インクルーシブな社会のために

障害の有無程度に関わらず支え合う社会へ ~ハマジョブネットワーク~

夕張・地域医療再生へ

2007年05月28日 | 記事
5月27日、NHK教育テレビのETV特集で
地域医療再生への挑戦 ~夕張市立総合病院の100日~を見た。
財政破綻した夕張市の病院を建て直すために奔走する村上医師と
彼を支えるスタッフたちのドキュメントだ。

「医療は町作りの一環」という彼の持論はとてもうなづける。
対症療法でなく、予防に重点を置き、
いらずらに病院に頼ろうとする患者を励ます。
同時に患者の家に積極的に往診をして家族を励ます。
カウンセリングの意味合いが大きいと医師は言う。

障害福祉もまさに町づくり。
いかに支え合う地域社会を作り、その中でいかに自立を実現させるか、だからだ。

また、患者への心配りを重んじる姿勢も印象的だった。
屋内が明るくなるよう、レイアウトを変更したり、
患者に運ばせていたカルテをスタッフが運んだり、
患者が幼い子どものときは白衣を脱いだり。

薬剤師の先輩が後輩に言う。
患者さんはこちらが言うことの3割くらいしか理解していない。
それより患者さんの方から話をさせること。

役所にいて市民対応をしていると、よくわかる。
市民がある要件で訪問または電話してきたとする。
役所の職員は、その要件につき、自分がわかることなら即答し、
わからないことなら、担当する部署に引き継ごうとする。
それはある意味、論理的で迅速な対応である。

しかし、実は、その市民はその要件で来たのではない、
あるいはそのことを市民が自覚していないことが多い。
また、その要件の裏にそもそも考えるべき問題が潜んでいることが多い。
そのことがわからないと、問題は解決されないままになるのだ。

ドキュメントでは行政が民に投げっぱなしにする体質も現われた。
安くなるからだけの理由で民間に委譲するのは安易過ぎる。
行政は何に責任をもたなくてはならないかを明確にした上で
民間に任せないと、意味がない。

やはり、夕張市の事例は、全国の問題の象徴である。

ヘルプマン!

2007年05月21日 | 記事
最近読んだマンガ「ヘルプマン!」。
介護福祉に熱中する若い青年たちとその現場の話だ。
これが実に面白い。

主人公は、熱血な百太郎と、冷静な仁といって性格は違うが、
二人とも親友として信頼し合い、何より、
支援を必要とするその人を主体として考えることを第一の理念としている。

そのためには、制度や役所を敵に回すことも厭わない。
痛快だ。

それでいて自分たち民間業者ですべてやろうとするのではなく、
社会資源をどう組み合わせて対処するかを考える。
これこそ、行政や公共に関わる人としてあるべき姿勢!

横浜市=政令市においては区役所が最前線であり
局というところにいると、現場感覚を失いがちだ。
もっと出かけていかないとな、と思った。

また、このマンガの中で、高齢者の性を取り上げた話がある。
これも非常に重要なテーマだ。
いたずらに高齢者の性をタブー視するのではなく、
普通の人間なら当然、興味があり、人生を豊かにするものとして考えるべきだ。

個人的に一番好きなのは、いいことがあったときの
じいちゃんばあちゃんの笑顔。
こういうのがあるから、辞められないんだよなあ、と思う。

単行本を7巻まで大人買いして一気に読んでしまったが
次の展開が待ち遠しい。

川崎市との連携

2007年05月21日 | 記事
5月18日、川崎市役所の政策課題研究発表会に参加。
昨年度、川崎市役所の職員が、障害者雇用をテーマに
政策課題研究チームを立ち上げ、横浜にもヒアリングに来られた。

その研究がまとまり、発表会をするが、
引き続いてパネルディスカッションをするから
そこでコメントしてほしいとの依頼。
僕の他にもいろんな立場の人が参加した。

昨年度にヒアリングをお受けしたときは気軽に好きなことを喋ったが
こうして、川崎市役所の意欲ある職員や
さまざまな専門家とお会いできて有意義だったと思う。

川崎市の提案は、横浜としても参考にしたいものだ。

また、川崎市から、これから障害者の就労支援を担うセクションとして、
できれば他都市も入れて連携していかないかと打診があった。

今後も国とやり取りをする中で、国と自治体が1対1で話すのではなく、
自治体同士で連携をする必要があるのは言うまでもない。
市民にとってもそれが幸せなことだろう。

ネットカフェ?

2007年05月15日 | 記事
5月12日、土曜日の朝、横浜東部就労支援センターに行く。
そこでは、このセンターから就職した方が数人集まり、
パソコンのゲームに興じていた。

ゲームといっても、パズル形式で、頭を使う。
パソコンは2台で、2~3人が1台に集まり、騒いでいる。

それを、センターのスタッフが楽しそうに眺めている。
彼はこれをネットカフェと呼び、就職後のフォローとして位置付けている。

グループで腹を割って話している中で、
1対1の面接ではわからない、その人の状況がわかるのだそうだ。

就職後の支援というと、訪問や面接、
あるいは余暇支援的に遊んだり出かけたりすることが多いが、
ただ部屋でパソコンで遊んでいるだけでも意義が大きいのだ。

労働CSR

2007年05月15日 | 記事
5月9日、ILO(国際労働機関)が主催する労働CSRのシンポジウム。

日本ではCSRというと環境が進んでいて、労働が遅れているとのこと。
一方、ヨーロッパでは逆だという話があった。

これは、日本では労使問題は企業内において、
終身雇用や年功序列で守られてきたのに比べ、
欧州では業界において激しい紛争になっていたからだという。
また、アメリカでは児童労働を行った企業に対する不買運動が起こるという動きもある。
なかなか日本では考えられないことである。

しかし、生産性が低下している現状、かつ少子化対策を考えると、
いかにいい働き方をするかが日本の将来を左右するのだ。
そこで、労働CSRが、企業のためでもあり、社会のためでもある、となる。

世界では、ISOとしての検討もされているそうだが、
国際的な要請をされるまでもなく、自発的に労働CSRを考えていきたいものだ。

いのちの手紙

2007年05月05日 | 記事
最近、『いのちの手紙』という本を読んだ。
以前、障害者雇用をしていた企業が、その被雇用者に対し
虐待をし、ついには殺めてしまった事件があった。
著書は、これを追及する人々が、その企業だけでなく、
職業安定所、労働基準監督署、県行政に対しても訴え、
全面勝訴した経緯を記したものである。

自分も行政の立場にある人間として、
気をつけないといけないと思った。

障害者を支援する、という名の下、
健常者なら当然という常識を当てはめずに、
聖域化しすぎていないか?

たとえば、健常者であれば働くのは当然だし
最低賃金以上の賃金を得るのは当然だ。

だが、障害者だからといって、働かなくてもよい、
最低賃金未満でもいいと甘んじていないか?

もちろん、はっきり割り切れるわけではない。
その人の状況や能力によっては、
働けないこともあるだろうし、
他の従業員の働き分と比べて能力以上に賃金を支払うことは
不合理、ということもあるだろう。

それでも、障害がある人だって普通の人であることを忘れてはならない。
人としては普通。
ただ、ある面で、支援が必要、ということ。

支援が必要である場合には、行政はじめ地域や社会が
責任をもって支援をする。

オールオアナッシングで割り切れる問題ではないけど、
人間とは本来割り切れる存在ではないわけだし、
ケースバイケースで悩みながら現実に対処していくしかない。
少しでも一人一人の人間の尊厳をみんなで守っていこう。