撮影クルーと私とで1軒の農家に泊めてもらったんですけど、その家にはかわいい女の子・ビンビン(彬彬)がいました。というか、クルーが学校に行って、生徒たちのなかからビンビンを選んで、一家の生活を撮影することに決めたのです。
この子の父親は朝暗いうちに天秤棒をかついで水汲みにでかけます。クルーはそのあとを追います。ビンビンがその水で顔をあらう場面を撮影します。
短く切った車のタイヤが水桶としてつかわ . . . 本文を読む
1997年のことです。テレビ朝日が「素敵な宇宙船・地球号」シリーズ(トヨタ自動車提供)の番組を私たちの協力地で撮影するが決まり、当然、そのなかに農村生活は欠かせません。黄土高原の切り口として、水がいちばん重要でしょう。
私の頭に最初に浮かんだのは、天鎮県李二烟村です。あそこは村の横の谷底に小さな湧き水があり、村の人はその水を天秤棒で担ぎ上げて暮らしています。
ところが県政府の意見は「撮影は問題 . . . 本文を読む
苑西庄村のたいへんさは、通り一遍の貧しさだけでなく、飲み水にすら困ることです。以前は村のあちこちに井戸があったそうですが、つぎつぎに涸れ、私たちが訪れたころには水のでる現役の井戸は4つしかありませんでした。
村の男たちの朝いちばんの仕事は水汲みです。天秤棒の前後にバケツ2つを下げ、暗いうちから井戸の前にならんで順番を待ちます。遅くなるほど水が濁り、ついにはなくなってしまいます。そうなると、つぎの . . . 本文を読む
なぜかこの村のことがその後も気になって、1996年の春にまた訪れました。最初に訪れたあの家は1995年秋の長雨で倒壊していましたが、老夫婦は無事でした。
村の入り口に小学校があります。女の先生が1つの教室で1年から6年までの生徒を教えていました。この先生と親しくなり、いろんな話をきいたのです。
その先生は私よりかなり若いのですが、文化大革命の洗礼を受けた人です。大寨のそれが有名ですけど、各地に . . . 本文を読む
1994年3月に初めて苑西庄村を訪れたときのことを思いだすと、なぜか薄汚れたヒツジのイメージが浮かんできます。毛のうえからでも痩せているのがわかったくらいです。
一軒のあばら家にはいりました。あけすけにいうのは失礼ですけど、1995年の長雨でこの家はつぶれてしまいましたので、こう呼んでも差し支えないでしょう。
老夫婦と5歳くらいの男の子が夕食を摂っていました。若夫婦は出稼ぎにいっているとのこと . . . 本文を読む
広霊県苑西庄村を最初に訪れたのは1994年3月です。村に着いたのは夕方、小雪がちらついて、貧しい村がいっそう貧しく感じられました。
最初はこの村を訪れる予定はありませんでした。同じ郷の幹線道路近くにある楊窰村に小学校付属果樹園をつくる計画で広霊県を訪れたら、さらに奥にひどく貧しい村があるというのです。
3年つづきの旱魃で食糧も尽きかけているうえに、飲み水にも苦労しているとのこと。
私はぜひ行 . . . 本文を読む
台風21号の被害にあわれた方にお見舞いいたします。今日はまた北海道で地震です。日本列島が災害多発期を迎えていないか気になります。
黄土高原のレポートに戻ります。これは中国の養蜂家です。しごとが忙しそうだったので、声をかけそこなったのですが、中国の養蜂はものすごく広い範囲でおこなわれます。
以前にであった人は浙江省の人で、いったんハルビンまで北上し、南下してきて渾源県にいる、といっていました。そ . . . 本文を読む
蔚県の湿地をまわっているとき、立ち小便しようと思って、ひとりでヒメガマのかげにはいったら、そこで釣りをしている人がいました。すぐに小魚がかかったんですね。針を飲み込まれて、はずすのに苦労していました。で、ちょっと話しかけ、写真を撮らせてもらいました。
この魚、白条というそうで、じつは官庁ダムのそばの食堂で、からあげを食べた、あの魚です。おいしかったと思うのに、この人は捨ててしまいました。外道だか . . . 本文を読む
張家口市蔚県の南部は2000m級の山地です。そこの谷筋に昔から道路がつくられ、峠越えをしていました。有名なのが飛狐峪です。
昨年のツアーは飛狐峪とその先の空中草原を訪れたのですが、前中久行代表がさらによさそうなところをインターネットでみつけてきました。麻田嶺です。どちらがいいか下見に行きました。
景色のいいところを見たいだけじゃないのです。今年から玉壺湿地公園のなかに7.5ha(うち水面3ha . . . 本文を読む
もひとつ浸食谷の光景を。渾源県の北部、大同県との境界は龍首山と呼ばれる1500~1700mの低山です。例によって北面は切り立った崖になっており、南側はなだらかに丘陵状に広がっています。ここが浸食谷の多いところなんですね。
その典型的なところが、アンズの栽培に成功した呉城郷呉城村です。どこのアンズ畑のすぐそばにも深い浸食谷があります。なかには深さが100m近いところも。
村の裏手(北側)にも大き . . . 本文を読む
前回の浸食谷の写真は陽高県下深井郷のものなんですけど、ここを訪ねることにしたのは、前年1995年10月に水害の見舞いにでかけたことがあったからです。
ここ陽高県の民謡「高山高」の2番に「…靠着山呀,没柴焼。十箇年頭,九年旱一年澇…」とあります。10年のうち9年は旱魃で1年は大水…」というわけですね。
この年は7月までは深刻な旱魃だったのに、7月下旬から雨が降りだし、断続的に10月まで降りつづい . . . 本文を読む
写真は陽高県下深井郷にある浸食谷で、1996年3月に撮影したものです。私のすぐ隣にカメラマンの橋本紘二さんがおり、絞り、シャッタースピードなどのデータを教えてもらい、まったく同じにして撮影したのです。
同じような傑作が撮れたものと思ってたんですけど、あとで彼が『アサヒグラフ』に発表した写真とこれとを比べて、ショックを受けました。差がつくのはセンスなのでしょうね。
橋本さんは1995年から毎年数 . . . 本文を読む
大同の農村風景でびっくりさせられるものの一つが浸食谷でしょう。夏の雨が植生の乏しい大地をたたき、畑の土壌や山の表土を流してしまいます。
写真の場所は私にとってもっとも印象深かったところ。大同県徐町郷(当時)小王村の背後の山から北にレンズを向けています。狭い範囲に大小の浸食谷が108もあると地元の人は話してくれました。
前方にみえる水面は桑干河をせき止めている冊田ダムで、北京の水ガメ・官庁ダムを . . . 本文を読む
前回の「夢の国」の三嶺村は、甘いおとぎの国ではありませんでした。北隣りの陽高県の民謡「高山高」の2番にこんな歌詞があります。
「…靠着山呀,没柴焼.十个年頭,九年旱一年澇…」。上田信さんの訳をつかわせてもらうと、「山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は日照りで一年は大水…」。漢字というのはすごいですね。たった16文字でこれだけ深い意味を表せるのです。四半世紀以上、大 . . . 本文を読む
大同で最初に緑化協力に取り組んだのは、渾源県でした。1992年と1993年の秋、私はひとりで数十日間、この地方の農村に滞在しましたが、それも渾源県が中心です。
大同市内と渾源との移動は路線バスをつかいました。片道2.5元。車窓の景色がめずらしくてたまらないんですね。窓ガラスに顔を押しつけているのが、地元のほかの乗客にはふしぎでしょうがなかったでしょう。
大同県と渾源県とを分ける峠を越えて最初に . . . 本文を読む