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連休前に



外壁下地作業も本日完了し、明後日からフェルト作業です。
かなり丁寧な外壁下地としたため、時間がかかりました。

連休明けにラス張り、そしてモルタル塗りです。

連休前に何とか工事を終わらせたかったのは静岡の現場です。
しかし、天候のこともあり連休後に完了となりそうです。

連休中はお客様とショールーム見学を予定しているなど仕事の予定もありますが、2日ほどしっかり休める日をつくりたいと思っています。
しっかり体を休めないと仕事でミスすることも増えます。

無理してでも休むというのも大事だなと思っています。
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長野



鯉のぼりをみかける時期になりました。
我が家の鯉のぼりは今年一匹増えました。



この写真は、善光寺。
善光寺は7年に一度の御開帳時期。しかも足を運んだ25日(土)は中日庭儀大法要開催日。
想像以上の賑わいでした。



こちらは善光寺にある車いす用木製スロープ。
実は善光寺行きの目的はこのスロープをみるため。

とあるお寺のご住職から本堂まで車いすや高齢者の方が階段ではなくスロープで行けるようにしたいという相談を頂きました。
インターネットで検索してみたら善光寺にあることを知り、ちょうど友達がいる駒ケ根市に行く予定だったので寄り道することにしたのです。



この時期にいそいそとスロープの寸法を測る私はかなり珍しく、奇異な存在でしたが割と平気でした。
もちろん他の方に迷惑がかからないようしていましたし、ここまで足を運んだのだからきちんと得るものは得たいという気持ちが強かったのです。
やはり見てよかったなと思いました。
特別優れた構造でもないのですが、一から考えると結構大変なものです。
このスロープを参考にして図面を書きたいと思います。



この写真は回向柱。
そうはいっても七年に一度という言葉と、大勢の方が関心を示す御開帳を私も無視できなくなり、少しだけ見学。
7年後は御開帳を目的に善光寺へ行きたいな。
そう思って帰りました。

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続 清水の瓦 その2

最初は清水次郎長生家だった。
といっても私は次郎長という人物に精通しているわけではない。
さすがに今は多少知識も増えたが最初のころは質問されてもうまく答えられなかった。

それが功を奏したのかどうか分からないが、次郎長という人物に影響されないで生家という建物だけに向き合うことができた。
逆に任侠イメージが強くて抵抗感があるために次郎長生家という建物に対して冷静に向き合えない人もいたかもしれない。
次郎長に関することはやらない(関わらない)と考えている歴史専門家もいると聞いている。

しかし、清水湊の船頭の唯一残る建物という認識で向き合えば清水の瓦に出会った私のような体験ができる方もいると思う。
清水瓦以外にも失われ人々の記憶から消え去ろうとしている産業はまだ存在するかもしれない。

近畿大学の論文に出会い、清水の瓦を調査しているとき、こうであったらいいなという願望はあった。
しかし、そこまで都合よく事が進むわけがないという気持ちもあり、根拠ある資料を探すまでは自分なりに結論を出すことは避けたいと考えていた。
それでも次に行われる会合では、区切りとしてこれまでの調査結果を発表したいという気持ちがあり、調査が次郎長生家修復計画にもたらす影響や効果なども説得力のあるものにしなければという熱意もある。

清水湊の船頭の唯一残る建物を通じて、清水瓦のこと、巴川や清水湊のこと、それに関わっていた労働者たちのことを知る方増えたらいいなと思っている。
そして、次郎長という人物についても今まで知らなかった側面をそれら存在を通じて知る機会もあると思う。

先日、私が所属するJSCA関西木構造本科会の席である方がこう言っていた。
変態と称されるぐらい細部まであきらめずに検討した末に素晴らしいものがつくりだせると。

もういいんじゃあないのって思われるかもしれないほど清水の瓦に向き合ったのは、ここに修復し新たな次郎長生家としてスタートする鍵が存在すると思ったからだ。
そして、瓦を調査する過程で出会えてよかった資料や人物は多い。

ぜひともこれを本来の担当である修復計画に活かしたい。








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続 清水の瓦

清水瓦の続き。

根気よく調査した結果、清水瓦は一時相当な生産量であったことが分かってきた。
これは昨日、清水の瓦に大変詳しい方と知り合うことができたからであり、まだ許可をお願いしていないのでこのブログで紹介するのは今回は控えたい。

生産量については後でふれるとして、清水の瓦については驚きを禁じ得ない点が多すぎるというのが私の率直な感想だ。
まず清水史における瓦産業の扱いが、最盛期の規模を考えれば明らかに小さいというか無いに等しい。
はっきり言ってこれは異常である。
意図的に誰かがそうしているとは思わないが、これではあまりに気の毒ではないかと焼津に住むよそ者の私でも思う。

昭和36年に発行された「高部のあゆみ」という高部連合青年会発行の本によると、静岡の瓦生産は兵庫についで全国3位の生産と書かれている。
(本の監修は、郷土史家の法月吐志楼と静大教授内藤晃)

その静岡において清水地区で生産される瓦は半分であり、能島、新田からさられる高部は静岡県の瓦の1/4を生産しているといった記述がある。
驚くべき数値といえるし、日本を代表する瓦工業地であったことはまず間違いない。

ネットで検索しても清水の瓦についての情報はほとんどない。(あったと思ったら既に所有している近畿大学の網先生の論文ということも多い)
いささか極端すぎる。

清水の瓦は品質として良かったらしい。
品質が悪ければいくら巴川や清水港といった運搬に有利な存在があっても生産量を増やせるわけがない。
良質な粘土と腕のよい職人の存在は不可欠である。

そしてここが一番肝心なのだが、もう清水の瓦は製造していないのである。
瓦を葺く職人はまだたくさんいるが、瓦を製造している工場はない。

つまり、今も屋根材として使用されている瓦が撤去されれば清水の瓦は文字通り痕跡すらなくなるわけだ。
清見寺があるのでそこまで極端な結果にすぐならないとは思うが、清水の瓦を使用した住宅はこのままいけば無くなってしまうと思う。

余談だが日の出埠頭倉庫群で使用されている瓦も清水の瓦である。
これも解体を検討していると耳にしたので、あと10年もしたら清水の瓦に関する痕跡は今以上に減る。

私は懐古主義ではない。
安全性を確保できない建築物は人間にとって凶器となる。
だからいくら歴史的にも文化的にも素晴らしい建物であっても安全性を確保するための努力・姿勢は必要だと思っている。
なるべく価値を損なわないように配慮しつつ今の技術や製品を上手に使って安全性を向上させることは大事なことであり、時には安全姓の確保を優先することもあるだろう。
中には解体した方がよい判断する建物もあると思うし、所有者の意図や都合もあって解体せざるをえないという決断もありだと思っている。

肝心なのは、価値があるということも承知した上で選択しているかどうか。

例えば、清水の瓦について知った上で、それでも事情があるので撤去すると所有者や関係者が決断するのは私はありだと思っている。
ただし、全く知らないで決断し、その後に知って所有者や関係者が後悔するという結末は避けたいと思う。

次郎長生家の修復検討で屋根をどうするのかは重要な点。
耐震性を考えるなら建物重量を軽量化するというのは有効なので、瓦を撤去して軽い屋根材にでもすれば耐震性は向上する。
しかし、そんな生家を残したい建物として今後も周囲が思うだろうか?
一方で観光客が多数訪れる次郎長生家の安全性を確保することも重要である。

次郎長生家は実に多くの方から「残したい」と思ってもらった建物である。
愛着の度合いやどこに愛着を感じているかなどは差があるかもしれないが、外観における屋根材の影響は大きいがゆえに慎重な判断をしなければならない。

正直、予想以上に清水瓦の調査に時間をかけてしまった。
でも私はあまり後悔していない。
清水の瓦とそれに係る方々に会えてよかったと思う。

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天邪鬼は楽しい(最近思うこと)

出来ません。
分かりません。
みつかりません。

そう言うのも書くのも簡単で、匙を投げるかどうかも自由。

ただ私は、匙を必死で持ち続けるからこそ宝をすくいあげることができると思っている。
ようは諦めない人間が勝利者となる。(有名な格言)

私は、人からできないとか、わからないとか、みつけられないと言われたり耳にすると「じゃあやってみようではないか」という闘志がふつふつと湧いてくる。
天邪鬼といわれればそれまでだが、天邪鬼は楽しいのだ。(歌にもあるし)

今はインターネットもあるし、図書館のサービスも親切だ。
昔よりよっぽど情報を入手できる方法はある。(ただし、情報の信ぴょう性については吟味しなければならないという別の難しさはある。)
ようするに探そうとする熱意が大事。

これまでの経験上、自分自身で必死に探した情報は価値があるものが多かった。
逆に何もしないで入手できる情報はそれほど価値がないものが多く、結局のところ人間というものは好奇心や探求心によって差が生じるのではないかとさえ最近は思う。

次郎長生家に関する調査で清水瓦について情熱的に調べているのは、あまりに情報が少なく分からないという人が多かったからだ。

もう一度書くけど天邪鬼は結構たのしい。

度が過ぎて、とうとう私は素晴らしい情報を入手できても素直に喜ばない(喜ばないふりをする)かもしれない。

せめてそのときぐらいは素直でありたい。





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