「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 過去記事コピペ文)
その38 「モザイク」
昭和30年(1955年)9月16日(金)、天気 雨、
起床 6時、
1限目 耺業、木の種類、
2限目 数学、
3限目 理科、植物採集、
4限目 習字、記念祭書道展、
5限目 図画、モザイク、
6限目 西山先生✕(不在)、図画、モザイク、
1、当番だった、
2、貯金をした、(百円)
帰家(帰宅) 15時半、
1限目の授業「耺業」は、主要科目で無かったことも有り、担当教師がまた、おおらかでのんびり、ずんぐりむっくり、髭面のおっさん型教師だったことにもよるが M男には遊びの時間のような感覚だったような気がする。教師の名は 確か、池田二郎先生。余程印象深かったのか、当時の先生の容貌、風体までが、未だに目に浮かんでくるようだ。
5限目の「図画」の授業、モザイクと書いてある。6限目も、授業担当教師が不在で、引き続き 「図工」、モザイクになったようだ。
M男が、「モザイク」と言う言葉が、写真等の一部をボヤかす手法の一つであることを知ったのは、随分後年になってからのことで 当時、使っていた「モザイク」という言葉は、まるで違う意味の言葉だった。未だになんとなく覚えているが、各自、家から卵の殻を学校に持って行き、それをランダムに細かく割り砕き、各片に、絵の具だかポスターカラーで、バラバラに色塗りをし、その小片を下絵した板の上に糊で貼り付けていき、1枚の絵に仕上げることを「モザイク」と呼んでいたのだ。一種の切り絵のようなものだが、出来上がったものにラッカーニスを塗ると、テカテカした飾り物のようにもなり、文化祭に陳列する作品にもなったような気がする。不要なものを使い、教材費を掛けない、苦肉の授業だったのかも知れない。
1、当番だった・・・と書いて有る。多分、授業が終わった後に、黒板を綺麗にしたり、机の並びを直したり、窓を閉めたりする教室当番のことだと思われる。
2、百円を貯金した・・・と書いてある。当時のM男にとって、100円は、現在の数千円の価値だったのかも知れない。もしかしたら、9月9日の村祭りの来客からいただいたお金だったのかも知れない。金融機関等見たことも無かった山村の暮らし、多分、学校の近くに有った簡易郵便局に寄ったのだろう。現在のような通帳ではなく、やたらゴム印や判子を押したジャバラのようなものだったような気がするが、記憶定かでは無い。
15時半に家に帰ったようだ。