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続 清水の瓦 その2

最初は清水次郎長生家だった。
といっても私は次郎長という人物に精通しているわけではない。
さすがに今は多少知識も増えたが最初のころは質問されてもうまく答えられなかった。

それが功を奏したのかどうか分からないが、次郎長という人物に影響されないで生家という建物だけに向き合うことができた。
逆に任侠イメージが強くて抵抗感があるために次郎長生家という建物に対して冷静に向き合えない人もいたかもしれない。
次郎長に関することはやらない(関わらない)と考えている歴史専門家もいると聞いている。

しかし、清水湊の船頭の唯一残る建物という認識で向き合えば清水の瓦に出会った私のような体験ができる方もいると思う。
清水瓦以外にも失われ人々の記憶から消え去ろうとしている産業はまだ存在するかもしれない。

近畿大学の論文に出会い、清水の瓦を調査しているとき、こうであったらいいなという願望はあった。
しかし、そこまで都合よく事が進むわけがないという気持ちもあり、根拠ある資料を探すまでは自分なりに結論を出すことは避けたいと考えていた。
それでも次に行われる会合では、区切りとしてこれまでの調査結果を発表したいという気持ちがあり、調査が次郎長生家修復計画にもたらす影響や効果なども説得力のあるものにしなければという熱意もある。

清水湊の船頭の唯一残る建物を通じて、清水瓦のこと、巴川や清水湊のこと、それに関わっていた労働者たちのことを知る方増えたらいいなと思っている。
そして、次郎長という人物についても今まで知らなかった側面をそれら存在を通じて知る機会もあると思う。

先日、私が所属するJSCA関西木構造本科会の席である方がこう言っていた。
変態と称されるぐらい細部まであきらめずに検討した末に素晴らしいものがつくりだせると。

もういいんじゃあないのって思われるかもしれないほど清水の瓦に向き合ったのは、ここに修復し新たな次郎長生家としてスタートする鍵が存在すると思ったからだ。
そして、瓦を調査する過程で出会えてよかった資料や人物は多い。

ぜひともこれを本来の担当である修復計画に活かしたい。








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