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和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

音羽山観音寺

2011-12-11 05:45:02 | カメラ
音羽山観音寺は9月29日にお参りしています。
あの時はasuka-jiさんが行かれて、あとを追うようにして行ったものですが、
今回も同様でasuka-jiさんが行かれた後、ひっそり行ってまいりました。
いつもは長靴で歩いていますが、
この参道はかなりの急坂なのでトレッキングシューズを履いて来ました。
展望がなく、気分はあまり良くありませんが、
道中にある手書きのイラスト案内が心を暖かくしてくれます。
タヌキやキツネも待っている案内がありましたが、
お寺さんに着いてもタヌキやキツネはいませんでした。
標高が高い(600m)のですが紅葉は残っていました。〈談山神社よりも高い〉
多武峰に比べて人が少ないのでゆっくり出来ます。
歩き30分、人によっては1時間辛抱出来れば別天地に行けます。
今日はオニギリ3個とショウガ湯をザックに入れておきました。
帰りには雪が舞っていました。
2回とも誰にも会いませんでした。それくらい人が少ないです。
落ち紅葉は今日もいけそうなので、健脚の方、どうぞ。
住職に会えなかったのは次回の楽しみにしておきましょう。

観音寺(善法寺)の沿革(音羽山観音寺のHPより)
当山は、寺伝によれば、藤原鎌足公を、談山妙楽寺(現在の談山神社)に祀った際、
鬼門除けの寺として丑寅の方角音羽の地に一寺を建て、
鎌足公自作の梅の木の観音像を祀ったのが始めと伝えられています。
奈良時代の観音信仰が篤かったころは、
霊場として賑わい、壮大な堂宇がこの山中に軒を連ね、その有様は音羽百坊と称されました。
「多武峰(とうのみね)略記」には、天平寛宝元年(749年)に、心融法師が当山を創建したとの記述があります。
清和天皇の貞観18年(876年)「音羽流れ」と記録に残る豪雨と山津波で堂宇が崩壊し残った一寺であると伝えられています。
寺名も香法寺・善法寺と変わりながらも、眼病平癒に霊験があり、
「音羽の観音さん」と親しまれ、訪れる信者で賑わい、多くの信者の力で維持されて現在にいたっています。























落ち紅葉

2011-12-10 07:02:32 | カメラ
落ち紅葉を並べてみました。

護国神社


相撲神社


観音寺








虹が架かりました





レンズに雨が付着しました。



昨日は一昨日とほぼ同じ場所を廻りました。
高鴨と観音寺が入れ替わっただけです。
予想以上に乾燥が早まり、
落ち紅葉がちぢれて、色がくすんでしまいました。
九品寺、飛鳥川、大兵主、相撲では写真を撮りませんでした。
虹は山の辺を走っていた時に架かりました。
雨がレンズにかかり、虹(滲)んでしまいました。(笑)

葛城路

2011-12-09 05:04:09 | カメラ
今日は自動車で行こうと乗ったら、
燃料メーターが0に近かった。
乗る人がガソリンを入れることになっているので、
極貧和尚はやむなく大和路号で行くことになったのであります。
雨が止むことを期待して、山麓線を南下します。
散り紅葉を探すためです。
てつまんさんがひどい風邪で寝込んでいますので、
彼の分まで撮ろうと張り切ったのであります。
九品寺の前の2本の残り柿にもてあそばれて、




境内に入ると、物好きな人が傘をさして撮影していました。
ひょっとしたら、の人でした。
山麓線の鬼と言われているL.Pさんでした。
彼は撮影終了といったところです。
とりあえず千体仏へ






一言さんのイチョウを山麓線から

鳥居横で農産物を売っている大将に里芋2袋いただきました。(ありがとう)

途中で

誰も通らない道ですが和尚はよく通ります。

そして、高鴨神社へ

高鴨神社はカモ神社の総本社です。
京都の上賀茂神社や下鴨神社も高鴨神社から出ています。
雨が降って、ええ雰囲気でしたなー。










明日香、多武峰、等彌神社、大兵主神社を廻って、家に帰った時、雨が止みました。





冬眠、暁を覚えず

2011-12-08 04:58:20 | カメラ
毎朝の徘徊は辛いものがあります。
師走は残り紅葉と初冠雪が狙いですが、
こたつに入って本を読む(開く)のもええもんです。
先日も4冊借りてきました。

司馬遼太郎 街道をゆく 朝日新聞

池田雅雄 野見宿禰と大和出雲 彩流社

藤田 浩 大和路百景 編集工房あゆみ

藤田 浩 大和路花紀行 日本カメラ社

写真集は楽です。1時間もあれば終ります。
写真と解説をかわるがわる読んでいたら、
4ページ分の解説が欠落していました。
装丁ミスではなくて、修理(本の)時に欠落のまま綴じたのでしょう。

11月17日のブログで
『池田雅雄先生が45年ほど前に野見宿禰の出雲出身は、実は桜井の出雲村のことではないか、と言われてから
伝承、口承、昔からの生産などを検証して桜井の出雲村にたどり着きました。』
と書きましたが、
池田雅雄氏の研究内容が2番目に表した本です。

和尚は想像で出雲から大和に移り住んだ、と書きましたが
それは逆で、大和の出雲族が島根に移り住んだのではないかと言うことです。
島根の出雲と大和の出雲の繁栄時期が150年以上ずれています。
大和の出雲の方が古いのです。
文化は高い方から低い方に人と共に流れます。

国家が出来る前は出雲族は大和高原に住んでいたというのも
大和高原の各地にヤマタノオロチ伝説などが残っていることから推測されています。

先史時代は面白いもので、推理小説を書くような楽しみがあります。
一番いい例が邪馬台国です。
邪馬台国論争は全国入り乱れております。
それぞれの説を読んでみると、
なるほどと納得出来るものが多いのでやっかいです。
邪馬台国は大きく九州説と畿内説に分かれています。
魏志倭人伝の地名を考えると北九州に分がありますが、
考古学的発見を考えると畿内説になってきます。
決着することはないと思いますが、
都合のいい資料を繋ぎあわせていけば、
新しい比定地が出てくるかもしれません。
まさに推理小説を書くような面白さがあります。
専門内外から邪馬台国ほど多くのアプローチがあった歴史的事柄はないでしょう。

野見塚


五輪塔 野見塚にあったのを十二柱神社に移しました。


泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)武烈天皇の宮殿跡

書記では武烈天皇を極悪非道の天皇にしていますが、どうしてでしょう。

スサノオ神社










最後の紅葉

2011-12-07 07:01:43 | カメラ
最後の紅葉を撮るつもりで走ってみました。
大兵主神社に着くと、
明日香ナンバーのカブが停まっていました。
葉は落ちてなくて、落ち紅葉はまだ先のようです。
笠経由で鳥見山に行きました。
笠の手前の急坂で、二上山の見える所があります。
以前、てつまんさんが〈ここはどこからでしょうか?〉と問いかけた場所です。

そば食堂では新ソバ始めました、の張り紙。
かけソバ一杯(450円)で暖まり、小夫に向かいました。
小夫の天神社は二回目です。
天然記念物の大ケヤキのある所です。
ここで大きい発見をしました、と書けば
何?と注意を引きますが、
一回目に行った時に気付かなかったことが、今回頭に入っただけです。
日本書記に崇神天皇の代に天照皇大神を笠縫邑に移したとありますが、
天神社の社伝によれば笠縫邑というのがここ小夫なのです。
また、天武の代に大伯皇女が伊勢の斎宮になるため小夫で身を清めたと記され、
場所が化粧壷ということらしい。
ほんの2日前にrato-yamatoさんと化粧壷について話したばかりです。
権現サクラに行く途中に化粧壷の道しるべがあります。
矢印の通り行きましたが分かりませんでした。
小さな川でしょうね。
後日ゆっくり探すつもりです。

天神社

ここで神社に取り憑かれた?ご夫人に会いました。
神社に関して非常に詳しく、もっとお話を聞きたかったのですが、
じゃまするのも悪いと思って30分ほどで別れましたが、
橿原の人で一人でクラウンを運転していました。

白木のエドヒガンを見て来ました。
電線がじゃますると聞いていましたが、
少し奥に入ると大和棟の上にサクラが収まる場所があります。
電線を無視すればいいかな-と思います。

途中で

空を入れるかどうかで迷います。

鳥見山は終りましたね。このカエデだけです。




岩坂にて
古民家ギャラリー



一刀彫の高橋さんのギャラリーみたいです。(未確認)
岩坂から竜谷に抜けようとしましたが、ムダに終りました。

桜井の文化財センターに行きましたがお休みでした。

分川池の紅葉

二上山が少しだけのぞきます。








當麻寺界隈

2011-12-06 04:15:00 | カメラ
朝から天気がいいので再び千股池に行ってみました。
天気はいいものの昨日に比べて透明感が違いました。
うすい霞がかかったみたいです。
贅沢は言えませんですね。
當麻寺界隈で雲が出るまで撮りました。
11時頃に終了しました。

二上山 千股池


二上山 千股池の北側の田んぼから


二上山 千股池から西に伸びる道路


二上山 撮鉄さんがいましたので近くで


二上山雄山 白壁は石光寺です


當麻寺西塔


當麻寺奥院入口


二上山 当麻大池より


二上山雄山 傘堂より


二上山 農道より


二上山 農道より 



司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいたら、竹内越の記事の中で
昭和18年の晩秋のことですが、葛城の山並みの美しい場所として
〈・・・長尾村の北端であることがのぞましい。それも田のあぜから望まれよ。視界の左手に葛城山が大きく脊梁を隆起させ、その向こうの河内金剛山がわずかに頂上だけを、大和葛城山の稜線の上にのぞかせている。・・・〉
とありました。
ヒマに任せて司馬遼太郎氏が立ったであろう場所を探しに行きました。
現在の長尾町内で旧道が通じていたであろう場所、且つ金剛山がわずかに頂上だけ見える場所。
今は見渡せることは出来ませんが、木戸池公園からでした。
木戸池公園は南北東西の道が交わる所です。
北端に新木戸池がありますが、そこからだと金剛山が見えませんから木戸池公園が近いと思いました。
厳密に言えば金剛山と木戸池公園を結ぶ線上の竹内街道に近い場所ということになります。

昭和18年はここから見える家は少なかったでしょう。



大和路あちこち

2011-12-05 06:48:29 | カメラ
昨日、日曜日は紅葉が残っていそうな所を走ってみました。
8時頃家を出ましたが、
バッテリー(カメラの)を忘れて取りに帰っていた時間内に雲が湧いて来ました。
全面に陽が差すのを待ちましたが、
待ちきれずこの一枚。

池の水抜きの季節です。
二上山は周辺の山に比べて杉や桧の植林が少ないです。
自然林が紅葉するので今の時期美しいです。
人はほとんど来ません。

九品寺はまだ木に葉が付いています。
思ったような落ち紅葉はありませんでした。
次の雨まで持ちますかね。






一言さんには行きませんでした。

大兵主神社

rato-yamatoさんに遭遇。

かむなびの里のヤギさん、黙して語らず。


愛宕社の紅葉







愛宕社の紅葉は見頃は過ぎていましたが、十分楽しめました。
マスイさん、asuka-jiさんに遭遇。

野見塚や鏡作神社などに行って、明日香へ。

ここでは写遊さんとM口さんに会いました。

長谷寺

2011-12-03 20:51:01 | カメラ
12月に入ったせいか、土曜日でありながら
長谷寺の人出は少なかった。
紅葉は終りかけといったところです。
川を挟んだスサノオ神社のイチョウは昨日の雨で
ほとんど落ちていました。落ち葉は美しいです。
明日もまだいけそうです。

スサノオ神社のイチョウ


長谷寺








寺務所


室生湖


クヌギの黄葉


大願寺




石舞台






明日は九品寺に行ってみます。