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11月1日(日)
東武東上線鶴ヶ島駅を6時16分発電車に乗り15分程で会場のある東松山駅へ。
主会場の松山第一小学校へ向かう商店街を歩いていると、「祝ノーベル物理学賞梶田隆章先生 東松山市出身」の垂れ幕が飾ってある。3日間歩いていると、お祝いの看板や幕などがいたるところにあった。
(東松山商店街)
受付を済ませ、7時30分に20K、30Kコースのスタート。
私は20Kコース(実距離22K)に参加。しばらくは集団の中で歩く。
(中央会場)
下沼公園で写真を撮ろうとしたら、空に「朝の月」が。
幸先のいい秋のウォーキング日和だ。
(下沼公園)
(道沿いで)
しばらく行くと岩肌になにやら穴のようなものが見える。近づくと「岩室観音」があった。お堂の中に上ったら岩に囲まれて不思議な空間だった。
(左に岩室観音)
(岩室観音)
古墳時代後期に使者を埋葬する墓穴として造られた、国指定史跡「吉見百穴(よしみひゃくあな)」はそこから直ぐのところにある。ここも不思議な空間である。
明治以来、横穴の性格をめぐって考古学者がさまざまな意見を発表したが大正時代に墓穴と結論づけられたという。
第2次大戦末期、岩穴の中を堀り、地下軍需工場の建設が行われたので中は空洞になっている。3,000人から3,500人の朝鮮人労働者により堀削工事が行われた。
横穴の一つに国指定天然記念物のヒカリゴケが自生していた。
(吉見百穴)
(吉見百穴)
(戦時中掘られた洞窟)
(ヒカリゴケ)
ここが20Kと30Kの分岐点である。20Kは滑川の土手に出て、歩く。
川沿いをはなれてからは緑に囲まれた道や田園風景の中を気持ちよく歩いた。
(滑川)
(滑川土手)
(東農大三高)
(木々の中を歩く)
(田の中を歩く)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
東松山ぼたん園にチェックポイントがあった。
ぼたんは季節はずれであったが、10月桜は大きな木だった。
(ぼたん園で)
(ぼたん園で)
(ぼたん園で)
秋葉神社、宗梧寺を通り森林公園へ。
秋葉神社はこの地の旗本森川氏が1658年に勧進した神社。宗梧寺は森川氏の菩提寺。
(秋葉神社)
(宗梧寺)
(道沿いで)
(道沿いで)
森林公園は明治百年記念事業の一環として、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市楊井にまたがる304haの広大な丘陵地に整備された、全国で初めての国営公園で、国営武蔵丘陵森林公園が正式名称である。
「広い」というのが実感できる。紅葉は始まったばかりという感じである。夜はライトアップされて開園されているようだ。
公園内にはコースの矢印がなかったので前に行く人についていくしかない。写真を撮りながらも逸れないようについて行った。
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園南口)
(森林公園南口)
(森林公園南口)
森林公園南口を出ると、「駅まで〇K」の案内板が続く。何駅だ、と思いながら歩いて行くと「森林公園駅」があった。
(駅までの道標)
駅からゴールまでは近かった。12時50分前にゴールしてビール売り場へ。味噌だれ焼きそばとともにいただく。
(中央会場)
(なみなみと注いでもらって一口飲んだ)
昼食もそこそこに、今日のもう一つの目的地「川越」へ向かう。
会場すぐ横では「よさこい陣屋まつり」があっていた。よさこい祭りは全国いたるところで、何時もあっている気がする。あっちこっちと遠征するのが楽しみの人たちも多いだろう。ウォーキングの遠征も同じだよな。
(よさこい祭り)
東武東上線東松山駅から川越駅へ。20分少々で着いた。
駅構内の観光案内所で道順、お勧めを聞いて、バスで仲町へ行く。降りたところはもう人ひとヒト。今日は日曜日でもある。
由布院でも人の多いことにびっくりしたけど、またもやである。九州の由布院が東京近郊の川越と同じような人出なのは凄いことなんだ、と妙な関心をしてしまった。
休日は写真を撮るには人と車が多すぎる。
(川越の街並み)
(川越の街並み)
(川越の街並み)
(川越の街並み)
川越へ来たらここと、「時の鐘」をめざす。写真を撮っていると熊本の知人から電話。熊本は雨が降っているようだ。明日は関東が雨だろう。
川越の食べ物としてはうなぎとおいもが有名だ。うなぎやさんはどこも多そうだ。時の鐘の横でおいもソフトクリームをいただいた。私はすぐに買えたけど、食べ歩きして戻ってきた時には列が出来ていた。
(川越の時の鐘)
(おいもソフト)
(おいもは日本一)
(川越の街並み)
どこも人が多いので「川越まつり会館」に入った。川越まつりは1648(慶安元)年に川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことが始まりとされている。川越は新河岸川の舟運で江戸と結ばれ、江戸の文化を祭りにも取り入れて発展させてきた。今では江戸の天下祭の様式や風流を伝える貴重な都市型祭礼として続いている。
川越は小江戸と呼ばれている。小京都は数多くあるが小江戸は川越だけである。川越は明治の初め大火があり街並みが消滅した。その時復興に当たったのが江戸の大工さんだったので江戸の町並みが残ったと、ぶらタモリで説明されていたと思う。
それ以前から祭りに江戸の精神をとりいれてきていたのだった。川越は外観だけでなく心意気も江戸を伝えているのだった。
(川越まつりの山車)
蔵造りの町並みを外れて、氷川神社へ行った。思ったほど境内も社も大きくはなかった。
七五三の親子の姿が多かった。孫たちの七五三はどうするんだろう。
(氷川神社)
(氷川神社)
(氷川神社)
(氷川神社)
(川越街中を走るバス)
蔵造りの町並みに戻ったらCOEDOビールと「小江戸黒豚」のハム・ソーセージのお店「ミオ・カザロ」があったので入った。夕食の時間には少し早かったけどハム・ソーセージとパンのセットを注文して、COEDOビール紅赤と漆黒を飲んだ。紅赤はさつま芋が原料となっている。紅赤はほのかに甘く、漆黒はほのかに苦味がある。COEDOビールはこのほのかさがいいと思う。
(紅赤)
(漆黒)
小江戸川越で、COEDOビールを飲んで埼玉県2日目は終わった。
11月1日(日)
東武東上線鶴ヶ島駅を6時16分発電車に乗り15分程で会場のある東松山駅へ。
主会場の松山第一小学校へ向かう商店街を歩いていると、「祝ノーベル物理学賞梶田隆章先生 東松山市出身」の垂れ幕が飾ってある。3日間歩いていると、お祝いの看板や幕などがいたるところにあった。
(東松山商店街)
受付を済ませ、7時30分に20K、30Kコースのスタート。
私は20Kコース(実距離22K)に参加。しばらくは集団の中で歩く。
(中央会場)
下沼公園で写真を撮ろうとしたら、空に「朝の月」が。
幸先のいい秋のウォーキング日和だ。
(下沼公園)
(道沿いで)
しばらく行くと岩肌になにやら穴のようなものが見える。近づくと「岩室観音」があった。お堂の中に上ったら岩に囲まれて不思議な空間だった。
(左に岩室観音)
(岩室観音)
古墳時代後期に使者を埋葬する墓穴として造られた、国指定史跡「吉見百穴(よしみひゃくあな)」はそこから直ぐのところにある。ここも不思議な空間である。
明治以来、横穴の性格をめぐって考古学者がさまざまな意見を発表したが大正時代に墓穴と結論づけられたという。
第2次大戦末期、岩穴の中を堀り、地下軍需工場の建設が行われたので中は空洞になっている。3,000人から3,500人の朝鮮人労働者により堀削工事が行われた。
横穴の一つに国指定天然記念物のヒカリゴケが自生していた。
(吉見百穴)
(吉見百穴)
(戦時中掘られた洞窟)
(ヒカリゴケ)
ここが20Kと30Kの分岐点である。20Kは滑川の土手に出て、歩く。
川沿いをはなれてからは緑に囲まれた道や田園風景の中を気持ちよく歩いた。
(滑川)
(滑川土手)
(東農大三高)
(木々の中を歩く)
(田の中を歩く)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
東松山ぼたん園にチェックポイントがあった。
ぼたんは季節はずれであったが、10月桜は大きな木だった。
(ぼたん園で)
(ぼたん園で)
(ぼたん園で)
秋葉神社、宗梧寺を通り森林公園へ。
秋葉神社はこの地の旗本森川氏が1658年に勧進した神社。宗梧寺は森川氏の菩提寺。
(秋葉神社)
(宗梧寺)
(道沿いで)
(道沿いで)
森林公園は明治百年記念事業の一環として、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市楊井にまたがる304haの広大な丘陵地に整備された、全国で初めての国営公園で、国営武蔵丘陵森林公園が正式名称である。
「広い」というのが実感できる。紅葉は始まったばかりという感じである。夜はライトアップされて開園されているようだ。
公園内にはコースの矢印がなかったので前に行く人についていくしかない。写真を撮りながらも逸れないようについて行った。
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園)
(森林公園南口)
(森林公園南口)
(森林公園南口)
森林公園南口を出ると、「駅まで〇K」の案内板が続く。何駅だ、と思いながら歩いて行くと「森林公園駅」があった。
(駅までの道標)
駅からゴールまでは近かった。12時50分前にゴールしてビール売り場へ。味噌だれ焼きそばとともにいただく。
(中央会場)
(なみなみと注いでもらって一口飲んだ)
昼食もそこそこに、今日のもう一つの目的地「川越」へ向かう。
会場すぐ横では「よさこい陣屋まつり」があっていた。よさこい祭りは全国いたるところで、何時もあっている気がする。あっちこっちと遠征するのが楽しみの人たちも多いだろう。ウォーキングの遠征も同じだよな。
(よさこい祭り)
東武東上線東松山駅から川越駅へ。20分少々で着いた。
駅構内の観光案内所で道順、お勧めを聞いて、バスで仲町へ行く。降りたところはもう人ひとヒト。今日は日曜日でもある。
由布院でも人の多いことにびっくりしたけど、またもやである。九州の由布院が東京近郊の川越と同じような人出なのは凄いことなんだ、と妙な関心をしてしまった。
休日は写真を撮るには人と車が多すぎる。
(川越の街並み)
(川越の街並み)
(川越の街並み)
(川越の街並み)
川越へ来たらここと、「時の鐘」をめざす。写真を撮っていると熊本の知人から電話。熊本は雨が降っているようだ。明日は関東が雨だろう。
川越の食べ物としてはうなぎとおいもが有名だ。うなぎやさんはどこも多そうだ。時の鐘の横でおいもソフトクリームをいただいた。私はすぐに買えたけど、食べ歩きして戻ってきた時には列が出来ていた。
(川越の時の鐘)
(おいもソフト)
(おいもは日本一)
(川越の街並み)
どこも人が多いので「川越まつり会館」に入った。川越まつりは1648(慶安元)年に川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことが始まりとされている。川越は新河岸川の舟運で江戸と結ばれ、江戸の文化を祭りにも取り入れて発展させてきた。今では江戸の天下祭の様式や風流を伝える貴重な都市型祭礼として続いている。
川越は小江戸と呼ばれている。小京都は数多くあるが小江戸は川越だけである。川越は明治の初め大火があり街並みが消滅した。その時復興に当たったのが江戸の大工さんだったので江戸の町並みが残ったと、ぶらタモリで説明されていたと思う。
それ以前から祭りに江戸の精神をとりいれてきていたのだった。川越は外観だけでなく心意気も江戸を伝えているのだった。
(川越まつりの山車)
蔵造りの町並みを外れて、氷川神社へ行った。思ったほど境内も社も大きくはなかった。
七五三の親子の姿が多かった。孫たちの七五三はどうするんだろう。
(氷川神社)
(氷川神社)
(氷川神社)
(氷川神社)
(川越街中を走るバス)
蔵造りの町並みに戻ったらCOEDOビールと「小江戸黒豚」のハム・ソーセージのお店「ミオ・カザロ」があったので入った。夕食の時間には少し早かったけどハム・ソーセージとパンのセットを注文して、COEDOビール紅赤と漆黒を飲んだ。紅赤はさつま芋が原料となっている。紅赤はほのかに甘く、漆黒はほのかに苦味がある。COEDOビールはこのほのかさがいいと思う。
(紅赤)
(漆黒)
小江戸川越で、COEDOビールを飲んで埼玉県2日目は終わった。
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