1124話)南天門自然植物園の変遷(12)

南天門自然植物園にはたくさんの日本の専門家にきていただきました。初期に多かったのがこの方たちです。 立花吉茂先生はこのプロジェクトの提唱者でした。遠田宏先生(左端)は1994年夏に最初にきていただいて、その翌年は現役最後の年でしたから抜けましたけど、1996年からは春と夏の2回、毎年きていただきました。小川房人先生(右端)にも5回以上きていただいたと思います。 小川先生は話がとてもおもしろかっ . . . 本文を読む
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1123話)南天門自然植物園の変遷(10)

敷地の入り口近くの平坦地に管理棟を建てました。以前は流黄水という名の村があったところです。近くに湧き水がつくる池もありますので、生活にも便利。 大同事務所の武春珍所長の依頼でできあがった完成予想図をみてびっくりしました。おしゃれできれいなデザインなんですね。とにかく彼女は、なにをするときも、ハオカン・プーハオカン(好観不好観)を最重視していました。きれいか、そうでないか、です。 でも、そんな建 . . . 本文を読む
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1122話)南天門自然植物園の変遷(10)

プロジェクトが成功するには3つの条件が必須だと、私はいつのころか思うようになりました。自然の条件、社会的な関係、そして人的要素、です。なかでも重要なのが、人の要素。 端的にいえば、しっかりしたリーダーがいるかどうかです。それがあれば、ほかに欠けるところがあってもなんとかなります。逆に他の条件には恵まれていても、ちゃんとしたリーダーがいないことにはどうにもなりません。そのことによる失敗を、何度も何 . . . 本文を読む
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1121話)南天門自然植物園の変遷(9)

植物園のさしあたっての目標は、碣寺山でみた自然林を、公道の近くに再現することです。そのために、ナラなどの種子を集めてもらいました。最初の年はとくに苦労します。いつ熟するか、それがわからない。未熟なものでは発芽能力に欠けるでしょうし、落ちて時間がたつと動物に食べられる恐れがあります。それに、いったん乾燥させると、発芽しなくなる種もあるのです。 碣寺山の山頂までは、私たちの足では片道4時間もかかるん . . . 本文を読む
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1120話)南天門自然植物園の変遷(8)

プロジェクトをはじめるにあたって、近くの村と協定し、伐採をしない、放牧をしないことを約束してもらいました。でも、約束だけで問題が解決するとは思っていませんでした。物理的に守る必要があると思ったのです。 有刺鉄線を張ろうと私がいったら、そんなものはすぐに盗まれる、というのです。彼らの考えは土塀で囲うというもの。60~70cmのあいだをあけて板を2枚おき、そのあいだに黄土を詰め、上から突き固める。版 . . . 本文を読む
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1119話)南天門自然植物園の変遷(7)

起工式のあと、さっそく苗を植えました。ところが、ごらんのような荒れ山です。ここに「植物園」と名付けるのは、いくらなんでも恥ずかしくて、私はあいだに「自然」の2文字をすべりこませました。気休め以上ではないんですけど。地元スタッフの要望もあって、やがて南天門自然植物園の名を定着させました。 動物園だったら、パンダのような珍しい動物をつれてくれば、すぐに人を呼べるけど、植物園はそうはいかない、多くの木 . . . 本文を読む
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1118話)南天門自然植物園の変遷(6)

1999年の4月初めに、近くの南庄村の人たちと日本からのボランティアが参加して、起工式をもちました。そのときの写真がこれで、私が撮りました。だいたいの場所はわかっていますが、どこに立ってカメラをかまえたか、思いだせません。それくらい、風景が変わってしまったのです。 いちばん最初に大同を訪れた1992年1月から、私はビデオカメラを回していました。最初はHi8だったものが、やがてデジタル(テープ)に . . . 本文を読む
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117話)南天門自然植物園の変遷(5)

今回にかぎらず、太行山の山中で驚くのは、わずかでも平地があって、水があれば、そこに人が住み、村ができていることです。どういう経緯でこんなところに村ができたのか、そのたびにふしぎに思います。 じつは植物園の建設を決めた場所にも、村があったのです。水があり、苗を育てられる平地があるのですから当然です。でも、私たちが訪れる10年近く前に全戸が離村したそうで、低い石垣のあととわずかな果樹が残っているだけ . . . 本文を読む
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1116話)南天門自然植物園の変遷(4)

李向東さんたちが探してきた植物園の候補地は7か所ありました。1998年7月の暑いさかりで、それを見て歩くのはたいへんだったんですけど、最終的に7番目の場所、霊丘県上寨鎮南庄村の近くに決めました。 立花吉茂先生からは、高低差があって地形が複雑なところのほうが、たくさんの種類の植物を育てるのにはつごうがいい、という指示がありました。そのほかにも、村からあるていど離れていて守りやすいところ、育苗のため . . . 本文を読む
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1115話)南天門自然植物園の変遷(3)

それらの自然林をみたことで、緑化にたいする私たちの信念も大きく変わってきました。森林が成立する自然の条件はたしかにあるのです。どこでもとまではいわないけど、あるところにはある。 それなのに、山という山が丸裸になっているのは、人為的な要因が大きいのです。まずは過剰な耕作、つぎに過剰な伐採、過剰な放牧、その原因としての過剰な人口。 余計なことですが、原油価格があがると、石炭価格も上昇します。大同は . . . 本文を読む
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1114話)南天門自然植物園の変遷(2)

その翌年、1999年夏だったと思いますが、李向東さんに誘われて碣寺山の山頂から急斜面をくだって、谷底に降りてみました。川島和義副代表がいっしょ。手元の高度計によると、高低差が350mほどありました。山頂付近は若い林だったんですけど、谷の底には一抱え以上のナラ、クルミなどが繁っていました。そして、分厚く腐葉土がたまっています。 印象的だったのは、胸高直径25cmものナナカマドがあったこと。その話 . . . 本文を読む
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1075話)冬の緑の地球環境センター

この時期としては、気温のうえでは大同は暖かいようです。最低気温は零下15度近くになりますが、最高気温は零度を超える日が多いのです。それでも外にでると寒いですよ。というのは、何度も雪が降っており、そのために湿度が高いせいでしょうか。私もヒートテックのズボン下の上に、毛糸のマオクーをはいています。 緑の地球環境センターもこの時期は完全にお休みで、ただ門番さん2人がときおり外を見回っているだけ。慣れて . . . 本文を読む
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1066話)日陰斜面と日向斜面

大同のような乾燥地では北向きの日陰斜面(陰坡)は植物の育ちが相対的によく、南向きの日向斜面(陽坡)はよくないのです。上の写真は渾源県の北岳恒山の山頂(2016m)で私が撮ったもので、左側が北面で、右側が南面です。極端に表れてますでしょ。北面にはトウヒ、シラカンバなどの樹木が繁っているのに、南面は草もまばらです。 同じ現象は南天門自然植物園でもみられました。着工当初は日向・日陰に関係なく緑が乏しか . . . 本文を読む
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1065話)灌木のトネリコ

南天門自然植物園での日陰斜面ではナラをはじめとする落葉広葉樹の森林が再生してきました。南向きの日向斜面はどうでしょうか? 乾燥する日向斜面は植生が貧しいのです。そして、夏の雨によって土壌が流され、岩盤がむき出しになっているところもあって、なおさら植物が育たないのです。このプロジェクトがスタートしたころ、南斜面にはほとんど植生がありませんでした。 そこに徐々に樹木が戻ってきました。でも、喬木は少 . . . 本文を読む
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1064話)南天門自然植物園のナラ

南天門自然植物園で森林再生の中心になっているのは落葉広葉樹です。なかでもナラがおおいのです。リョウトウナラ(遼東櫟)、モンゴリナラ(蒙櫟)、ナラガシワ(槲櫟)、カシワ(槲樹)の4種がこれまでみつかっていますが、なかでも多いのが前2者です。おもに北向きの日陰斜面(陰坡)に繁っています。(上の写真) 10年近く前に管理棟から最上部(南天門という地名があり、地図にも記載されています)までのコンクリート . . . 本文を読む
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