たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

母親の家計簿から見えてくる昭和40年代

2020年08月22日 06時42分22秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

M男は 太平洋戦争末期、父親の郷里、北陸の山村に疎開し そのままその地に定住した家で育ち、高校卒業まで暮らした。長年空き家となっていたその実家は 数年前に解体し 今は荒れ地となっており 郷里に 帰る家は無い。
実家を解体する前の数年間は 戦後の貧しい暮らしの中、もったいない、もったいないで捨てることをしなかった家族が遺していった気が遠くなる程の雑物、生活用具や農機具、空き瓶、空き缶、菓子折りの空き箱から発泡スチロールのトレーに至るまで、ぎっしり詰まった部屋、納屋、押入れ等の 整理、分別、廃棄処分、片付けに 車を飛ばし、通い続けたものだった。今思うに ぞっとするし、よくもまあ、出来たものだと我ながら思っている。
ある時、押入れの奥の奥等から引っ張り出した木箱等から M男の記憶からは完全に消えていた子供の頃の日記や通信簿、作文や絵等が出てきたことが有った。まるでタイムカプセルを開けるが如くの ある種感動さえ覚え、しばし手が止まったこともあった。その中から、とりあえず これだけは・・・等と ダンボール箱に詰め込んで 持ち帰っていた雑物が有るのだが、結局、放置したままになっており、その整理処分もしないといけないことになっている。
母親が付けていた家計簿の一部も 持ち帰っていた。びっちりと書き込んであり、家計簿というより日記に近く、よく読んでみると 当時の実家の暮らしが見えてくるようで懐かしいが、時間も掛かるし、とても読んでみようという気力が起こらず、やはり 処分するしかないと決め込んだところだ。

その内の1冊、1969年(昭和44年)の家計簿を パラパラと開いてみた。
5月23日(金)だけ 読んでみると・・、

曇のち晴、
家(ウチ)の田植え、
スワ 2人、オケヤ 3人、万助 1人、今井 2人、家(ウチ) 2人、

朝飯前(アサハンマエ)より苗を取る。夕べも少し取ったから 家(ウチ)のだけなら そんなに苗がいらないのに、人にくれる為に ずいぶん苗代にいた。午前中に新田と整理田を植え、午後 「モチ」と「越ヒビキ」を植え、夕方遅くなったけど 苗代も植えてもらふ。


当時はまだ 田植え機等普及していなかった時代だったと思う。田植えは 人海戦術。「ゆい」と言って 親戚知人が手伝いにきて 予め決めた順番で もちまわりで 田植えをしていく時代だった。
その日は 家(ウチ)の田植え日だったようだ。
総勢 10人。こびり(休憩時のおやつ)やお茶、昼食の用意等 裏方も大変で 祖母と妹が 担っていたのだろう。
その後、田植え時期はどんどん早まり、ほとんどがゴールデンウイークの間に終わらせるような時代になってきて、かなり後年になってからは、M男も 連休を利用して 毎年車を飛ばし、手伝いに駆け付けたものだが、昭和44年の頃はまだまだ、1年に1度の帰省もままならない頃であり 父母も若く 「ゆい」も有り、祖母、妹もいたことで 遠くから見守るだけだったのだと思う。



相互フォロワー登録している たなのぶ様のパソコン画、
ご本人のご承諾を得て拝借している。


実家に残っていた写真、田植え風景
撮影年月日不明だが 多分 昭和30年代、40年代の写真、
母親、遠い親戚、叔母、
今は もう みーんな いない。
女衆は モンペ姿、手拭いは姉さん被り


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8 コメント

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Unknown (ミミ3103)
2020-08-22 10:22:28
おはようございます☀💦

お母様の遺された貴重な家計簿、、、
婦人雑誌の付録を使われていたのでしょうか?
田植え風景も当時の私の郷里の光景と殆ど変わりなく、同じように親戚同士もちまわりでやってた事思い出しました、、、
裏方の苦労は考えた事ありませんでしたが畦でワイワイガヤガヤ言いながらいつもと違ったご馳走?を食べながら休憩した記憶が蘇りました、、、
M男少年の記憶又楽しみに待ってます、、、
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takeziiさんへ (yoshi)
2020-08-22 11:10:00
 こんにちは。
昔が蘇ってくるようなブログでした。私のお袋も田植えや稲刈り時期に実家(大百姓)へ手伝いに行ってました。親父はその度に「家をホッタラカシしてー」とブウブウ文句を言っていた事を覚えています。田植えや稲刈りは当時、人海戦術で農家さんは大変だったようだ。お袋はその度に板挟み、苦労したんです。

 家計簿は当時の記念品、家宝です。大事にしてブログに活用して下さい。
               From Yoshi
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ミミ3103さん、こんにちは、 (takezii)
2020-08-22 11:10:42
母親が家計簿をずっと付けていた事など知らなかったんですが 仕舞い込んで有り、パラパラと捲ってみたら 日記を兼ねていたようで びっちり書き込まれており、なんだか そのまま廃棄処分出来ず 一部持ち帰ってきていたんです。でも 結局、読む気力もなく 廃棄処分するしかなくなりました。
わずか数行のメモから 当時の情景まで 思い浮かんでくるから不思議ですね。
コメントいただき有難うございます。
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yoshiさん、こんにちは、 (takezii)
2020-08-22 11:25:13
当時 田植えや稲刈りは 人海戦術、中学生、高校生の男の子等は 男衆に数えられて動員させられていました。
農業機械の普及、農業人口激減で 農事風景も 急速に変わってしまっていますが、昭和40年代は、まだ あんなだったか・・つくづく思います。
わずか数十年前の話なのに、なんだか 昔、昔の昔話のような・・、
コメントいただき有難うございます。
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Unknown (mirapapa)
2020-08-22 11:35:13
懐かしいです!
我が家も私が高校生の頃まで手植えで、田植えといえば親戚が集まっていました。
ご近所さんの手伝いもあって、にぎやかなものでした。
早朝から女性陣が苗取りしてくれたのを、男どもが紐を引いた田んぼに並んで、速さを競うように植えていたものです。
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mirapapaさん、こんにちは、 (takezii)
2020-08-22 11:43:51
田植えのやり方、地方によって いろいろ有るようですが、私の実家地方では 男衆の一人が 枠型を転がしてゆき その後を 横並びで手植えしていくやり方でした。腰を曲げたままの姿勢、女衆に混じって手伝いましたが 今思えば 過酷な仕事をしていたものだと思いますね。
コメントいただき有難うございます。
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Unknown (yamautiso)
2020-08-22 13:30:57
今日は、懐かしいですね 私も結婚して50年間ずうっと婦人ざつし
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yamautisoさん、こんにちは、 (takezii)
2020-08-22 15:49:23
家計簿、良くは知りませんが 婦人雑誌正月号の付録?、でしたでしょうか。
結婚以来50年間、婦人雑誌購読、それも凄いですね。母親は 多分 昭和40年代になって やっと 正月号1冊だけ、買えるようになって 家計簿始めたんだと思います。とにかくなんでもとっておく性分で 実家解体の際は、往生しました。
yamautisoさんのブログ、ちょっと見当が付きませんで こちらでコメントお礼とします。有難うございます。
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