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★お詫び★
昨夜8時からのNHK≪九州沖縄スペシャル“集団自決”~沖縄渡嘉敷島 兄弟の告白~≫を見ながら、記事作成の為のキーワードを記したメモを間違ってアップしたまま放置して寝てしまいました。
その後、当ブログを訪問頂いた方は、何のことか意味不明の単語の羅列で、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
見る前から、NHKの番組案内をみて、
2月に放映した番組の焼き直しだと予想してビールを飲みながら見ていたら、
予想にたがわず「新証言」とはかけ離れた、同じ役者の同じネタなので興味半減で眠たくなり、
メモを公開するという大恥をさらしをしたしだいです。
申し訳ありませんでした。
◆
さて、同番組を見た感想ですが、特に目新しい証言はなかったが、
次の2点は、既知の事実とはいえ、天下のNHKが放映したということで重要な意味を持つ。
①父親殺害の告白
これまで金城重明氏は「親兄弟」という表現で母親と弟、妹を殺害したことは繰り返し告白してきたが、父親のことは逃避行中はぐれてしまい、どこかで不明死したと述べていた。
それが雑誌『WILL』増刊号でジャーナリストの鴨野守氏が、父親も殺害した事実をレポートしたため、隠せないと思ったのか今回の番組では父親殺しもカミングアウトした。
数ある集団自決の証言では、一家の主が年寄りや女子供を殺害したという例はあるが、壮年と思われる父親をその子供が殺害したという例は未だないし、少なくとも筆者は知らない。
金城兄弟が、「親兄弟を手にかけた」といいながら、長いこと「父親殺し」を隠していた理由は一体なんだったのか。
勿論、番組ではこれには触れていない。
更に兄弟は、自分の親弟妹だけではなく、他の村人も数多く殺害している。
②金城重明氏は島で毎年行われる戦没者慰霊祭には一度も参加したことはなく、
島に住む兄の重栄氏は慰霊祭の日を避けて一人でそっと参拝していた。
これも知る人ぞ知る事実ではあったが、今回NHKが本人たちに取材した結果、確実な情報となった。
この事実から、二人が渡嘉敷島では村八分状態であることがわかる。
遺族としては、敵である米軍の攻撃で死んだのなら諦めもつくが、同じ村の兄弟に自分の肉親が殺害され、しかも加害者が揃って生きている事実には耐えられないのであろう。
村人の突き刺さるような怨嗟の視線を背に受けると、金城兄弟としては、何が何でも「軍の命令だった」と言い続けなければ、戦後生きてはおれなかった。
すくなくとも、6人家族のうち、兄弟二人で、残りの四人を皆殺しにしたのなら、計算上は四人分の「援護金」が遺族である兄弟二人に支給されていることになる。(未確認)
自分の手で殺害した父母弟妹の「遺族援護金」を金城兄弟が受けているとしたら・・・・・・・・、
どんなことがあっても、軍に責任転嫁しなければ生きてはいけなかったのだろう。
集団自決の被害者の遺族には援護金が支給されている。
弟重明氏に比べて、取材慣れしていない兄重栄氏は口が重く沈黙が多かったが、ナレーションでこれを補っていた。
兄がいう「軍の命令」とは,
「誰かが天皇陛下万歳」といったことと
「不発の手榴弾をコツコツ叩く音」
そして「戦陣訓」だと。
「天皇陛下万歳」と、集団自決の音頭を取ったとされる古波蔵村長は、自決せずに生き残っている。(戦後米田と改姓)
この村長も、戦後自分が自決を煽ったといわれたことに対して「軍命令」を主張しながら亡くなっている。
インタビューに応じていた本土出身の元兵士が、集団自決があったことを知ったのは四ヶ月後になってから述べていたが、軍人に対しての訓示である戦陣訓で死ななかった多くの日本兵がいる矛盾に番組は触れない。
もし触れるとしたら左翼学者を登場させて、
「彼らは卑怯にも、生き残った」と、得意の論点すり替えでごまかすだろうが・・・。
弟重明氏の「軍命論」は、戦後の後知恵の「軍民共死共生」に終始していた。
次に引用は、昨日の沖縄タイムス夕刊の同番組紹介です。
≪今から63年前、渡嘉敷島でおきた、“集団自決”。 一度に300人以上が犠牲となった。 そのほとんどが家族や親せき同士で互いに命を奪い合った。 今年、家族を手にかけてしまった当時10代だった兄弟が体験を告白。厳しい軍国主義、配られた手榴弾、天皇陛下万歳の声。≫
NHKは「軍の命令で兄弟は親兄弟を殺害した」と言いたくて、
軍の命令の根拠を、軍国主義、配られた手榴弾、天皇陛下万歳の声の三点に求めたようだが、
結果的には軍命も強制もなく、「集団自決」はパニックに陥った兄弟の「狂行」(判断ミス?)といった印象しか残らなかった。
もし、NHKが従来どおり、裁判直前(9月9日)の被告側支援の意図で「集団自決は軍命であった」というプロパガンダ番組を放映したつもりなら、
自爆番組だったといわざるを得ない。
◆
どうも、ほろ酔い加減でうつらうつらと見ていて番組に、
一夜明けてのコメントなので、まとまりが付かなくて申し訳ありません。
番組終了直後にコメント頂いた「なお」さんの感想が、
簡潔で要領を得ているので、以下に引用いたします。
≪金城兄弟は、
①村長の「天皇陛下万歳」という声
②手榴弾を叩く音
③生きて虜囚の辱めを受けずという教育
が自決命令だったとのナレーションでした。
③はさておき、①②ともに軍は直接関係ない。
また、金城兄の証言で、
なぜ集団自決が起きたか?という問いに対して、
教育が敵軍の捕虜になるな、と・・・・と答えていました。
その金城兄弟は軍に会ってみんなが生きていることを知ったんで死ななくてすんだというナレーションでした。
渡嘉敷島の特攻隊員100人のうち80人が生き残り、そのうちの一人の東京赤羽の新徳さんは自決があったことを4か月後に知ったと。
金城重明氏は一度も慰霊したことがないと。
最初はプロパガンダ満載でしたが終わりに近づくにつれ、軍命令がなかったという証明をしているような番組でした。
とにかく軍命令の根拠はゼロでした。≫(なおさんのコメント)
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こんにちは、失礼します。私もあの番組を視ました。初めてですが予想していたよりは酷くはなかったように思います。私が特に興味を引いたのが、弟の金城重明氏が所持していた古びた戦陣訓の小冊子でした。
あの戦陣訓はどのようにして入手したのでしょうか。当時の日本軍が教育のために氏に与えたとはとても思えないのですね。氏の年齢からしてもそうです。当時の現役兵でも見たことはあるが読んだことはないというのが殆どですね。
司馬遼太郎氏はその著「歴史と視点」のなかで「戦陣訓」というものが教材につかわれている現場を見たことがないと言っています。司馬遼太郎氏のみならず戦中派の会田雄次氏、山本七平氏、安岡章太郎氏等しかりです。
軍人の規範とされるものは「軍人勅諭」で軍人はこれさえ覚えればいいのですね。私の父もよく暗誦して聞かしてくれました。「1.軍人は忠節を尽くすを本分とすべし、1. 軍人は礼儀を正しくすべし」とかですね。
ですから金城重明氏が「戦陣訓」を持っているのがどうにも不自然な感じがしたのですね。司馬遼太郎氏は「生きて虜囚の辱を受けず」の戦陣訓を大々的に宣伝したのは新聞で要するにマスコミのから騒ぎだと言うのですね。このことを氏の言葉で紹介しましょう。
「『生きて虜囚の辱を受けず』というあの美文調の刊行物が、現実の軍隊社会でどれほどの影響力や拘束力をもっていたかということになると、そういう刊行物とは無関係に軍隊社会は存在していたと証言(故老?として)せざるをえない。
幹部候補生試験などでも、「軍人勅諭」を暗記しているかどうかがテストの対象になるが、「戦陣訓」はそういうテスト材料にもなっていなかったようにおもえる。「戦陣訓」が発行されたときそれをニュースとしてやかましく書き立てたのはむしろ新聞であって、それを新聞紙上で読まされた民衆が兵隊としてとられるとき、ああ、ああいうものがあったな、という程度の影響として存在したものであろう。要するにマスコミのから騒ぎである。
そのマスコミが、戦後二十八年経ってグアム島の密林から横井庄一氏が現れ出てくるという異常な事件にぶつかったとき、この事件の理解に苦しんだあげく、「つまりは戦陣訓の重みである」というごく簡単な整理法による解釈に落ち着かせてしまおうとしているらしいのは、ずいぶん手前勝手な観がある。」
―司馬遼太郎著「歴史と視点」より抜粋―
現役兵でも「戦陣訓」で教育されたことはない。ならば軍隊が民間に「戦陣訓」を教育することはありえないのですね。ですから自決を強制するはずがない。百歩譲って仮に自決せよの命令があったとしても、それには絶対的な拘束力はなく拒否しても許されるものです。特に民間は。拒否したからといって日本軍が皆殺しするとはそれこそありえない。
私はその戦陣訓の小冊子にこだわる。NHKがそれをクローズアップしていたのも、自決の原因はその教え、軍の命令に因るものだと言わんばかりである。そのために戦陣訓の小冊子を入手したのではないかと私は勘ぐるのだが。
狼魔人さんのキーワードを読んでしまいました(笑)。一体何だろう??でした。その中で「おお増す」というのがありました(笑)。大桝大尉のことですね。私はこれまで戦記ものを読んでいて、この大桝大尉のことを記したものに出会ったことがないのですね。
昨日のNHKの番組を見て、ああこれは沖縄県民用につくられた軍神だと初めて判りました。全国的ではないでしょうね、おそらく。大桝大尉は確か与那国町出身ではなかったかと思います。しかし凛々しい良い顔しています。
ガダルカナル戦においては辻 政信とともに現地で指揮を執った県出身の親泊朝省参謀が有名ですね。県民はその名前くらいは知っておく必要があります。
それではまた、お邪魔しました。
全文は池田氏のブログで。(決して回し者ではございません)
相変わらず長々と、使いまわしの文章を貼り付け、金城氏を「殺人鬼」に仕立て上げようとする。鴨野某ねぎとか徳永だめ弁とか、秦老人とか結託して集団自決の告発者を嬲り者にしようとしているが、それはお前らの品性下劣さを世に暴露する事になるのさ。
裁判の尋問で、それを持ち出して金城氏を追い詰めたという徳永は、裁判に負けたくてやったんだろうね。
その金城氏を殺人鬼呼ばわりしている秦翁の「諸君」掲載文を証書提出しているそうだが、2審で逆転勝ちすることは宝くじにあたるようなもの、と言えるのではないか?
メモ書きを読んでしまいましたか。(笑)汗顔ものです。
例の番組で兄の重栄氏が戦陣訓のことを語るくだりは、私も違和感を感じましたが以前に戦陣訓については書いていたので触れませんでした。
今朝を手抜きで、過去記事を再掲しました。
戦陣訓は、東条英機が大陸任務の時、関東軍の中にも不届き者(罪過を犯すもの)が居たことにかんがみ、それを戒めた訓示を総理大臣になって通達したもので、海軍も含めた全軍的なものではありません。
しかも左翼が誇張するような「命令」ではなく、訓示で「生徒手帳の裏に印刷されている校則」程度のものだと聞いたことがあります。
従って、「戦陣訓」は陸軍のみに通達されており、司馬遼太郎のような証言も当然で、
民間人が「戦陣訓」に縛られて「自決した」というのは戦後の後知恵に外なりません。
むしろ軍人をより拘束したのは「軍人勅諭」だったという証言者は多くいるようです。
◆モノ言うサラリーマンさん
情報ありがとうございます。
金城重明氏についても触れていますので、ついでにリンクして該当部分を引用しておきました。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/daccc750121972feb0f42d62df02cc14
≪大江氏を支援する先頭に立っている金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)は、渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めた。本人は米軍に投降したのだから、これは「集団自決」ではなく殺人であり、金城氏こそ者である。軍=悪、国民=被害者という図式は、GHQが戦争責任を軍に限定することによって占領コストを削減するための情報操作だったのだ。≫
なお直ぐ上の「薄汚いコメント」は、痛いところを疲れると這い出してくる下品なコメントの見本として、しばらく晒して適宜削除しますのでしばらく我慢してください。
真実は「軍命なし」、しかし当たらないだろう。
11万人といい、NHK報道といい、殆どの人がそう思います。
周囲の人に「教科書問題知ってる?」
「えっ?。ああ」と、兎にも角にも少ない、興味を持っている人は。
「軍命は無かったんだ!」と言っても
「いや、あれはあったでしょう」
というのが現実です。
世論は宝くじ、はずれ、興味のない人が多過ぎる。
報道は11万人のときと同じように危機感を覚えます。また、そこが狙いなのでしょうが。何かどさくさ紛れに押し切られはしないか、と。
ここでとやかく言っていても、井の中の蛙でしかないのか。裁判に負ければ、何だったんだ?に終わってしまいます。
因みに、私の経験上、裁判官はど素人です(公平と言う意味で)。その無知の素人、言い換えれば敵と言っても過言ではありません、その心証を得るには、並大抵のことでは動きません。こちらが明らかと証明してもです。
このブログをもっと世間に広める必要性を感じました。
狼魔人さま、もう一踏ん張り、お願いします。
キー坊には鏡をプレゼントしよう
品性下劣がどの口で言うのかよく見てみるんだな
宝くじ、一等賞、真相は重々ご存知のようです、当然ですが!
しかし、当たっては余程都合が悪いとお見受けします。
それはK氏以上の深い理由があるのでしょうか?
名を残すのは大江です、それもノーベル賞作家としてでは無く。一審で「軍命あり」は???でした。証拠もあろうはずがないから、良識ある最高裁では「軍命あり」は完全に「×」。これだけは覆りようがない。
それなのにまだしつこく能書きをたれていらっしゃる。もしかしてK氏の???では?と勘ぐるのも致し方ないところです。逆に言えば、「あり派」も相当追い込まれている証拠か。