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沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版します。
決定版です。
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狼魔人日記
江崎 孝
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3月26日(8月15日)発売を目途に皆様に献金をお願いした『沖縄「集団自決」の大ウソ』(仮題)の編集作業が現在進行中です。資金難により最低限の出版数400冊で調整中ですが、出来れば市場に出回る出版数も800冊~1000冊と一冊でも多い方が目立ちますし、本の体裁もより目立つ体裁にしたいと考えています。
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※申し訳ありません。 諸般の事情により発売日が8月15日(終戦の日)と大幅に遅れる公算が大きくなりました。 しかし、内容には自信を持っていますのでご期待ください。
「八月や六日九日十五日」詠み人多数。
★民間人虐殺の典型
⇒鉄の暴風
米軍の民間人大量虐殺がなければ「沖縄・集団自決」も起きていない。
③本音を吐いた39年前の金城重明氏の証言
前回の記事で渡嘉敷島に駐屯した赤松次隊隊長が事実上沖縄メディアに「鬼の赤松」として登場したのは1970年3月27日付沖縄タイムスの記事に端をなすと書いた。
その同じ記事で後に集団自決・軍命派の象徴となる金城重明氏が「首里教会牧師」という肩書でコメントを述べている。
集団自決があった当時17歳の重明少年は兄の重栄氏と二人で自分の家族を殺害したことで知られている。
重明氏はその後島を出てキリスト教に入信し、沖縄キリスト教短大学長の肩書で「集団自決は軍命だった」と全国を講演して廻り2050年の大江・岩波集団自決訴訟の被告・大江側証人として証言をしている。
兄の重栄氏は渡嘉敷島に残り農業を営んだが、2009年12月30日、84歳で亡くなった。
*
沖縄の文芸雑誌『裏訴文藝』編集長の星雅彦氏は、「軍命あり派」が主張する軍命に関し、早い時期に集団自決の聞き取り調査をした。
その貴重な経験から、「(軍命の)伝達経路が判然としない」として当初から軍命に疑念を呈していた。
「軍命あり派」の重要証言者である金城重明氏でさえも、軍命については「わからない」と証言している。
沖縄返還前の沖縄タイムスのインタビュー記事では、後年訴訟が起きるとは想定していなかったのか、金城氏は記者の誘導するような質問にも(一箇所を除いて)正直に答えている。
一箇所の明らかなウソとは、「私自身母親や兄弟を兄弟を殺し」のくだり。
金城氏は「父親殺し」に関しては故意に隠蔽している。
もし30数年後に「軍命の有無」で裁判が起きると想定していたら、金城氏も沖縄タイムスももっと違った対応をしていただろうに。
結局、この記事は星氏の「軍命の伝達経路は判然ととしない」という疑念をさらに深める貴重な資料となった。.
詳しくは改めて論考してみたい。
1970年3月27日付沖縄タイムス
集団自決の生き残りとして
ー牧師となった金城重明さんの場合ー
記者:当時の状況はどうでしたか。
牧師:わたしは当時16歳だったが、当時のことはよく覚えている。しかし、あくまで自分の考えていたことと自分のやった行為だけだ。
記者:赤松大尉が村民に自決を命じたといわれているが。
牧師:直接命令を下したかどうかはっきりしない。 防衛隊員が軍と民間の連絡係りをしていたが、私の感じでは、私たちの間には生きることへの不安が渦まいていた.。 つ、あり敵に捕まったらすごい仕打ちを受けるとか生き恥をさらすなというムードだ。 そして戦況も、いつか玉砕するというところに少なくとも民間人は追いこまれていた。
記者:自決命令についてはどう思うか。
牧師:わたしの感じでは、離島にあって食料にも限界があったし、民間人が早くいなくなればという考えが軍にあったように思う。 しきりにそうゆうことがささやかれ、村民の中では、足手まといになるより自決して戦いやすくしたら・・・ということがいわれていたし、こうした村民の心理と軍の命令がどこかでつながったか、はっきりしない。
記者:自決命令は別として西山盆地に集結させたのは軍の命令ですか。
牧師:わたしたちは阿波連にいたが、とくに集結命令というものはなく、人づてに敵は南からくるもので北部に移らなければならないということがいわれた。 事実、米軍の攻撃も南部に集中し、南部は焼け野原になっていた。 二日がかりで西山についた。
記者:村民の集結から自決までの間が不明だが。
牧師:集結した村民は米軍の攻撃にさらされ、絶望のうちに一種の陶酔が充満していた。軍部もすでに玉砕したというのが頭にあった。肉親を殺し、自分もしぬという集団自決がはじまった。今にして思えば、まったくの異常心理としかいいようはないが、とにかくあの光景は軍部をぬきにしては考えられないことだ。 私自身母親や兄弟を兄弟を殺し、自分も死ぬつもりだったが、どうせ死ぬなら敵に切りこんでやれということで米軍のいる方向へむかった。 しかし、そこで玉砕したはずの日本軍が壕にたてこもっているのをみて、なにか悪夢から覚めたようになった。 この壕は赤松大尉がずっとたてこもり村民を近づけなかったところで、住民を保護すべきはずの軍隊が渡嘉敷では反対になっていた。はっきり言って、沖縄戦で最初に玉砕したのは渡嘉敷であるが、日本兵が最後まで生き残ったのも渡嘉敷であった。
記者:赤松大尉のこんどの来島をどう思うか。
牧師:わたしの立場からすれば、赤松大尉個人を批判するつもりはない。しいていえば、天皇のために死ねという軍国主義教育が渡嘉敷の悲劇で、赤松大尉が何の目的で来たのかわからないので何とも言えない。 しかし悲劇の島、渡嘉敷をしっかり確かめ、戦争は二度といやだという気になれば意味があると思う。 当時の責任者として今後平和運動のため証人としてやっていく気持ちがあれば・・・・ということだ。 わたしが聖職についた直接の動機はこの集団自決事件だ。 わたしは自ら肉親の生命を断ったが、なぜ戦争に責任のない肉親たち、村民たちがあんな死に方をしなければならなかったという疑問を解くために。 そしてわたしはいま渡嘉敷の生き残りとして平和を守ることに努めたい。
記者:戦争の傷跡をわすれないということですか。
牧師:戦争の傷跡というのも、ただ被害者意識だけでいつまでも思い悩んでいては意味がない。 済んだことは済んだこととして、大事なことは過去が現在にどう生きているかということだ。その意味ではわたしは戦争は絶対に許せない。 赤松大尉にも、渡嘉敷の責任者だった人として、いま何をどう感じているかその戦争責任をきびしく問いたい。(1970年3月27日付沖縄タイムス)
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続・39年前の金城重明氏の証言 2009-02-10
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集団自決論争のいろんな場面で「軍命」が使われているようだが、金城氏の場合は「西山盆地に集結したのも軍命ではなかった」と証言している。
現在でもそうだが、沖縄人は概して時間にルーズであり、集合時間にもなかなか定刻に集まらないとは良く聞く話だ。
沖縄県民の習性を熟知するその当時の村役人が、何事かを村民に指示するとき「軍命」を借用して村民に敏速な行動を促したことは容易に想像できる。
同じ「軍命」でも「○○に集合」程度なら、軍から直接聞かなくとも(現場に軍人がいなくとも)村役人よりの伝聞のみで容易に「軍命」に従うだろう。
だが、「自決せよ」という生命に関わる重大な「軍命」に対して、伝聞やウワサだけで、発令者の臨場もなく自主的に実行できるものだろうか。 教師の同席しない「自習」は「遊び」と昔から相場は決まっている。
軍命による村民の自決とは、どのような状況が考えられるか。
村民が銃剣で装備した軍人に囲まれ、自決拒否や逃亡をすれば直ちに銃殺されるような状況に追い込まれたのなら、やむなく自分で自分の命を断つことも考えられるだろう。
だが、渡嘉敷島の集団自決は、自決実行の現場に隊長は勿論、自決を強制する軍人の姿はない。
それどころか、自決実行の際は、金城氏は「軍部もすでに玉砕した」というのが頭にあったというではないか。
だとしたら自分の生命に関わる重大な「軍命」を下した命令者は、自決実行の際すでに死んだと思われていたことになる。
既に死んでしまった人の命令を厳守して「親兄弟を殺害する」のはいかにも不自然ではないか。
自分がパニック状態による「まったくの異常心理」で肉親を殺害しておきながら、
「とにかくあの光景は軍部をぬきにしては考えられないことだ」と強弁するのは責任転嫁もはなはだしい。
命令を下したとされる軍部は「既に玉砕している」と考えられていたのだ。
インタビューをした記者は「軍命」を何とか引き出そうと、次のような核心を突く質問を連発している。
だが、「自決」という生命に関わる重要な命令を直接軍から聞いた者は一人もいない。
「赤松大尉が村民に自決を命じたといわれているが」
「直接命令を下したかどうかはっきりしない」
「自決命令についてはどう思うか」
結局、軍命令による集団自決はウワサであり、伝聞であり、幻であった。
もう一つ疑問がある。
金城重明氏は早い時期から母親と兄弟を殺したことは告白していながら父親を殺害していたことを何ゆえ長期間隠していたのか。(去年になってジャーナリスト鴨野守氏が金城氏が隠蔽していた父親殺害を暴きだしている)
多くの証言によると、自分で自分の命を断つことのできない女子供は父親や祖父などの年長者が手を下したという。
だが、金城氏の場合、未成年の重明、重栄兄弟が壮年の父親を殺害したという他に類を見ない特異な例である。
参考エントリー;
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