和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

越塚御門古墳

2010-12-13 02:53:12 | カメラ
すいているだろうと思って、
午後3時頃に着くように越塚御門古墳に行きました。
ところが長蛇の列です。
9月の牽牛子塚古墳の時よりも多いみたいで、
奈良新聞によると、
土曜日は3100人の見学者であったと書いています。

和尚の45分の待ち時間中、
どういう訳か
元国交大臣の冬柴鉄三さんが歩いていました。

棚田のあるのどかな風景の中を並びます。
これは牽牛子塚古墳の時と全く同じコースです。








東の空には面白い雲が・・・。

越塚御門古墳は牽牛子塚古墳の一部に造られたようです。
牽牛子塚古墳の石室のすぐ下です。
牽牛子塚古墳発掘の時、
ただ単に石が見えていただけの認識しかなかったようです。
掘ってみたら大変なものが出てきたというのが真相です。
偶然に見つかったという訳です。





昨日も書いたように
埋葬者が誰かと、いうことで
歴史学者は関心を示しています。
つまり
667年、斉明天皇陵の前に孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を埋葬したと記している日本書紀の内容と
一致しているからです。
この発掘により牽牛子塚古墳が斉明天皇であることが確実になったようです。
では
宮内庁が管理している斉明天皇陵は誰の墓でしょうか?

よく似た話があります。
和尚が歴史散歩の会に入っていた頃に行ったことのある高槻市の今城塚(いましろつか)古墳が
継体天皇の墓であるのが確実視されているのですが、
宮内庁はちがうと言っている。
基本的に宮内庁は古墳の発掘を許可していません。

ハインリッヒ・シュリーマンの“古代への情熱”を思い出しました。