たけじいの気まぐれブログ

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「中学生日記より」その64

2024年01月28日 16時13分31秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で、一度書き込んだことの有る「中学生日記より」、順不同、で、ボチボチと、コピペ、リメイクしているが、まだ、少し残っており、再開?
「中学生日記」とは、北陸の山村で中学生だった頃のM男が、ほんの一時期だが、付けていた日記帳のことで、数年前に実家を解体する際に発見した、変色、腐食し、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等まで、全て押し入れの奥に詰め込んでいたようで、その中から出てきたものだ。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じがして、即廃棄処分出来ずに、持ち帰っている。ページを捲ってみると、日毎に、わずか数行のメモ、日誌のような類ではあるが、自分で書いた文字から、すっかり喪失してしまっていた当時の情景までも、断片的に炙り出されてくるから不思議である。まさか 60数年後に、第三者の目に晒される等とは、当時のM男には想像すら出来なかったはずで、下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その64 「田植えが始まる頃」

昭和30年(1955年)6月1日、水曜日、晴、

第1限目 「音楽」、太平洋、強弱記号、
第2限目 「図画」、モザイク、
第3限目、第4限目 「映画」、
     「月の物語」「運動の法則」「ガラス」「火の歴史」「ニュース」等
1、くりのき(栗の木)にたかる「くりまたばち(蜂)」退治してくれと
  たのまれた(頼まれた)。
2、田うえ(田植え)が始まったので、今日から昼前限り(授業は午前中で終わり)
3、父が休んだ。親戚の田植え手伝いのため。
  学校へ、自転車に乗って行った。
4、テキストの帰りに、どこかの家へ自転車をぶつけた。
5、始じめて(今年初めて)、ふせばりをかけて見た(伏せ針を仕掛けてみた)
6、うちの田うえ(田植え)は 6日ときまった(決まった)
(宅) 13時10分


当時、M男の通っていた、北陸の山村の1学年1クラスの小さな小学校、中学校併設校では、田植えの時期のピーク、稲刈りの時期のピークには、必ず約1週間の「田植え休み」「稲刈り休み」が有った。
井の中の蛙大海を知らず、M男達は、それが当たり前のことと思っていたものだが、ほとんど農家の子供だったこともあって、中学生ともなれば、一人前の労働力?、学業より家の手伝い優先という考えが、まだ、その地には有ったのかも知れない。さらに、「田植え休み」「稲刈り休み」に入る前の1週間位は、授業は午前中で終わり、午後は放課、家の手伝いの無い者は、部活等に充てていたような気がする。
M男は、郷里を離れた後も、長年に渡って、「田植え」や「稲刈り」の手伝いに、わざわざ、帰省することを続けたが、機械化、その他の事情も有って、後年、「田植え時期」=「ゴールデンウイーク」というイメージになってしまった
が、ほとんど人力の当時はまだ、6月初旬だったということになる。

第1限目の「音楽」、太平洋、強弱記号
  「太平洋」って何?、曲名かな?、良く判らない。
第2限目の「図画」、モザイク
  確か、各自家から卵の殻を乾燥させ持ってくるように言われ、それを割って小さな断片にして
  絵の具で12色だか何色だかに色付けし、その1片1片を、あらかじめ下絵を描いた板に
  糊で張り付けていくという授業で「モザイク」と呼んでおり 出来上がった作品は、
  秋の文化祭に展示していた。
  後年になってからのこと、写真や映像の一部等を隠す手法を「モザイクを掛ける」ということを
  知った時、なんとなく違和感を感じたものだった。
第3限目第4限目は「映画」「月の物語」「運動の法則」「ガラス」「火の歴史」「ニュース」等
  各学年1クラスの小さな小学校・中学校併設校のこと、全校生徒児童が、大教室に集合し、
  教育用映画を見る授業が、年間に何回か有った気がする。
  その日もそうだったようだ。白黒で、退屈な内容が多かったような気がするが、通常授業と
  異なり、ワイワイガヤガヤ、喜んでいたように思う。
  廊下の壁に、投影用の穴が開けられており、機械に強いI先生が、廊下で映写機を操作、
  時々、フィルムが切れて修復したりの間が有ったり、なんとものんびりしたものだったが。

1、栗の木に、「くりまた蜂」、
  「くりまた蜂」???、全く記憶が無いが、敷地内に栗の木が有ったことは覚えており、、
  蜂が巣を作って飛び回っていて危険なので退治しろ!と親から命じられたのかも知れない。
3、父が休んだ。学校に自転車に乗って行った、
  当時、M男の家には、まだ自転車が1台しか無く、父親が通勤に使っていたため、
  普段乗ることが出来なかった。その日は、父が親戚の田植えの手伝い(結・ゆい)のため
  休んだため、
自転車が空き、M男は、それを借りて学校に乗って行ったということだと思う。
4、テキストの帰りに、どこかの家へ自転車をぶつけた、
  「テキスト」の帰り?って、何のこと?、分からない。
  多分、放課後、学校で何か有り、その帰り道、慣れない自転車で運転を誤り、
  どこかの家にぶつかった?ということなのだろう。
  全く記憶が無いが・・・。
5、今年初めて、伏せ針を仕掛けてみた、
  当時、近所の子供達はつるんで、徒歩20分~30分の川に、夕方に出掛け、
  1m程の棒の先に、釣り糸をくくりつけ、釣り針にミミズ等の餌を付け、
  川べりに、大きな石で押さえて仕掛けて帰り、
  翌日早朝見に行き、ウグイ、フナ、ナマズ、コイ等が掛かるのを
  楽しみにする遊びが流行っていた。
  「フセバリ」と呼んでいたが、多分、釣り針を伏せて置くことからの言葉で、
  「伏せ針」でいいのではないかと思われる。
  年上の子供等から、大物が掛かった話を聞いて、夢中になった時期が有ったが
  M男自身、大物が釣れた記憶は、全く無い。
6、ウチの田植えは,6日と決まった、
  当時、「田植え」や「稲刈り」は,親戚同士が日を決めて順番にお互い家族全員で手伝いに
  行く習慣が有った。後に、「ゆい(結い)」と呼ばれる習慣であることを知ったが、
  子供心には、何日も他所の手伝いをし、田んぼの少ないM男の家は、簡単に終わって
  しまうのは、割が合わないことではないかと考えたこともあった。
  M男の家の「田植え」は、6月6日と、決まってようだ。
帰宅 13時10分、
  授業が午前中だけとうことは、弁当は持っていかなかったはずで、多分、「バアチャ」が
  用意してくれた昼食にかぶりついたのだと思う。


 


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