インクルーシブな社会のために

障害の有無程度に関わらず支え合う社会へ ~ハマジョブネットワーク~

新しいフラワーショップの企画

2005年09月27日 | 記事
09月26日、新しいフラワーショップを作って、障害者を雇用したいという方と面接。

障害者雇用を前面に出したくないですよねーと盛り上がる。
他にも鶴見という地域のローカルな話題や、提案された方の息子さんと僕が同じ名前(読み)ということや、社会人として勉強することなど、直接企画と関係ない話に花が咲く。

しかし案外こういうことが大事なのだろう。

喫茶店を作るプロジェクト

2005年09月27日 | 記事
障害者の就労の場を作ろうと市民に呼びかけたENJOYベンチャー。
そこへ喫茶店を作りたいといらっしゃった方のプロジェクト。
物件も決まり、いよいよオープンに向けた本格的な助走。

これを手伝ってくれているのが、学生スタッフCafe-sta(カフェスタ)。
09月22日には市内の地区センターにて打ち合せ。
ネーミングや広報について検討。ブログも作っちゃいます。

クッキーやお茶の試食もした。いずれも独特な味わいで、味覚を楽しませてくれる。
休日にはCafe-staが商品の写真撮影を行う。いずれご紹介します。

tvk番組の撮影に同行

2005年09月27日 | 記事
今日、tvk「Hi!横浜編集局」(10月29日18:00~放送)の撮影に同行した。テーマはもちろん障害者の就労。
舞台は「グリーン」という農作業をメインにやっている地域作業所。

午前は撮影隊が2班に分かれ、畑仕事と、作業所での昼食の調理を撮影。
僕は調理のほうについていたがその美味しい匂いに気も狂わんほど(笑)。
午後は畑に移り、横浜市長とレポーターが加わり、一緒に作業。生き生きして働く市長の姿が印象的だった。
そこへ、調理班の数人が、おやつのふかし芋を持って登場。それを頬張りながら談笑。

この調理班の一人で作業所の職員の方と僕は1年半前からのおつきあい。
障害者の就労の場を作ろう!と呼びかけた「ENJOYベンチャー」というイベントの説明を聞きに来てくださったのが縁で、その後も彼女たちの勉強会に参加させていただいていた。
作業所に勤めている今も、新たなチャレンジをしたいと、再びENJOYベンチャーに応募してくださった。
ここが新たな出発点になるかもしれない。

曇の天気の下、電車や飛行機の騒音の中で、決して十分のどかとは言えないのだが、人々が労働に汗をかき、バッタやてんとう虫たちが集まる畑のそばで、僕はいつになく空気と緑を味わった。

障害者就労援助センターの選考会

2005年09月20日 | 記事
09月13日、横浜市役所が補助する、障害者就労援助センターの新設に伴う、運営法人の選考会が行われた。

就労援助センターは、主に知的障害のある方が、就労するため、あるいは就労を継続するために支援する専門機関。
現在横浜市には4箇所あり、それぞれ社会福祉法人や財団法人が運営している。
就労援助センターへの市の補助は、市の単独事業であり、1箇所に対しおよそ2,000万円を補助している。市の障害者就労援助施策の根幹と言ってもいい。

今回、新たに5箇所目を設置することになり、運営法人を公募したのだ。
選考会で、委員の議論を聞いていて、議論自体でも、意義があると思った。
実は、運営法人の公募は今回が初めて。
最初は、既に行われている先進的な取組みに、神奈川県・横浜市・川崎市が補助したのが出発で、その後、計画に基づきに増やしてきたのである。

選考の経過・結果はここでは書けないが、多くの法人が関心を持っていることがわかった。
今後もいろいろな主体が活動をさかんにすると、横浜のレベルがもっと上がるだろう。

映画「ヘンニムの輝き」

2005年09月19日 | 記事
09月10日、東京ウィメンズプラザにて、ドキュメント映画「ヘンニムの輝き」(パク・ユファン監督)を見る。

舞台は、川崎市、桜本。
戦時、多くの朝鮮人が日本人として移り住み、戦後、朝鮮・韓国人としてアイデンティティの葛藤や周囲の差別の中で生きてきた。
そこで、そのオアシスとして教会を中心に、民族教育・福祉・文化交流の活動が営まれてきた。
その一つが、桜本保育園。

しかし、時代の流れで、南米人、アジア人などのニューカマーの移住により、桜本は単なる朝鮮・韓国人だけの場ではなくなる。このとき、悩みながら、彼らは共生社会・共生文化の道を歩んできた。
桜本保育園にも、そんな多様な背景を抱えた子どもが通っている。ヘンニム(=太陽)は年長組の名前だが、同時に子ども一人一人である。

僕は、桜本には大学時代に行ったことが一度ある。社会教育のゼミで、ヒアリングを行ったのだ。
そのときは、ニューカマー以前の話のほうが比重が強かった。
だが映画を見て、時代の変化を感じた。
しかしながら、その変化に対応している(あるいは対応しようと懸命に努力している)ことができるのは、その土台としての、朝鮮・韓国人の活動・理念が根付いていたからであろう。

桜本は直接縁のない場所ではあるが、僕のフィールドワークの出発点の一つであり、同時に、韓国は、今の僕がもっとも愛している隣人である。
その意味で、自分を見つめ直す機会にもなった。

http://www.geocities.jp/kandjdocumentary/

横浜青年会議所の経済人会議に参加

2005年09月14日 | 記事
09月02日、横浜青年会議所(JC)の主催で、第19回横浜経済人会議が開催。

横浜JCさんは、政策を政治家頼みにしない、自ら作るんだ!という気概をもち、このたび、マニフェストを作られた。
そのマニフェストについての分科会に、一パネリストとして参加。

障害者就労のプロモーションをやっている僕がなぜ呼ばれたのか。
それは、僕が横浜市の職員提案制度に応募してその仕事をしている、つまり自ら仕事を考えて自らしていることと、雇用などの面で共生社会に企業が果たしうる役割について話をしてほしい、ということだったと理解している。

このイベントで、JCの方とお話をし、改めて、企業の視点に立ったニーズを考えることが重要であることを認識。
横浜市では、企業から仕事を受注し、作業所との橋渡しをしているが、その宣伝・営業方法についても教えられた。

同じパネリストとして、日本理化学工業の大山社長も来られていた。障害者を雇用している企業としては伝説的とも言える企業だ。
案の定、社長の語りは壮絶だった。重みが違う。改めてお話をうかがいたい。

その他にもパネリストとして、横浜市大の学生さんも参加していた。
ゼミの指導教授である齋藤さんによると、一般にCSR(企業の社会的責任)というと、東京の、大企業を想定している、だから、横浜の中小企業に合った「横浜版CSR」を考えるべきだと思ったというのだ。
そこに、共生の視点をより具体的に入れることができれば、と思う。

横浜JCの方も、「横浜を、ああ住んでよかったという地域にしたい。そこで、たとえば、障害のある方々が働きやすい地域というのがその具体例になるのでは」とおっしゃる。
それだけでなく、地域に貢献できる企業の基準、すなわち横浜スタンダードを作りたいと言う。
僕は身分は公務員であるが、思いと行動を共有させていただきたいなと考えている。

和み系ブログをプロデュース

2005年09月04日 | 記事
NPOのメンバーと、大阪の友人のブログをプロデュースしました。
その名も、「了(さとる)の日記」
http://www.kokoronet.com/satoru/
了さんは、大阪のヒューマンカフェ&ベーカリーに働く青年で、仕事のことなどを中心に日々の出来事を書いてくれます。
これまでにメールで日記を書いていたのですが、その内容がとても面白かったり、和んだり、力が出たりするので、ブログをお薦めしたのでした。
ブログはまだ出来たばかりですが、どんどん更新されていく予定ですので、ご期待ください。

アメリカのソーシャルアントレプレナーが来た!

2005年09月04日 | 記事
08月27日、日米ソーシャル・イノベーション・フォーラム。
アメリカのソーシャルエンタープライズ、アショカとREDFの中心人物が来て、その活動を報告してくれた。

アショカは1980年に設立されたワシントンDCの財団。世界中の社会起業家を発掘し、選定した社会起業家に支援をしている。その支援を受けている者はこれまで53か国で1500人!
REDFは、社会起業家への支援だけでなく、経済的利益・社会的利益という観点から社会企業のインパクトを評価しているサンフランシスコの財団。

いずれもビジネスや政治でバリバリやっていた人たちが、こういう分野に進出している。
つまり、ヒトとカネがぐるぐる流通しているのだ。
それが社会の発展をうながしている。
逆にいうとヒトとカネが動かなければ社会は発展しない。
そう言われればそうなんだけど、その規模が半端じゃない!

自ら動き、そしてヒトを動かし、カネを動かす。そして社会を変えたい。