狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

真珠湾攻撃以前に日本を攻撃していた米国

2013-09-03 08:00:24 | 県知事選

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昨日は昼過ぎから那覇にでて、野暮用を数件済まし、夜から友人三人と食事会をした。

久しぶりにカラオケで蛮声を張り上げたいという話が持ち上がり、台風で雨の降る中、友人行きつけのカラオケスナックへと繰り込んだ。

呑んだアルコールは、順に言うとビール、日本酒、ワインとまるで整合性がない。後で気がついたのだが、日頃醸造酒は悪酔いすると言ってるくせに、醸造酒オンリーだった。 台風で客が我々三人だけだったので貸しきり状態。 久しぶりにマイクに向かって蛮声を張り上げたが、カラオケがこんなに疲れるものと初めて知った。 息切れがしたのだ。

帰宅は久しぶりの午前様。 タクシーの深夜料金はスナックの飲み代より高くついた。 逆に言えば安スナックで飲んだという証明にもなる。

おかげで、今朝は昨夜の醸造酒が後を引いて、酔眼朦朧、ブログ更新のネタを考える気力もない。

コメント欄に古いエントリーへの言及があったので、これ幸いと7年前にエントリーした関連記事を一部加筆して、本日のエントリーに代えたい。 ヨロシク。

 

「真珠湾」の4年前から日本と戦っていたアメリカ人少将

「幻のAmerica’s Sneak Attack on Tokyo」

 1941年12月8日。日本の「真珠湾攻撃」によって日米戦争が始まった。

だが、実はその四年前アメリカは既に日本と戦っていた。

卑怯にも(sneak)日本攻撃(attack)の準備をしていたのだ。

そのときアメリカ製戦闘機を駆って日本軍と戦っていたアメリカ人士官とアメリカ人戦闘機集団がいた。

                    *

アメリカでは軍戦没者は一兵卒でも英雄として扱われる。

最近のテレビ映像等でもイラクで戦死した兵士の棺を星条旗で包んで国に殉じた英雄として丁重に扱うシーンが記憶に新しい。

昨年の2005年5月28日、アーリントン墓地に約四百人の老いた退役軍人が集結した。

彼らはフライングタイガースの元隊員であった。 

フライングタイガースの元隊員といっても、大阪の道頓堀川に飛び込む熱狂的な阪神ファンのことではない。

日米開戦の四年前、既に日本と交戦状態にあった中国に航空部隊として参戦した「アメリカ合衆国義勇軍」の事をフライングタイガースと称していた。

アーリントン墓地の軍戦没者慰霊祭に参列している一人の年老いた東洋系婦人がいた。

元軍人集団の中心にいるこの老婦人はフライングタイガースの創設者シェンノート元少将の未亡人、陳香梅であった。

時は遡り今から16年前の1989年。

あるアメリカの航空貨物会社が消滅した。

アメリカの航空貨物会社・フライングタイガースス社のことだ。

世界最大のアメリカ航空貨物社「フェデックス」に吸収されたのだ。

フライングタイガース社は大戦終了の年1945年に設立の44年の歴史を誇っていた。

しかしその社名の由来は終戦の年から更に八年時代をさかのぼり故シェンノート少将に行き当たる。

この航空貨物会社「フライングタイガース」の名前は1937年誕生のアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group,AVG)に由来していた。

日本では天空を駆ける想像上の生き物として「天馬」がある。

中国では飛竜が一般的だが、空を飛ぶ虎は無敵であるという故事から「飛虎」という想像上の無敵の動物を敬う。

中国を愛したシェンノートはこの中国の故事に因んでフライングタイガースという名の航空義勇軍を創設した。

因みに写真で見るフライングタイガース戦闘機は頭部に歯をむき出して大口を開けているサメの絵が描かれている。

戦闘機の体形上虎よりサメの方が描きやすかったのだろうが、フライングシャークス、「飛鮫」では大陸国家中国の空を雄飛するには格好がつかない。

その代わり乗務員は翼の生えた虎のマークの入ったエンブレムを背中に貼り付けていたようだ。

 

フライングタイガースを創設した故シェンノート少将。

アーリントン墓地ではその夫人が約400名の退役軍人にエスコートされ、
「中国人の誰もが知っているアメリカ軍将軍」として今でも中国人に愛されている故シェンノート少将といったいどんな人物なのか。

シェンノートは1893年9月6日テキサス州に生まれた。
1937年7月、中日戦争が全面戦争に突入すると、シェンノート大佐は中国の昆明に航空学校を設立して、積極的に中国空軍の対日作戦を支援した。

大佐はパイロットの養成だけでなく、自ら戦闘機に操縦し戦闘にも参加している。

日米戦争が勃発すると、アメリカ政府は積極的に中国を支援する方針を採った。

1942年7月、航空志願部隊は第10航空隊中国特別派遣部隊に編入され、准将に昇進したシェンノート氏がそのまま指揮に当った。

1943年3月、部隊はアメリカ陸軍航空隊第14航空隊に再編入され、シェンノート氏は少将に昇進する。

■「真珠湾攻撃」の前に組織されたフライングタイガース

1941年7月に組織されたアメリカ志願部隊は23戦闘機大隊から第14航空隊に編入されるまで、シェンノート氏は一貫して志願部隊の指揮を執り、自身も退役将校から少将にまで昇進した。


シェンノートン少将の中国に対する思いは深く、中国人を夫人にし、昆明に家を建てて、生涯を中国で過ごすことを希望していた。

1945年7月、日中戦争勝利を目前に、シェンノート少将は8年間暮らした中国を離れ、アメリカに帰国した。

このとき、中国人の群集がシェンノート少将を見送りに集まっている。
人々は彼の乗用車を取り囲み、まるで駕篭を担ぐように乗用車を担ぎ上げ、数時間かけて中心広場まで運んだという。
広場のひな壇はフライングタイガースのエンブレムで飾られ、花束でアーチが築かれていた。
別れを惜しんで握手を求める人々の長蛇の列にシェンノート少将は、感激の涙を流した。

この情景はマッカーサーがに離日した時の日本人のマッカーサーに対する惜別の表現を髣髴とさせるものがある。

・・・・・で、そのフライングタイガースが一体どうしたのかって?

今までの話は単なる前書きであって本題は今から始まる。

日本人には馴染みの薄いシェンノートというアメリカ軍人がアメリカ人による「義勇航空隊フライングタイガース」を中国に創設した1937年という年度に注目して欲しい。

その年シェノートが義勇軍を創設して数ヵ月後に事実上の日中戦争の開始とも言うべき盧溝橋事件が起きている。

そのころの中国大陸は蒋介石率いる国民政府、毛沢東率いる共産政府が分裂し各地で内戦が行われていた。その間を掻い潜るように日本軍が右往左往していた。

シェンノートは中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられた。

当時48歳であった彼は健康上の理由により軍では退役寸前であったが蒋介石は空戦経験の豊富な彼を中国空軍の航空参謀長とし階級も大佐としての待遇を持って国民党政府に招き入れた。

着任したシェンノートはまず重慶の基地を見回り中国空軍内を視察してまわった。

そしてそれまで爆撃機を主軸に活動していた中国空軍に対しシェンノートは蒋介石に「日本軍航空隊に対し中国軍は優れた戦闘機100機とそれを操縦する優れたパイロットを持つことで、中国空軍はこの脅威を退けることが出来るでしょう」とのアドバイスを行っている。

この意見は蒋介石に承認され、アメリカ合衆国と協議の結果、承認された。

アメリカは当時中立政策をとっていたため表面だって中国を支援する事は国民の支持を得にくかった。

「リメンバーパールハーバー」より遡ること四年前の事である。

つまりアメリカは「真珠湾の卑劣な攻撃(sneak attack)」の実に4年も前から日本と交戦していたのである。

歴史に「もし」は許されない。

だが密かに計画されていた「1941年9月下旬のロッキード・ハドソン長距離爆撃機による東京、大阪の空爆計画」が実行されていたら

「東京空爆を忘れるな!」(リメンバー;・東京)

が日本の合言葉になっていただろう。

これ嘘のような本当の話。

1958年7月27日、シェンノート少将はアメリカで死去したが、中国系アメリカ人の陳香梅夫人は今も健在である。

 

 

フライングタイガーの創始者シェノートと陳香梅夫人

 

「フライングタイガーズ」のパイロットは、蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、当時の新米パイロットの5倍相当に当たる月給600ドルと日本軍機1機撃墜ごとに500ドルという破格の報酬で、全米各基地から集められた。全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた」
(読売新聞1991年7月8日)

 

驚くべきことに、フライングタイガーズが東京や大阪の奇襲攻撃を計画していた

作戦には350機のカーチス戦闘機と150機のロッキード・ハドソン長距離爆撃機が参加の予定で、うまくいけば(1941年)9月下旬には東京や大阪に大量の焼夷弾をばらまいて木と紙の日本の家屋を焼き尽くすはずだった。だが、「フライング・タイガース」が集結したビルマの英空軍基地には10月下旬になっても肝心の爆撃機は到着しなかったのである。(中略)需要の多い爆撃機はその年の暮れになっても届かず、41年12月7日の真珠湾攻撃で日米が開戦すると、中国大陸を経由した日本爆撃そのものがほごにされ、計画はやみに葬られた
(産経新聞2000年7月15日)


◆本稿は下記タイトル「飛虎」で今年1月7日、プライベイト・サイト「マックス」に掲載したものに一部加筆した記事の転載です。 

【Date:  2006年1月7日(土) 午前9時44分】
【Subject:  飛虎】



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連絡先:070-5410-1675(仲村)

 

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「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

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那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

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ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
                     又吉康隆

二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


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コメント (9)    この記事についてブログを書く
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9 コメント

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友人から転送されました (安仁屋正昭)
2013-09-03 13:08:26
真珠湾の5ヶ月前にルーズベルトは
日本爆撃にOKのサインしていた!
http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/entry/2534033/

我が国唯一の同盟国ではありますが、全幅の信頼を寄せられる国ではないことは確かです

互いに 飲み過ぎのはご注意を

返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-03 16:11:47
最近は左翼なみの反米コメントが大盛況ですね。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-03 17:41:22
右や左の問題じゃねーんだよ。

事実の問題なんだよ。

返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-03 17:58:31
事実の問題って何?
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-03 19:57:42
一体何を読んでいるんだよ。

フライングタイガースのことだろが。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-03 20:06:47
フライングタイガースではなく、ここ最近のコメント欄
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-03 21:52:01
だから右や左話しじゃねーってんだよ。
返信する
Unknown (狼魔人)
2013-09-03 22:05:41
以後、ハンドルネームのないコメントは、削除の対象となります。
返信する
Unknown (宜野湾より)
2013-09-03 23:06:24
以前オーストラリア北部の田舎町のバーで、日本人嫌いのオーストラリア白人に絡まれたことがあります。
有色人種蔑視ベースの上に、余裕で戦後生まれなのに、日本軍のダーウィン空襲を恨みに思っている男でした。
こちらも戦争の犠牲者だとかもし言ってみたとしても、そんなこと彼には関係なかったでしょう。
日本軍の空襲は軍事施設に対してで無差別爆撃ではなかったけれど、立場が違えば解釈は違って当たり前です。
そういうオーストラリア人には他にも遭ったことがあります。
でも彼らだって、自分/自国の解釈に日本人/日本も揃えろ、なんてことは言いません。
中には知識のソースがトンデモ映画「オーストラリア」(日本軍がアボリジニを爆殺したと描かれている!)だったヤツもいましたし、互いにわかっていて長い付き合いをしているヤツもいます。
白人国家の本土が有色人種に空襲されたことはじゅうぶん彼らのプライドを傷つけたでしょうが、一方で敵を沈め自沈した日本軍の特殊潜航艇の乗員に対して、敵ながら勇敢だったとしてオーストラリア海軍葬が執り行われてもいます。
戦争も様相はひとつではないんですよね。

出張で数日間県外にいたので、毎晩宿泊先で寝る前にその土地のインターネット・プロバイダで開設されている地元掲示板を読んでいました。
地域社会や国内・国際社会のテーマで盛り上がっているスレッドのレスを見ると、やっぱりあるある。
男vs女、正規雇用vs非正規雇用、専業主婦vs兼業主婦、公務員vs民間、安定企業従業員vs中小同族企業従業員、経営者vs被雇用者、公立vs私立、地元民vs観光客、反米vs親米、護憲vs改憲、自助努力vs厚い社会保障…

立つところによって見る景色が違うのは当たり前で、本質や優先順位や全体を良くする考え方や解決策はどうなのかっていうマジレスと共に、悪意のある決め付けた言い方で殊更に対立を煽りながら自分の見たてだけが正しいと言いたくてしょうがないって感じのレスが繰り返し出てくる。
たぶん沖縄から北海道まで、好戦的で破壊的な意図を持った人々がどこにもいるのだろうなと思いながら眺めていました。
法や事実や公序良俗の秩序に反することを除けば、ファンタジーや憶測を極力取り払って事実と事実でないものと未確定な事柄の区別に基づいた、一見平凡で中庸な意見ってやつがいちばん現実味や説得力がある場合が多いと感じました。
孔子やアリストテレスの中庸、釈迦の中道とはよく言ったものだなと。
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