建築士伊藤の防災教育・耐震診断・耐震補強実績ブログ
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ルミオンというソフト
知り合いの建築士に誘われて昨日は東京で行われたルミオンというソフトのイベントに参加した。
先のことを考える機会に恵まれなかったのでちょうど良かったと思う。
建築士事務所も国際化が進んでいるんだなというのが率直な感想。
国内ということに縛られないで自由な発想で海外で戦っていくということが重要というのは分かっていても実行できないという人は多いと思う。
私もどちらかといえばそちらの人間。
ただ、否応なしにそういう波がきていて、今まで通りというわけにはいかないということが嫌というほど分かった。
仕事の合間にもこういうイベントに足を運ぶことはやはり大切で、そういう余裕はどっかにないと生き残れないとも思う。
先のことを考える機会に恵まれなかったのでちょうど良かったと思う。
建築士事務所も国際化が進んでいるんだなというのが率直な感想。
国内ということに縛られないで自由な発想で海外で戦っていくということが重要というのは分かっていても実行できないという人は多いと思う。
私もどちらかといえばそちらの人間。
ただ、否応なしにそういう波がきていて、今まで通りというわけにはいかないということが嫌というほど分かった。
仕事の合間にもこういうイベントに足を運ぶことはやはり大切で、そういう余裕はどっかにないと生き残れないとも思う。
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サイエンスとエンジニアリング
以前から大学の偉い先生の講習を受けて、なるほどなと感心したり凄いなと思うことはあってもどこか心の中は冷めたところがあった。
結局のところ私の思考というのは、仕事に使える知識かどうかであって、そのあたりを無意識のうちに判定しているのだろう。
もちろんすぐに使える知識もあればそうではないものもある。
この私の中にある気持ちを上手く言葉に表現できなくてもどかしく思っていたらいとも簡単に表現した方いた。
ようは、サイエンスとエンジニアリングの違いということらしい。
なるほど。
大学はサイエンス側。
私のような実務者はエンジニアリングというわけだ。
サイエンスは理想を求めるものだという。
対してエンジニアリングというのは、市場・お客のことを考える。
ネットでこの辺りを調べたらサイエンスは理想主義、エンジニアリングは妥協と表現した方もいた。
なるほどそういえなくもない。
理想主義では現場は進まない。悪い意味ではない妥協が求められることはある。
私としては、サイエンスの重要性・必要性は認めた上でエンジニアリングの立場、考え方で生きている方が性に合っていると思う。
もちろん大学の研究が無意味とは思えない。
非常に重要であり、ここがもし世界に比べて日本が遅れてしまったらと思うと恐ろしい。
それに建築の仕事は意外と大学側との接触は多い。
いろいろな建築関係の大学が研究しているし、その研究成果は実務者が使うマニュアルに反映されている。
でもサイエンス側がエンジニアリング側より立場が上位であるとは思えない。
実務に使えないような、使うことに疑問を感じるマニュアルというか研究成果もあると思う。
そういう場合にエンジニアリング側の人間は、きちんとサイエンス側に意見を堂々と言えた方がいい。
現場主義とまではいかないが、現場で感じたこと思ったことをきちんと言えるということも大事なことなんだなと思うことが増えた。
だからときどき行われる建築の講習会は出席した方がいいと思うし、ただ聞いて終わるだけではもったいないと思っている。
結局のところ私の思考というのは、仕事に使える知識かどうかであって、そのあたりを無意識のうちに判定しているのだろう。
もちろんすぐに使える知識もあればそうではないものもある。
この私の中にある気持ちを上手く言葉に表現できなくてもどかしく思っていたらいとも簡単に表現した方いた。
ようは、サイエンスとエンジニアリングの違いということらしい。
なるほど。
大学はサイエンス側。
私のような実務者はエンジニアリングというわけだ。
サイエンスは理想を求めるものだという。
対してエンジニアリングというのは、市場・お客のことを考える。
ネットでこの辺りを調べたらサイエンスは理想主義、エンジニアリングは妥協と表現した方もいた。
なるほどそういえなくもない。
理想主義では現場は進まない。悪い意味ではない妥協が求められることはある。
私としては、サイエンスの重要性・必要性は認めた上でエンジニアリングの立場、考え方で生きている方が性に合っていると思う。
もちろん大学の研究が無意味とは思えない。
非常に重要であり、ここがもし世界に比べて日本が遅れてしまったらと思うと恐ろしい。
それに建築の仕事は意外と大学側との接触は多い。
いろいろな建築関係の大学が研究しているし、その研究成果は実務者が使うマニュアルに反映されている。
でもサイエンス側がエンジニアリング側より立場が上位であるとは思えない。
実務に使えないような、使うことに疑問を感じるマニュアルというか研究成果もあると思う。
そういう場合にエンジニアリング側の人間は、きちんとサイエンス側に意見を堂々と言えた方がいい。
現場主義とまではいかないが、現場で感じたこと思ったことをきちんと言えるということも大事なことなんだなと思うことが増えた。
だからときどき行われる建築の講習会は出席した方がいいと思うし、ただ聞いて終わるだけではもったいないと思っている。
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続ドローン
ドローンの申請許可が4/19に下りる予定と連絡があった。
早速、次郎長生家と焼津浜通りはドローンを飛ばしてみようかなと思う。
ドローンにはいろいろな保険があり、やはり自動車保険でいう対人対物は絶対に入らないといけない保険。
余裕があれば車両保険のようなものも入った方が良いし、昨今はプライバシーで訴えられることがあるのでその際の保険というものもある。
ドローンを買えばそれでOKというわけにもいかないから自動車と本当に似ている。
しかしながらドローンで撮影した写真はこれまでにない感動を与えてくれる。
自分の住む街がどういうものかを上空から眺められるというのは楽しいし、価値観も少なからず変わるだろう。
歴史的建造物もまさか上空から眺められると想定して建てられなかっただろうが、上空から撮影するととても美しく見えることが多い。
結局のところ陸から眺めて美しい建物は上空からでも美しいということになるのかなと思ったりもする。
早速、次郎長生家と焼津浜通りはドローンを飛ばしてみようかなと思う。
ドローンにはいろいろな保険があり、やはり自動車保険でいう対人対物は絶対に入らないといけない保険。
余裕があれば車両保険のようなものも入った方が良いし、昨今はプライバシーで訴えられることがあるのでその際の保険というものもある。
ドローンを買えばそれでOKというわけにもいかないから自動車と本当に似ている。
しかしながらドローンで撮影した写真はこれまでにない感動を与えてくれる。
自分の住む街がどういうものかを上空から眺められるというのは楽しいし、価値観も少なからず変わるだろう。
歴史的建造物もまさか上空から眺められると想定して建てられなかっただろうが、上空から撮影するととても美しく見えることが多い。
結局のところ陸から眺めて美しい建物は上空からでも美しいということになるのかなと思ったりもする。
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ドローン
ドローンの申請を行政書士に依頼して行っている。
許可が出れば、全国どこでも飛ばせるようになる。
保険や保守点検費用などドローンを所有するだけでも実は結構お金がかかる。
でもそれ以上に建築の仕事でつかえることが多い。
なので費用対効果は思ったほど悪くないと私は考えている。
許可が出れば、全国どこでも飛ばせるようになる。
保険や保守点検費用などドローンを所有するだけでも実は結構お金がかかる。
でもそれ以上に建築の仕事でつかえることが多い。
なので費用対効果は思ったほど悪くないと私は考えている。
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昨年度
以前にもブログで書いたが、40歳を迎えるとき相当な覚悟をもっていた。
糸井重里氏の「40歳は、惑う」という文章を何度も読んだし、今も読んでいる。
40歳を迎える頃のちょっとした万能感というものは糸井重里氏の指摘するように私にもあった。
今までと同じコンパス描く円の中で仕事するというのは万能感と安心感というものがあって、ある意味で楽もできる。
ただ、この状態がずっと続けられるわけではないという自覚はかなり私にはあって、今までとは違う円の中に飛び込む必要性は感じていた。
今までがんばって描いてきた円を否定するわけではなくて、その円があるから別の円に飛び込んだりとか新しく描くことができるわけで、毎回ここで書いているけど積み重ねがないとどうしようもない。
今は、社寺や文化財といった新しい世界、円に飛び込んでそれで一生懸命もがいている。
もがいているんだけど、やっぱりしんどくなることもあるし、飛び込んでいった円の中にいる凄い人と仕事すると劣等感にも悩まされる。
父親には今も支えてもらっているけど、新しい分野ではやや父の支えも減りつつあり、そうなると逆にいかに父に助けられていたのかを痛感し、自分を見つめなおす。
失敗はやはりいろいろあって、なるべく減らそうと思うけど、とにかく失敗やお叱りを受けたときはその後の対応を誠心誠意やることでしか返せないというのはどの世界でも同じだし、私の場合はこれまで描いた円と今描いているというか飛び込んだ円がまったく重なっていないわけではなくて、意外と重なっているところもある。
逆に今まで積み重ねてきてちょっとした自信となっていたことが通用しなくて自信を喪失することもある。
もう嫌だと、もう自分はダメかもしれないと思うことも日々あるけれど、それでもそういうときに立ち上がれる力をこれまでまったく育んできたわけではないし、親にもそういう育てられ方をしてきたと自分が親になって気が付いた。
糸井重里氏の「40歳は、惑う」という文章を何度も読んだし、今も読んでいる。
40歳を迎える頃のちょっとした万能感というものは糸井重里氏の指摘するように私にもあった。
今までと同じコンパス描く円の中で仕事するというのは万能感と安心感というものがあって、ある意味で楽もできる。
ただ、この状態がずっと続けられるわけではないという自覚はかなり私にはあって、今までとは違う円の中に飛び込む必要性は感じていた。
今までがんばって描いてきた円を否定するわけではなくて、その円があるから別の円に飛び込んだりとか新しく描くことができるわけで、毎回ここで書いているけど積み重ねがないとどうしようもない。
今は、社寺や文化財といった新しい世界、円に飛び込んでそれで一生懸命もがいている。
もがいているんだけど、やっぱりしんどくなることもあるし、飛び込んでいった円の中にいる凄い人と仕事すると劣等感にも悩まされる。
父親には今も支えてもらっているけど、新しい分野ではやや父の支えも減りつつあり、そうなると逆にいかに父に助けられていたのかを痛感し、自分を見つめなおす。
失敗はやはりいろいろあって、なるべく減らそうと思うけど、とにかく失敗やお叱りを受けたときはその後の対応を誠心誠意やることでしか返せないというのはどの世界でも同じだし、私の場合はこれまで描いた円と今描いているというか飛び込んだ円がまったく重なっていないわけではなくて、意外と重なっているところもある。
逆に今まで積み重ねてきてちょっとした自信となっていたことが通用しなくて自信を喪失することもある。
もう嫌だと、もう自分はダメかもしれないと思うことも日々あるけれど、それでもそういうときに立ち上がれる力をこれまでまったく育んできたわけではないし、親にもそういう育てられ方をしてきたと自分が親になって気が付いた。
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