で早々と降りる。


(物見山公園)


(平和資料館展望塔)


(展望塔より秩父の山)


(展望塔より東京方面)

資料館は戦前や戦争中の歴史や暮らしが展示してあった。
資料館の駐車場がチェックポイント。子どもたちからシールを貼ってもらった。


(平和資料館)


(平和資料館庭)


(平和資料館入口)


(平和資料館庭)


東京電機大学鳩山キャンパスでは文化祭があっていた。


(東京電機)

下ったところ千年谷公園では東松山市民族芸能祭があっていて、威勢よく東松山太鼓が演じられていた。
ゴールまで後10K。秋空を眺めながら、紅葉を愛でりながら歩く。


(千年谷公園)


(千年谷公園)


(千年谷公園)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

真っ直ぐな道に出ると、広い歩道には高田博厚の彫刻が続いている。高田博厚については残念ながら知らない。


(高田博厚の彫刻)

東武東上線高坂駅を抜けてしばらく直進し、左へ曲がり遊歩道を歩く。


(高坂駅)


(七清水らららぎ緑道)


(高済寺下の清水)

都幾川の新東松山橋に出る。夕焼けスポットらしいけど、まだお昼前。


(新東松山橋)

真っ直ぐ歩いて左に曲がったところにかかし祭りのかかしが並んでいた。川沿いに並んでいたが、写真を撮るには田んぼを背景に撮りたいと思う。「孫の時代も平和でありますように!」案山子さんもいた。


(かかし祭り)

東松山駅を通り商店街を抜け、中央会場へ12時40分頃ゴール。


(東松山駅)


(商店街で)


(ゴール)

ビールを飲んで帰り支度。

中央会場から東松山駅の道沿いは、太鼓やお囃子などが演じられていた。
この日、東松山市は民族芸能祭や地域の商工祭り、大学の文化祭など祭り一色だった。


(商店街で)


(商店街で)


(商店街で)

ウォーキングに参加する人、そのお世話をする人、お祭りに参加する人、そのお世話をする人、見学する人、人出で商売する人、のんびり釣りをする人、賑やかな一日だ。

東武東上線東松山駅発13時39分池袋駅行に乗る。JR山手線、京浜急行と乗り継ぎ羽田空港へは1時間50分程で着いた。


(東松山駅から帰路)

帰りの飛行機は予定の時間に熊本空港に着き、4日間の旅は終わった。3日間歩いて少し疲れた。

日本スリーデーマーチ2日目武蔵嵐山コース-埼玉の旅3日目。

2015-11-09 | JWAウォーキング
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11月2日(火)

朝から雨が降っている。それに寒い。今日は雨合羽日和になってしまった。
鶴ヶ島駅から電車に乗り、もうすぐ東松山駅着くというところで携帯電話を忘れていることに気付く。東松山駅からホテルへ戻って携帯電話を持って再び東松山駅へ。
何とか20K、30Kコースのスタート時間には間に合った。雨なので20K(実距離21K)コースを歩くことにする。


(雨の中スタート)


(雨の中を歩く)

雨脚も強く、写真は撮る余裕はない。
遅い方のスタートだったので足元も悪くなっている。黙々と歩いているうちに鬼鎮神社に着く。鬼を祀った神社で、節分の時の掛け声は「福はうち、鬼はうち、悪魔はそと」だとか。


(鬼鎮神社)


(新田沼公園)

ここが30Kとの分岐点。
雨脚は弱くならない。
県立嵐山史跡の博物館に着く。ここがチェックポイント。博物館には入らなかった。
舗装されていない雨溜まりや泥水の道を少しでもましなところへ足を運びながら歩き続ける。


(嵐山史跡の博物館)


(嵐山史跡の博物館横)


(国立女性教育会館)


(ホタルの里)


(竹林の道)

少し雨脚が弱まったと思われる頃、「原爆の図丸木美術館」に着いた。
丸木位里さんの作品を展示した美術館だ。
丸木さんの作品はテレビや写真で見たことはあるが実物は初めてだと思う。
人家の少ないところにひっそりと建っていた。
入口と入ってすぐのところは狭かったが、2階に上がったら中は広かった。
丸木さんの原爆の図が展示してある。
大きな絵だ。絵と対面していると大きくなくては表現できない思いが伝わってくる。
水俣や三里塚、アウシュビッツの絵もあった。
解説もあったが、絵を見て思いを感じることだと思った。
図録原爆の図を買った。
美術館を維持していくのは大変だと思う。
多くの人が入館し、物販を買っていくことが手助けになるのではなかろうか。
そんな思いをして美術館を後にする。


(原爆の図丸木美術館)


(入館券)


(図録)


(ぬかるんだ道を歩く)


(おため池)

途中10Kも合流し、10K、20K、30K、40K、50Kの参加者が集団となってゴールを目指す。


(箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ))


(東武東上線)

12時40分頃ゴールした。

今日は缶ビールと焼き鳥。昨日は味噌だれ焼きそばだったが今日の焼き鳥も味噌だれ。東松山は味噌だれが流行りみたい。同じテーブルの人から味噌汁の無料サービスがあっているのを教えていただく。味噌汁を貰って来て、樽酒秩父錦。並々と注いでといったら受け皿にまでいっぱい注いでもらった。


(ビールと焼き鳥)


(樽酒とみそ汁)

飲みながら熊本から来たと味噌汁を教えてもらった人に話したら、「黒川温泉は良い」と何度も言われた。黒川温泉には有名になってからは行ったことがない。他県で話題になるとは、一度は行っておかないと、と思った。

雨の中を歩いて疲れたので、ホテルで休むことにして会場を後に。駅へ向かつているとお菓子屋さんがあったので覗いてみた。何と「足まんじゅう」があった。これは食べるしかないと1個いただいた。


(足まんじゅう)

夕食はホテルの横にあるお蕎麦屋さんへ。
ホークス大場選手のサイン色紙などが飾ってあった。他の選手のサインも球団がバラバラなのでお店の人に聞いたら東洋大学出身の選手だった。東洋大学の野球部・駅伝部は近くらしい。帰ってからネツトを見ていたら大場選手トレードのニュースが載っていた。
食事はカツ丼と盛りそばに冷酒。それぞれに違う小鉢がついていて3つの小鉢でお酒が飲めた。年寄りには少し食べ過ぎの量だった。

今日は「原爆の図丸木美術館」に行って改めて「平和」を考えさせられた。1日目の夕食はファミレスに行ったが、小さい子を連れて楽しく食事している家族が多い。ここ最近は、小さい子を見ると、この子らの一生も戦争をしない国でなければ、ということばかり思う。そんな時代になってしまった。

埼玉の旅3日目が終わった。

日本スリーデーマーチ1日目吉見百穴・森林公園コースそして川越へ-埼玉の旅2日目。

2015-11-06 | JWAウォーキング
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11月1日(日)

東武東上線鶴ヶ島駅を6時16分発電車に乗り15分程で会場のある東松山駅へ。
主会場の松山第一小学校へ向かう商店街を歩いていると、「祝ノーベル物理学賞梶田隆章先生 東松山市出身」の垂れ幕が飾ってある。3日間歩いていると、お祝いの看板や幕などがいたるところにあった。


(東松山商店街)

受付を済ませ、7時30分に20K、30Kコースのスタート。
私は20Kコース(実距離22K)に参加。しばらくは集団の中で歩く。


(中央会場)

下沼公園で写真を撮ろうとしたら、空に「朝の月」が。
幸先のいい秋のウォーキング日和だ。


(下沼公園)


(道沿いで)

しばらく行くと岩肌になにやら穴のようなものが見える。近づくと「岩室観音」があった。お堂の中に上ったら岩に囲まれて不思議な空間だった。


(左に岩室観音)


(岩室観音)

古墳時代後期に使者を埋葬する墓穴として造られた、国指定史跡「吉見百穴(よしみひゃくあな)」はそこから直ぐのところにある。ここも不思議な空間である。
明治以来、横穴の性格をめぐって考古学者がさまざまな意見を発表したが大正時代に墓穴と結論づけられたという。
第2次大戦末期、岩穴の中を堀り、地下軍需工場の建設が行われたので中は空洞になっている。3,000人から3,500人の朝鮮人労働者により堀削工事が行われた。
横穴の一つに国指定天然記念物のヒカリゴケが自生していた。


(吉見百穴)


(吉見百穴)


(戦時中掘られた洞窟)


(ヒカリゴケ)

ここが20Kと30Kの分岐点である。20Kは滑川の土手に出て、歩く。
川沿いをはなれてからは緑に囲まれた道や田園風景の中を気持ちよく歩いた。


(滑川)


(滑川土手)


(東農大三高)


(木々の中を歩く)


(田の中を歩く)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

東松山ぼたん園にチェックポイントがあった。
ぼたんは季節はずれであったが、10月桜は大きな木だった。


(ぼたん園で)


(ぼたん園で)


(ぼたん園で)

秋葉神社、宗梧寺を通り森林公園へ。
秋葉神社はこの地の旗本森川氏が1658年に勧進した神社。宗梧寺は森川氏の菩提寺。


(秋葉神社)


(宗梧寺)


(道沿いで)


(道沿いで)

森林公園は明治百年記念事業の一環として、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市楊井にまたがる304haの広大な丘陵地に整備された、全国で初めての国営公園で、国営武蔵丘陵森林公園が正式名称である。
「広い」というのが実感できる。紅葉は始まったばかりという感じである。夜はライトアップされて開園されているようだ。
公園内にはコースの矢印がなかったので前に行く人についていくしかない。写真を撮りながらも逸れないようについて行った。


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園南口)


(森林公園南口)


(森林公園南口)


森林公園南口を出ると、「駅まで〇K」の案内板が続く。何駅だ、と思いながら歩いて行くと「森林公園駅」があった。


(駅までの道標)

駅からゴールまでは近かった。12時50分前にゴールしてビール売り場へ。味噌だれ焼きそばとともにいただく。


(中央会場)


(なみなみと注いでもらって一口飲んだ)

昼食もそこそこに、今日のもう一つの目的地「川越」へ向かう。

会場すぐ横では「よさこい陣屋まつり」があっていた。よさこい祭りは全国いたるところで、何時もあっている気がする。あっちこっちと遠征するのが楽しみの人たちも多いだろう。ウォーキングの遠征も同じだよな。


(よさこい祭り)

東武東上線東松山駅から川越駅へ。20分少々で着いた。
駅構内の観光案内所で道順、お勧めを聞いて、バスで仲町へ行く。降りたところはもう人ひとヒト。今日は日曜日でもある。
由布院でも人の多いことにびっくりしたけど、またもやである。九州の由布院が東京近郊の川越と同じような人出なのは凄いことなんだ、と妙な関心をしてしまった。
休日は写真を撮るには人と車が多すぎる。


(川越の街並み)


(川越の街並み)


(川越の街並み)


(川越の街並み)

川越へ来たらここと、「時の鐘」をめざす。写真を撮っていると熊本の知人から電話。熊本は雨が降っているようだ。明日は関東が雨だろう。
川越の食べ物としてはうなぎとおいもが有名だ。うなぎやさんはどこも多そうだ。時の鐘の横でおいもソフトクリームをいただいた。私はすぐに買えたけど、食べ歩きして戻ってきた時には列が出来ていた。


(川越の時の鐘)


(おいもソフト)


(おいもは日本一)


(川越の街並み)


どこも人が多いので「川越まつり会館」に入った。川越まつりは1648(慶安元)年に川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことが始まりとされている。川越は新河岸川の舟運で江戸と結ばれ、江戸の文化を祭りにも取り入れて発展させてきた。今では江戸の天下祭の様式や風流を伝える貴重な都市型祭礼として続いている。
川越は小江戸と呼ばれている。小京都は数多くあるが小江戸は川越だけである。川越は明治の初め大火があり街並みが消滅した。その時復興に当たったのが江戸の大工さんだったので江戸の町並みが残ったと、ぶらタモリで説明されていたと思う。
それ以前から祭りに江戸の精神をとりいれてきていたのだった。川越は外観だけでなく心意気も江戸を伝えているのだった。


(川越まつりの山車)

蔵造りの町並みを外れて、氷川神社へ行った。思ったほど境内も社も大きくはなかった。
七五三の親子の姿が多かった。孫たちの七五三はどうするんだろう。


(氷川神社)


(氷川神社)


(氷川神社)


(氷川神社)


(川越街中を走るバス)

蔵造りの町並みに戻ったらCOEDOビールと「小江戸黒豚」のハム・ソーセージのお店「ミオ・カザロ」があったので入った。夕食の時間には少し早かったけどハム・ソーセージとパンのセットを注文して、COEDOビール紅赤と漆黒を飲んだ。紅赤はさつま芋が原料となっている。紅赤はほのかに甘く、漆黒はほのかに苦味がある。COEDOビールはこのほのかさがいいと思う。


(紅赤)


(漆黒)

小江戸川越で、COEDOビールを飲んで埼玉県2日目は終わった。

第9回北九州無法松ツーデーマーチ2日目も40Kコースに参加

2015-10-01 | JWAウォーキング
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9月27日(日)

無法松ツーデーマーチ2日目も40Kコースに参加。
今日は昨日のとは違い、いつもの和やかな雰囲気になっている
参加者数は昨日より少ないようだ。(ゴール後判明1、282人)




昨日は門司方面だったが、今日は八幡・若松へ。
スタートして高見神社を目指す。
しばらくはJR九州ウォーキングでのお知り合いお二人と歩く。
旧九州鉄道大蔵線茶屋町橋梁跡を通る。橋は、明治24(1891)年4月に開通した旧九州鉄道大蔵線の橋梁として構築された。鉄道会社は海側を走らせる計画で申請したが清国から攻撃を憂慮した陸軍が反対し内陸部を通る路線として開通した。その後、海側にも官営製鉄所が計画され路線が出来て、明治44年に廃線となった。


(大蔵線茶屋町橋梁跡)

高見の高級な住宅街と板櫃川沿いを歩いて、最初のチェックポイント高見神社へ。
高見神社でバナナをいただく。
トイレに並んでいる間にお二人に後れをとる。


(板櫃川沿いから皿倉山)


(高見神社)

しばらく歩くと、スペースワールド、東田高炉記念公園の横を通る。
東田高炉は明治34(1901)年、官営製鉄所として初めて火入れがされた高炉である。戦後、八幡製鉄所は中国大陸から北米大陸に輸出の重点を移していく。主力の生産地点を千葉県の君津に移していく。
空いた土地に出来たのがテーマパークスペースワールド。この地に来て、スペースシャトルと東田高炉を見ると似ているといつも思う。製鉄マンがスペースシャトルをメインにテーマパークを作った気持ちがわかるような気がする。


(スペースワールド)


(東田高炉)

旧長崎街道の黒崎商店街を通って、曲里松並木公園のチェックポイントへ。
曲里松並木は旧長崎街道の姿が約600mそのまま残っている。


(JR鹿児島本線)


(黒崎の商店街)


(商店街で)


(曲里松並木)


(曲里松並木)

しばらく行って、皇后崎公園の中を歩く。
公園の木立の中を歩くのは気持がいい。写真は撮らずに、空気もいっぱい吸い込み歩くのに専念する。

筑豊電鉄の踏切を渡り、JR鹿児島本線の線路下をくぐり工場地帯の方へ出る。私にとっては未知の道。皇后崎浄化センターの長い壁沿いを歩く。左手はJRの線路。ソニックやきらめきの特急も通過するがカメラはポケットに入れていて撮るのには間に合わない。いつもは列車から眺めるだけの所だが、これからは、ここ歩いた、と思い出しながら見ることになるだろうと思いつつ歩く。
塀の終わりのところに陣原駅があった。いつも通過するだけで駅を見たのは初めて。


(ここは工場地帯)


(陣原駅)

そこからは多分西の方へ。新々堀川のゆうじょう橋を渡ったところでチェックポイント。先行するお二人の姿は見えない。ドンドン引き離されたかどうかは見えないので分からない。


(新々堀川)

このあたりは土地勘がないので方角もよく分からない。時々見える皿倉山を見て、大体の方角の見当をつける。
本城橋の交差点からしばらくして、奥洞海緑地へ入る。先行するお二人に少しでも近づこうと急ぐ。緑地を抜けて奥洞海橋を渡る。潜水艦かな、見える。


(本城橋交差点から皿倉山)


(奥洞海緑地)


(洞海湾から皿倉山)


(潜水艦解体中?)


橋を渡ったところからは二島緑道。今日は緑の中を写真も撮らずに気持ちよく歩くことが多い。


(二島緑地から皿倉山)


(二島緑地)

緑道を抜けしばらく平坦な道を歩き、山手の住宅地、旧唐津街道へ。ここからが大変な道を歩くことに。上ったと思えば下り、下ったら上りの繰り返し、時々カーブを曲がる。まるでジェットコースターのようである。ジェットコースターは、私は楽しくないが、乗れば楽しい人が多いと思う。けどこの道は厳しい。


(若松旧唐津街道から皿倉山)


(赤島町東公園給水地)


(若松旧唐津街道から皿倉山)

やっと平坦な道に出て、久岐の浜の陸橋を渡ったところで地元の人から、40K歩くの頑張って、と声をかけられる。SLがある若松駅横の久岐の浜広場チェックポイントへ。久岐の浜は旧若松駅の構内が広場などになっている。若松駅は昭和20年代は石炭の積み出しで賑わい貨物取扱日本一の駅だった。


(久岐の浜の陸橋から)


(若戸大橋)

若松から戸畑へは若戸大橋の下を若戸渡船で渡る。料金100円のところウォーキング参加者は無料だった。若戸大橋は昭和37(1962)年に開通し、当時は東洋一の吊り橋であった。


(渡船から皿倉山)


(若戸大橋の下をいく)

戸畑への5分弱の船旅も終り、ゴール後のビールと帰る時間のことで頭の中はいっぱいになる。気は焦る。
八幡製鐵所の、戸畑地区と八幡地区を結ぶための専用鉄道くろがね線の上を通る。
歩いているところの住所が戸畑区から小倉北区に変わる。小倉北区の住所もゴールに近くなる。もう少し。と、ある立札が気にかかる。きんたま坂?


(くろがね線)


(???)


町の名前が変わる度にゴール間近を思わせる。室町の旧長崎街道を通って常盤橋へ。
常盤橋は、紫側に架かる長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の「小倉の五街道」の起点の橋である。
小倉井筒屋を左手に紫川を上ってようやく勝山公園にゴール。
足よ2日間ご苦労さん。


(常盤橋)


(小倉井筒屋付近)


(ゴール)

今日もたくさんのいただき物。リュックも重くなる。
JRのスタンプも押してもらって、ビール。
予定の時間に帰路に着くことができた。

スタッフの皆さんには2日間お世話になりました。
ありがとうございました。きつかったけど楽しいウォーキングでした。

第9回北九州無法松ツーデーマーチ1日目40Kコースに参加

2015-09-28 | JWAウォーキング
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9月26日(土)



今回は50Kも設定されていたが、17時の制限時間に着く自信がないので当初から諦める。

カメラも一眼レフを諦め、コンパクトデジカメで。

スタート会場に着いたら異様な雰囲気が。

他の40Kコースに何回か参加したことがあるけど、もっと和やかな雰囲気である。

100Kウォークの前練習にしても少し雰囲気が違うような。

50Kウォークという興奮があるようだ。



参加者数1,725人の大集団がスタート。まずは海岸沿いを歩き門司港を目指す。

信号と道が狭いのでなかなか進まず、前にも出れない。

50Kの人たちは焦っただろうなと思いつつ、のんびり行くしかない。


(小倉から門司へ海岸を進む)


(海岸を進む)


(海岸を進む)


(海岸を進む)


少し間が出来だしたのは門司赤煉瓦プレイスのチェックポイントあたりから。


(門司赤煉瓦プレイス)

ここから何度も保育園の子供たちが旗を振って応援してくれる。

その度にハイタッチしながら進む。


(対岸下関)


(巌流島)


門司港駅付近でJR九州ウォーキングの幡がチラホラ見え出す。

今日は、門司港駅からのウォーキング開催日でもあった。

関門トンネル歩道入口まではほぼ同じコース。

JRウォーキングと無法松ウォーキングの矢印が並んでいる。


(門司港から下関火の山)


(門司港レトロ地区)


(門司港レトロ地区)


(門司港レトロ地区)


(門司港レトロ地区)


(観光トロッコ列車)


(関門海峡)


(JR九州ウォーキングの矢印も)

海岸沿いを進み、和布刈り公園のチェックポイントへ。

昔、子供を連れてブールに来た記憶がある。

レトロ観光列車潮風号の門司海峡めかり駅にもなっている。

道敷地にはJR西日本の立札があった。


(関門海峡)


(関門海峡)


(関門海峡)


(和布刈り公園)

大久保交差点が40K、50Kの分岐点。50Kは太刀浦運動公園まで行く。

和布刈り公園を外周してしばらく行くと50Kとの合流地点。

50Kの人たちがすごい勢いで追い越していく。


(東門司郵便局)


門司港が見え出した。飛鳥が悠然と泊まっている。

それからは小森江、矢筈と急な坂が待っていた。

上りが急あれば下りも急である。

坂の上り下りを急ぐと腰や膝に負担がかかるのでゆっくりと進んだ。


(九州鉄道記念館)


(飛鳥)


(門司の高台から下関方面)


(門司の高台から小倉方面)


平坦な道に出て、手向山トンネルを抜けると小倉。


(手向山トンネル)

富野から足立山麓の道へ。


(延命寺川)

JRウォーキングの逆コースでいつもは下りる道を上る。

これが急坂。30Kを過ぎてからにはきつすぎる。

上りきったところで、もうこのコースは上らんでいいと、一安心。

妙見神社までは緑の中を下界を眺めながら気持ちよく進む。


(足立山森林公園)


(足立山森林公園)


(足立山森林公園)


(足立山森林公園から)


妙見神社の境内が最後のチェックポイント。

なんとか無事にゴールできそうとお参りする。

もう、頭の中はゴール後のビールだけ。空腹のままのビールはよくないと思い、朝買っていたおにぎり一個を食べる。


(妙見神社)


平和公園の木々は秋近しを感じさせる。

三萩野のドームを眺め、最後の気力を振り絞りゴールへ。


(平和公園)


(平和公園)


(北九州メディアドーム)


(無法松の碑)

北九州市の水などたくさんいただいて、JRウォーキングのスタンプも押してもらって、ビール。

1日目終わる。


「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」2日目-山形県の旅3日目

2015-09-11 | JWAウォーキング
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9月6日(日)

 山形県3日目。
 今日も5時半から家で食べる3倍ぐらいはある朝食を美味しくいただく。
 宿賃を払い、2日間お世話になった民宿ともお別れ。
 写真は民宿の近くで昨日と今日撮った草花。











 6時15分の送迎バスでメイン会場へ。「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」の2日目は「水と鳥海山麓、自然コース」の20kmに参加。7時から出発式。20Kのスタート時間は8時からだが、30Kと同時スタートも可能とのことであった。7時15分にスタートする。



 田の道を歩き、月光川の土手に出ると、鳥海山は昨日までとは違った姿を見せる。ここらあたりはおくりびとのロケ地だったようだ。




(鳥海山)

 民宿でご一緒だった方と歩くが、写真を撮りだすとすぐに離されてしまう。


(月光川)

 20Kと30Kの分岐点があった。間違わないように確認して20Kの方へ進む。今日は帰る日なので間違うと大変なことになる。



 川沿いの道を写真撮りながら歩く。最後尾にならないように気をつけながら。


(鳥海山)







 一昨日から広大な庄内平野の田を見て来たけど、狭い土地にも米は育てられている。





 彼岸花も咲いていた。




(鳥海山)









 5Kを過ぎて、杉沢比山伝承館が給水所。先ほど分かれた30Kとの合流地点でもある。遊佐町語り部の館があったので見学する。約300年前に建てられた家を移築再建してある。





 熊野神社を過ぎたところから上り道。こういう風景を撮るのは好きだ。


(熊野神社)


(自然に抱かれて歩く)



 かなり上ってきた。



 月光川上流の金杉橋を渡る。



 高い所では蕎麦も栽培されている。





 10K地点も上りだ。このあたりで30Kの早い人たちに追い越される。20Kの8時スタートの人も追い越していくようだ。



 この時期にアジサイが咲いていた。平坦な道に出たかと思えば、また上りがある。高いところなので花もいろいろと咲いている。













 左手の林に入るところがあった。昨日もだったが林に入るところには防虫スプレーが用意してある。







 林の中に「胴腹滝」がある。胴腹滝は『鳥海山の伏流水が山腹から湧き出ている様子が身体の「どうっぱら」という例えで胴腹滝と呼ばれています。2カ所から噴き出しているのですが、右と左の味が違うと言われています。そのため、この水を汲んでいる人の中には右の水を汲む人、左の水を汲む人、半分ずつ混ぜる人など好みで別れます。山深く雪も多いのですが、冬でも凍ることがなく、年中水汲みの人が絶えません。
』(山形県観光情報ポータル「やまがたへの旅」ホームページより)






(右側の滝)


(左側の滝)

 ここには熊出没注意の看板もあった。







 林を抜けて歩いていると、「字名」だと思うけど表示板があった。昨日から遊佐町を歩いていると同じ表示板があちこちにあった。JR九州ウォーキングで歩いていると字名表示板を見ることもあるけど、これだけ大きいのは初めて見た。




(秋もすぐそこ)

 四季の森しらい自然館が給水所と昼食地。サービスのお味噌汁をいただいた。昼食のお弁当も注文していたけど食べずに先へ進む。100m程行ったところで30Kとの分岐点。ここでもしっかり確認して20Kの方へ。
 田の道を下って歩く。後ろを振り向くと鳥海山。




(鳥海山)


(鳥海山)




(鳥海山)

 15Kを過ぎて、田の道が終わるあたりで地元の人だろう、写真を撮ってあげます、と声をかけられた。折角なのでお願いした。ファインダーを覗いて「写真、撮られるのに慣れてないですねぇ。」と言われ、笑ったところをパチリ。撮っていただいた方には申し訳ないけど、恥ずかしいのでブログには載せられない。一人でニヤニヤ眺めている。
 その後も、林の中に入ったり山道歩いたり。







 ようやく平坦な道に出る。鳥海山最後の写真を撮る。


(鳥海山)

 野沢公民館で給水。再び、ここで30Kは合流する。











 ゴール遊佐町体育館の建物が見えてから遠かったけど、なんとか12時頃にゴールした。今日のコースは舗装されていない道を多く歩いた。石のゴツゴツ感が足裏に残っている。



 歩いた後のストレッチをして、ビール売り場へ。弁当を食べずに楽しみにしていた芋煮は売り切れていて汁しか残っていなかった。ガックリ。
 かわりに、イカの姿焼きを地元のご婦人たちが売られていたので買った。小雨が降ってきたので木の下で食べた。これが美味しかった。ビールには最高。こっちで良かったかも。







 遊佐町を2日間歩いた。田んぼあり海あり山ありと楽しいウォーキングだった。23回目でもあって運営も成熟していた。前後にウォーカーが見えなく一人で歩いていると、この路でいいのだろうか、と不安になることがある。そんな時は幡があった。中学生にはきつい時に声をかけてもらって助かった。

 遊佐町の皆様、お世話になりました。ありがとうございました。

 送迎バスで遊佐駅へ移動。



 遊佐駅は列車を待つウォーカーでいっぱい。遊佐町はご当地カレーも売り出し中のようだ。メイン会場でカレールーを買った。民宿が一緒だった方にご挨拶する。





 13時42分発羽越本線普通列車で酒田駅へ。酒田駅13時55分着。
 14時00分発陸羽西線快速で新庄駅へ。


(快速「最上川」)

 新庄駅は山形新幹線の始発終着駅で、いくつかの線が乗り入れている大きい駅だった。
仙台行の快速列車もいた。


(新庄駅)


(新庄駅)


(仙台行快速「みのり」)


(山形新幹線「つばさ」)

 新庄駅15時17分発山形新幹線つばさで山形駅へ。山形駅着16時05分。
 山形駅16時31分発奥羽本線普通列車でかみのやま温泉駅へ。かみのやま温泉駅16時43分着。
 かみのやま温泉駅に着いたときは小雨が降っていた。ホテルに迎えに来てもらった。今日の宿は「ニュー村尾浪漫館」。
 民宿では20畳以上はある大広間で1日目は5人、2日目は7人の相部屋だったが、今日は和室2間に板張りもある部屋で1人。



 早速、温泉に浸る。小雨が続いていたけど、少し濡れて露天風呂も楽しむ。夕食では3種類の利き酒と、「雪漫々」というお酒をいただく。お昼に食べれなかった芋煮も出てきた。米沢牛のしゃぶしゃぶも。民宿は豪快な料理だったけど、ここは繊細な料理が出る。お腹いっぱいになった。
 食後も温泉に浸かり、心地よく寝る。

「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」1日目-山形県の旅2日目

2015-09-10 | JWAウォーキング
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9月5日(土)

 山形県2日目。
 朝食は5時半からだが、相部屋の皆さんの早起きにつられて起きる。
 吹浦駅が朝焼けで幻想的な雰囲気だ。


(吹浦駅)


(民宿前の看板)

 ご飯もおかずも自宅で食べる3倍ぐらいはある朝食をいただく。6時15分に会場までの送迎バスが来てメイン会場へ。
 「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」の1日目は「緑と庄内砂丘、日本海コース」の40kmに参加する。7時から出発式。鳥海山(ちょうかいざん)を背に主催者などの挨拶がある。
 鳥海山は、『山形県と秋田県の県境にあって、日本海に面し、標高2,236メートル。またの名を出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として、古くから崇められてきました。』(遊佐鳥海観光協会ホームページより)
 高い山なので山の上の方は雲がかかって見えない。





 地元の鳥海太鼓の威勢のいい音に送られて、7時15分にスタート。 いつものようにデジイチを持って歩く。



 スタートしてまもなく、鳥海山とその麓に広がる田んぼがウワーッと目に飛び込んでくる。
 この地が鳥海山からの水で豊かな穀倉地帯になっていることを印象づけられる。そんな光景だ。


(鳥海山)







 前後にウォーカーはいるので安心してゆっくりしたペースで歩いていたら、40Kと20Kの分岐点があった。多くの人は20Kの方へ向かう。40Kの方へ進み、しばらくして後ろを振り向いたら誰もいない。40Kに参加の人は先に行っているみたいだ。5K地点の案内板があった。少しペースを上げんといかんなぁ、と思いながらも写真を撮る方に気が向いてしまう。前方の人影はどんどん遠くなる。











 しばらくして中学生2人組に追いついた。今日は地元の中学生、1年生のようであるが集団で参加している。気合を入れるつもりで「後ろ誰もいないぞ。」と声をかけて先に進む。少し離れたら2人のうち1人が走って来た。「走ったり、歩いたりすると疲れるからな。同じペースで歩いたがいい。それに時々水分とって。脱水症状になると疲れる。」「40K歩くと思うときついから、5Kごとに、10K、次は15Kとめざして歩いたがいい。」などと知ったかぶりのアドバイス。














 升川公民館で給水があった。ここには佐藤政養(さとうまさやす)碑があったようだけど見過ごした。佐藤政養は初代鉄道助となり、国内初の新橋―横浜間の鉄道敷設に尽力した人らしいけど、日本鉄道の最初の頃の事はよく知らないので気にかからなかったようだ。








(永泉寺(ようせんじ))




(10K付近)

 10Kを過ぎて、水のきれいな所に。丸池様という池があるらしいけど池は見なかった。








 ここからは林の中を歩く。足元はゴツゴツしているけど木々を抜ける風もあり心地いい。30分程歩いたら、道路に出た。








 すぐに給水所。その後も道路の両脇が木立なので気持ち良く歩ける。 声をかけてこられた方とお話ししながらしばらく一緒に歩く。「海に出た後は日差しを遮るものがないので暑い。」と教えていただく。












 写真を撮りだすと、離されてしまう。
 国道に出るあたり木は紅葉が始まっている。秋近し。








 国道を下っていくと左手に海が見える。








 脇道に入りトンネルを過ぎ、少し歩くと海へ出た。日本海だ。






(日本海へ出た)

 青森では太平洋沿いを歩いたけど、山形では日本海沿いを歩く。
 九州では日本海沿いを歩くという意識は無い。天草の西海岸は東シナ海だし、日本海はどこまでをいうのだろう。
 熊本では海を見ない生活をしているので、海を眺めながら歩くのは楽しい。しかし、海岸の高いところに歩道があるので少し怖い。


(日本海沿いを歩く)


(特急「いなほ」?)


(釣りをする人)


(サーフィンする人)













 
 漁村センターの給水所を過ぎたところに20K地点の案内があった。





 そこからしばらく歩いて「十六羅漢岩」がある。
 日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体の仏さまが刻まれている。(遊佐鳥海観光協会ホームページより)


(十六羅漢岩)


(十六羅漢岩)


(夫婦岩?)

 海沿いを別れ、キャンプ場の杉並木の中に昼食地があった。お昼12時ごろ。注文していた弁当をいただく。



 その後は、大きな道へ出たり、畑の中を歩いたり、風力発電の風車を眺めたり。起伏もある。かなり疲れて来た。直線を歩く時が辛い。写真を撮っていると疲れを忘れる。進もう。



















 最初に会った別の中学生数人が前に行ったり、後ろになったりしながら歩く。時々「今何時ですか。」と聞いてくる。時間を教え。何時ごろまでには着くだろう、などと答える。着く時間は中学生に教えるというより自分を励ますように。何度か聞いてきたが、ゴール受付制限時間の16時までに着く見通しがたったのだろうか、35K近くから聞いてこなくなった。後ろでゆっくり歩き出した。彼らは土地勘がある。





 35K過ぎ、庄内みどり選果場に給水所があり、これまでの給水所と同じように冷えた水をいただいた。後5K、そう思っているとスタートしてすぐに見かけた小学生が歩いていた。凄いなぁ。JR九州ウォーキングで歩いている子供を見ていると、子供にとって大変なのは距離もあるけど、それよりも退屈が一番の敵だと思う。退屈だと疲労感も一気に増す。お父さんが子供にゲームを仕掛けたりなどして退屈しないように工夫しながら歩いていた。「頑張れ。」と言葉で励ましているのではない。お父さんも凄い。





 ゴール手前、鳥海山頂上の雲がなくなった。鳥海山に田んぼを入れて写真を撮れる最後の場所で、である。40Kフォト・ウォークを続けてきたのを鳥海山が祝福してくれているようだ。


(鳥海山と田んぼ)

 15時30分頃疲れてゴール。そしてビール。



 送迎バスで民宿に帰り、風呂に入り、夕食。
 今日もコップ酒2杯飲んだ。爆睡。


縄文の杜あおもりツーデーマーチ2日目三内丸山コースへ(青森の旅-5日目)

2015-08-10 | JWAウォーキング
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8月1日(土)

 青森も最終日になった。帰る日だが、私のメーンイベントの日。
 朝食は青森駅舎隣りラビナ内「VIE DE FRANCE」が7時半に開くのを待って、サンドイッチのモーニングに野菜サラダを付けて食べる。朝から身体が野菜を欲している。

 朝食後は、三度目の椅子テーブルで海を眺める。早朝から鳩さんたちは仲睦まじい。





 ここで発見。この港湾は釣り禁止の表示。昨日の釣り人が返事しなかったはずだ。釣り禁止のところで「釣れます。」などと返事できないよなぁ。青森人の無愛想ではなかった。



 海を眺めていたら、スターとの時間に遅れそうになったので、急いでメーン会場へ。そしたら、スタートが始まっていました。



 えぇ、9時スタートではなかったの。慌てて後ろについて行ったら、スタートのスタンプを押して貰ってませんでした。引き返していたら、後部からついてこられていた係りの方が、「貰ってきますので行ってください。」と親切に対応してくれました。急いで列の後方に追い付いてからは、沖舘川沿いを歩きます。しばらく行くと、川沿いから外れるところに橋がありました。「相野橋」です。名前から二つの川の合流地点と思ったら、そのとおりでした。佐賀県の相知町には「であい橋」という橋があり、そこも二つの川が合流しています。


(相野橋)

 川沿いから外れて、津軽線、奥羽本線の線路を跨ぐ橋を渡ります。



 その後は、また、沖舘川沿いを鳥や花を撮りながら歩きます。












 沖舘川多目的遊水地で青森のウォーカーの方に声をかけていただき、ねぶたや八代のウォーキングのお話しなどしながら歩きます。遊水地を出るころに失礼して先を急ぐことにしました。間もなく「三内丸山遺跡」の給水とチェックポイントに着きました。


(給水とチェックポイント)

 ウォーキングの係りの方に「見学してきていいですか?」と聞いたら「帰りは自己責任でお願いします。」と言われました。右も左も分からないところで自己責任なんて殺生な、今日は飛行機で帰る日で迷子になるわけにもいけない、と思いましたが、三内丸山遺跡が目的でこのツーデーマーチに参加したのだから、とにかく入ることにしました。中に入って、直ぐのところでボランティアガイドの方の説明が始まっていました。十数名が聞き入っていましたが、半分ほどはウォーカーの方々です。安心して、そのガイドの方について行くことにしました。ラッキーです。


(ボランティアガイドの案内が始まっていた)



 世界史的には農耕の始まりが定住の始まりとされています。しかし、日本では農耕なしに定住が始まりました。可能にしたのは土器の発明です。大地に育った草花や木の実を土器で煮炊きすることで定住が始まりました。日本列島では世界史でも特有の文化が花開きました。世界文化遺産に登録する運動には、そのような背景があります。
 縄文時代については文献がまったくありません。ガイドの方が言われていました、「土から上はすべて想像です。」と。再現されている竪穴住居もいろんな作りがあります。想像されるものをあれもこれもと作られているようです。住まいと住まいの間隔は当時のものと同じにしてあるということです。









 大人や子供の墓も発掘されています。子どもの墓が多いのは、縄文時代は子供が育つのが大変だったことを物語っています。









 三内丸山遺跡は、1,500年程継続して定住生活が営まれていました。この間に廃棄されたものが「盛土」として残っており、石器や土器などさまざまなものが出土しています。





 低湿地帯はゴミ捨て場になっていました。海の方に流れていくのも計算されていたと思います。



 海に向かった道路もあります。富山県の糸魚川周辺のヒスイも発掘されています。北海道、長野県など各地の黒曜石も発掘されています。舟で交流していたと思われます。



 まだまだ発掘調査が続けられています。






 三内丸山遺跡で特徴的な建造物が、大型掘立柱建物と大型竪穴住居です。
 大型掘立柱建物の柱穴は直径約2m、深さ約2m、間隔が4.2mあり、中に直径約1mのクリの木柱が入っていました。残っていた木柱にかかっていた重さを測定し、約15mの柱が6本建っていたのではないかと想像されて復元されています。


(大型掘立柱建物)


(発見された柱穴)

 大型竪穴住居は、何十人もの人が一堂に集まれる広さです。
 大型掘立柱建物も大型竪穴住居も何のための建造物化は、諸説ありますが、想像するしかないので確定的なものはありません。


(大型竪穴住居)


(大型竪穴住居内部)


(大型竪穴住居別角度から)

 青森に行く前に本を読んだり、1日目に青森県立郷土館で縄文時代の展示をみたり、三内丸山遺跡に立って、私は、縄文時代に私たちの祖先は定住生活を始めました。定住生活ではさまざまな協働作業が始まりました。その過程で意思を通じ合うための言葉も生まれたと思います。共働作業も最初は小さなものから、段々と大きなものを創れるようになっていきます。生活の便利さも向上していきます。皆で一致協力しあうことに自信を深めていったと思います。他のムラとの競争もあったかも知れません。大きいものを創れば、他のムラから尊敬されたと思います。縄文時代は、共同そして共働生活することに人々が大きな喜びを見いだした時代だと思います。大型掘立柱建物や大型竪穴住が完成した時の喜びは凄かったと思います。皆で協力してどのムラにもない大きいものを造ろう、そういう“情熱”が造ったと思います。
 縄文時代は大陸からの文化に影響された時代でなく、日本列島に住む先祖が一から自分たちで協力しあって生活を創っていった時代です。ガイドさんの説明が終った後も、そんな時代の雰囲気に、も少し浸っていたかったのですが、自己責任の言葉が頭から離れず、一緒にガイドさんの説明を聞いていた人たちの流れに乗って、ゴールを目指すことにしました。
 三内丸山遺跡は野球場の建設地でした。建設工事が始まって、さまざまな遺跡が出てきて保存運動が起こり、建設は中止され、保存されることになりました。佐賀県の吉野ケ里遺跡は、工業団地として整備される予定が中止になって保存されることになりました。大きな開発があり、そこに遺跡があれば広く保存されますが、そうでない場合もあります。三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡のような大きな集落はまだまだ埋もれている可能性はあると思います。
 新たに建てられた野球場は、三内丸山遺跡の直ぐ近くにありました。


(野球場)


(交番)

 自衛隊の前を過ぎると、ほぼ直進でした。途中JRの踏切がありましたが、そのすぐ先にも踏切がありました。行くときに陸橋の上からも見えましたが、青森は線路が集中しているようです。


(1つ目の踏切)


(2つ目の踏切)

 お昼過ぎにゴールし、頼んでいたお弁当を食べ、ツーデーマーチを終えました。



 日本ウォーキング協会が主催する催しには、八代、久留米、北九州しか参加したことはなく、地元以外は初めてでした。お世話になりありがとうございました。
 「オール・ジャパン ウォーキングカップパスポート」をいただきました。これから各地でお会いする機会がありましたら、よろしくお願いします。

 1つだけ提案があります。それは、三内丸山遺跡コースは、見学して遅れるのは自己責任ということではなく、遺跡内を巡るコース設定にして欲しいということです。
三内丸山遺跡は世界遺産登録へ向けた運動がなされています。そこに遺跡があるという事だけでなく、内容を多くの人に知ってもらうことも運動の一つとして重要かと思います。世界遺産登録運動中の三内丸山遺跡内を巡ります、ということで全国の皆さんの関心も深まると思います。
 昨年春、JR九州ウォーキングでは吉野ヶ里遺跡内がコースに設定され、自由散策でなく、矢印と旗で歩くコース決めてありました。ほぼ全域を歩きました。吉野ヶ里遺跡は有料ですが、ウォーキング参加者は無料でした。三内丸山遺跡は無料ですので、入場料の問題は起きないと思います。
 その時の写真集はこちらを見てください。
2014.04.06 JR九州ウォーキング吉野ヶ里公園駅
当日の地図です。

 昼食後、八甲田丸の見学がまだだったので行くこと。ウォーキング参加者は入場料が半額だった。入って驚いた。当時を再現させるのに使われていた人形が本物そっくりなのだ。何度も、人がいる、とびっくりした。写真は列車が収納されているところを多く撮った。



















 見学後、預けていたスーツケースを受けとり、ワ・ラッセの方へ行くと、出店があり、ビールも販売していた。キリン一番搾り400円であった。4泊5日青森旅行の打ち上げで飲む。



 その後、ねぶた祭り前夜祭が行われているあおい海公園へ行く。明日からの出番を待っている山車が展示してあった。写真を撮ってまわる。









 ここにも多くの出店がある。サッポロ黒ラベルがあったので、買って海を見ながら飲むことにした。500円。



 空港行のバスの時間までは、まだあるのでさらにぶらぶらしていると、アサヒスーパードライの文字が目に留まる。よし、もう一杯と買って、また海岸へ出て飲む。450円。





各店値段がバラバラなのが面白い。こういうお祭りの出店では値段は一致していることの方が多いのだが。後一杯サントリーもと思ったが、飲みすぎるといけないので我慢した。酔っぱらって爆買いしても困る。前夜祭会場を引き上げて青森駅で買い物し、空港行のバスに乗った。


(青森駅へ向う途中)


(青森駅前で)


(青森駅前からバスで空港へ)

暑かったけど、いろんな“情熱”に出会った北国青森の旅だった。

縄文の杜あおもりツーデーマーチ1日目八甲田山コースへ(青森の旅-4日目)

2015-08-09 | JWAウォーキング
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7月31日(金)

 ようやく「第13回縄文の杜あおもりツーデーマーチ」開催の日となった。



 朝食はコンビニでパンと缶コーヒーを買って、メーン会場八甲田丸前広場近くの公園で海を見ながら食べる。ここの椅子とテーブルには、その後もお世話になることになる。



 1日目は「八甲田山ロープウェー高原コース19㎞」に参加です。メーン会場八甲田丸前広場スタート時間は7時30分です。


(八甲田丸)


(威勢の良い太鼓に送られて)

 バス3台で八甲田ロープウェー山麓駅へ向かいます。私は3台目のバスに乗りました。隣の席はせっかくウォークで一緒の方です。80歳になられるとの事でビックリです。お若い。バスは10時前に山麓駅に到着。



 ロープウェーで山頂駅まで10分程です。10分も乗るなんて嫌な時間です。視界は良くありません。


(怖いです)

 山頂駅についてからは数名ずつ、ガイドの方の案内で山頂公園を1時間少々かけて廻りました。写真撮りながら歩くとどうしても集団の最後になります。下界は全く見えませんが、珍しい草花にたくさん出会いました。


(山頂公園を1周)
















(湿原公園)


(湿原公園)




(高山植物展望台)




































(このような光景が広がっているはずですが・・)

 ロープウェーで山麓駅へ下りて、次の便が下りてくるまで待ちました。





 先導する方に従って、これから16.5km程を歩きます。11時15分頃、カメラはイチデジをリュックに入れ、コンデジをリュックからポケットに入れ、ゴールするのは2時過ぎぐらいかな、と思いつつ歩きだします。イチデジを持っているとどうしても写真撮るのが優先して、歩くのが疎かになりがちなのでコンデジに替えましたが、やつぱし写真を撮りたくなります。撮る度に先頭から遅れていきます。山から下りて行くのですが、結構アップダウンがありました。





 木々の中を抜けると、大草原に出ました。ここで雷に会ったら怖い、と思っているとポツリポツリと落ちてきます。えぇ、となりましたが、次のポツリが無く一安心しました。


(広々とした所へ出る)





 最初の頃はクニャクニャ曲がりながら歩きました。最後の方は木々のなかの真っ直ぐな一本道でした。風がなく、きつかったです。


(直線はきつかった)



 給水ポイントでは先に着かれていた80歳の方にご挨拶し先に進みました。この日も風がなく蒸し暑い中でのウォーキングです。途中、お会いしたウォーカーの方に、「せつかく、このようなところを歩くので風があればいいのに」と、お話した後に、スーッと風が来ました。これも一瞬だけでした。途中、後何キロの表示は無かったので、2時を目途に、後何分歩かないといけない、と思いながら歩きました。そして、ようやく後1Kの表示がありました。知っているところの1Kは短いですが、知らないところの1Kは長いです。なんとかゴールの憩いの広場に着きました。2時10分前でした。お昼はお弁当を頼んでいたので、憩いの広場でいただきました。お弁当ではなくカレーライスでした。お冷がありがたかったです。


(まきばレストラン)

 ここにバスが3台待っています。帰れる人から先にバスに乗って、満席になったらバスが出ます。私が食べ終わったころ1台目のバスが出ました。2台目のバスに乗って満員になるのを待ち、バスは出ました。3時ごろメーン会場に着きました。1日目のウォーキングが終わりました。ホッと一安心です。この後の予定があります。

 メーン会場から青森駅へ移動し、青森駅前15時28分発棟方志功記念館行「ねぶたん号(あおもりシャトルdeルートバス)」を待つ。少し遅れてねぶたん号は来た。信号、信号で止まりながらも棟方志功記念館前バス停に着く。開館時間に間に合った。棟方志功の作品は初めてではないが、多くの作品に出合うと圧倒される。対象に向かう、作品を創る。その“情熱”は凄い。どこから出るんだろう。技術的な事は判らない。“情熱”の凄さだけを感じる。


(棟方志功記念館)


(ねぶたん号)

 感動を後に、再び、ねぶたん号に乗る。郷土館前で降りる。そこから歩いて1日目に通っただけの善知鳥神社(うとうじんじゃ)へ行く。善知鳥神社前には奥州街道終点の碑がある。ここから日本橋までが奥州街道である。表現がおかしいかな。日本橋からここまでが奥州街道である。かな。街道の起点、終点は厳密に決まっていたのだろうか。棟方志功生誕の地もすぐ近くにある。神社にお参りし、歩いてホテルへ。


(神社にある案内板)


(奥州街道終点の碑)


(棟方志功生誕の地)


(善知鳥神社)


(善知鳥神社)


(善知鳥神社)

 ホテルで小休憩した後、歩いて2、3分の「青森県観光物産館アスパム」へ行く。途中には1日目に寄ったラーメン屋もある。アスパム1階は観光物産館になっている。12階が360度の展望台。遠くは霞んで見えない。行ってきた八甲田山も見えない。空気が澄んでいれば岩木山も見れるのだろうか。


(アスパム)


(八甲田丸)


(青い海公園)


(八甲田山の方角ですが)


(湾に入る船)


 10階に、青森で二番目においしい店「みちのく料理西むら」という店があったので、そこで夕食にした。一番人気という「縄文定食」を頼んだ。じゃっぱ汁が美味しかった。一番目も、三番目もしらないので、二番目かどうかは判らない。今日はお酒ではなくビールにした。お酒のメニューを見たら一日目に飲んだお酒「田酒」が「フルーティ」なお酒として紹介してあった。最近テレビの食レポで「フルーティ」とよく聞くが、私が感じたことと同じ意味だとしたら、使いたい言葉ではない。このブログを書くため、お店のホームページを覗いたら、10%OFFのクーポンがあった。しまった、事前に確認しておけばよかった。


(縄文定食)

 食事後は、アスパムの裏の「青い海公園」を散歩した。風があって、ぶらりぶらり心地良い。熊本ではこういう経験ができない。釣りをしている人がいたので「こんばんは。釣れますか。」と聞いたが返事がない。熊本人も無愛想だけど、青森人も手強いぞ、と思ったら、翌日その原因がわかった。


(青い海公園)


(海上保安庁の船が出動)

今朝、パンを食べたところの近くにある「A-FACTORY」へ行って、地ビール「奥入瀬ビール」を買う。パンを食べたのと同じ椅子テーブルに座って飲もうとしたら、まん丸いお月さんが出ていた。


(奥入瀬ビール)


(青森で見た月)

 熊本でも、同じまん丸の同じ大きさのお月さんが見れるんだろう。ん、人が旅に出てお月さんを見て、自分が住んでいるところでも同じ月が見れる、家族もみている、と判ったのはいつの頃なんだろう。その昔は、今と違って、置いてきた家族は必ず月を見ていただろうから、旅先で月を見るときの感情は今とは随分違うだろう。月が見えない時は悲しかっただろう。ビールを飲みながらそんな事を考えてしまった。もう4日目だ。