うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む
山頂は雄山の頂上です。
二上山に関するあまりにも有名なこの歌は
大津皇子の姉、大伯(来)皇女が弟を偲んで詠みました。
大津皇子は天武天皇の子ですが、
裏切りによる謀反の罪で逮捕の翌日に処刑されました。
身内に不幸があれば、
斎宮の任を解かれることになっていたので、
姉が伊勢神宮から大和に帰った時に詠みました。
(この事件は後の持統のでっち上げとの説が有力です。)
どこで詠んだか定かでありませんが、
大津皇子の家が、
今の桜井市戒重の春日神社辺りと言われていますので、
おそらくこの近くで詠んだものと思われます。
ここからだと二上山が形よく見えます。
山頂は雄山の頂上です。
二上山に関するあまりにも有名なこの歌は
大津皇子の姉、大伯(来)皇女が弟を偲んで詠みました。
大津皇子は天武天皇の子ですが、
裏切りによる謀反の罪で逮捕の翌日に処刑されました。
身内に不幸があれば、
斎宮の任を解かれることになっていたので、
姉が伊勢神宮から大和に帰った時に詠みました。
(この事件は後の持統のでっち上げとの説が有力です。)
どこで詠んだか定かでありませんが、
大津皇子の家が、
今の桜井市戒重の春日神社辺りと言われていますので、
おそらくこの近くで詠んだものと思われます。
ここからだと二上山が形よく見えます。