狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・普天間第二小学移転頓挫の真相

2016-02-09 06:48:26 | 普天間移設

 

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沖縄タイムスの連載特集「誤解だらけの沖縄基地(8)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?」に反論し、続編を書く予定だったが、一回の反論で十分と考え、取りやめる予定だった。

だが、知人友人よりの督促があり、急遽本日続編を書くことにした。

移転断念の理由は「危険と同居やむえない」「PTA苦渋の決断」だってさ。

バカバカしいったらありゃしない!

 

誤解だらけの沖縄基地(8)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(上)2016年1月31日 07:15 

普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市

 

「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。普天間飛行場の危険性の象徴として、市民団体が第二小を移転させずに反基地運動に利用しているという趣旨だ。同校は1980年から10年以上も移転問題に揺れた。なぜ、学校は動かなかったのか-。

» 基地と原発のニュースをフクナワでも

 この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

 ネットで引用されているのは当時の保守系市長、安次富盛信氏や「市関係者」らへの取材をもとにした2010年のある全国紙の報道だ。

 報道によると、第二小はこれまで82年の米軍ヘリ墜落事故をきっかけに2度移転計画が持ち上がった。安次富氏が米軍と交渉し、キャンプ瑞慶覧の一部を学校用地として返還させることで合意し、予算も確保した。だが、市民団体が「移転は基地の固定化につながる」「命をはってでも反対する」などと抵抗したため、計画が頓挫したという。

 「こんな話は、聞いたことがない」。教育次長や企画部長などで同問題にかかわり、のちに宜野湾市長を務めた比嘉盛光さん(77)は首をかしげる。報道内容とは逆に、予算の補助を国に求めたが、最後までかなわなかったからだ。

 第二小は普天間小学校の過密化を解消するため69年、普天間小敷地内に暫定的に設置。翌70年、普天間飛行場に隣接し、滑走路延長上にある現在の場所に一部校舎が完成した。だが、文部省(当時)基準の4割にも満たない狭い敷地だったため、市は70年代から普天間飛行場の一部を返還させて敷地の拡張を模索する。79年には山口県岩国基地や、返還予定だった北谷町のハンビー飛行場から米軍ヘリなどが普天間飛行場に移駐。第二小の騒音は悪化し、教育環境の改善は、さらに急務となる。

 80年9月25日。安次富氏は、ある方針を打ち出す。

 「騒音で中断を余儀なくされ、適正な教育活動もできない。移転することが得策だ」。第二小の移転先として普天間飛行場と500メートルほど離れたキャンプ瑞慶覧の一部(現在の西普天間住宅地区)返還を求め、那覇防衛施設局(当時)へ要請書を出した。

 わずか1週間後の10月2日、滑走路で離着陸訓練中のOV10ブロンコが墜落。第二小移転の機運はさらに高まった。(「沖縄基地」取材班)

                                 ☆

>「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。

 >この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

ここで言う「インターネット上の流布話」とか「市民運動に批判的ブログ」とは当日記の指摘のことと思われる。(笑)

記事では移転が頓挫した理由として、国が移転に掛かる経費を補助する制度がなかったかとしているが、そもそも国が市の小学校移転に補助する制度などあるはずがない。 ただ、「子ども達の生命を守るため」と、市長が本気で取り組んだら移転が頓挫するはずはない。

市長が移転を断念した一番の理由が「市民」や「PTA役員」だったことは次の記事を見れば明白である。

誤解だらけの沖縄基地】(10)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)

2016年2月2日 07:01
 
PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

「危険と同居 仕方ない」「PTA苦渋の決断」

» 誤解だらけの沖縄基地(9)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)

 1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。

 なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。

 たとえ移転を選択しても、学校用地費は計画当初の25億円から50~60億円に高騰。市が要求してきた国の補助は認められず、移転はいつになるか分からない-。

 PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。

 当時、校長の比嘉岳雄さん(81)は「天井のコンクリートがはげ落ちて落下する。鉄筋はむき出し。私たちにできることは、老朽化による危険から子どもたちを守ること。米軍基地からの危険を取り払うのは政治にしかできなかった」と振り返る。

 比嘉さんは新校舎落成記念誌に、沖縄に米軍基地が集中している現状を踏まえ、国から用地費の補助が出なかったことに、こう記している。

 「当時の関係省庁は沖縄の実情を全く組み入れず、全国共通メニューで操作していて、政治的配慮に欠けていたと思う」

 さらに、学校を移転しても米軍基地の整理縮小、市全体の危険性にはどう向き合うのか。移転計画は基地あるがゆえの問題に阻まれた。

 一般質問で第二小問題を取り上げていた革新系元市議の上江洲安儀さん(80)は「第二小が移転するということは普天間飛行場が存在し続け、市に危険がそのまま残るということだ。近くにはほかの学校もあり、第二小を移転したとしても、根本的な解決につながらない。普天間飛行場こそ撤去するべきだった」と指摘する。

 報道は、歴史的背景や経緯が不明なままネット上で拡散し、オスプレイや辺野古新基地建設の反対運動への批判を誘導している。

 沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)は「報道を利用した反対運動への批判は、沖縄への米軍基地の集中を正当化したい心理があり、沖縄をおとしめて、罪悪感を拭いたいという気持ちがある」と指摘。その上で、「若者がネット上の虚偽の言説を受け入れてしまうのはなぜかも考える必要がある」として、歴史の知識の欠如に警鐘を鳴らした。(「沖縄基地」取材班)

                  ☆
>1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。
 
 
>なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。
 
子供たちの生命を守るために、一体何をもって「苦渋の決断」をするのか。
 
皆で一致団結して国に移転経費の補助を求めることは出来なかったのか。(怒)
 
子どもを隣接する普天間基地の危険から守るために移転するのに「苦渋の決断」もないだろう。
 
>建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。
 
決断もクソモない。
 
現在地での建て替えは結局、逆の意味での「普天間の固定化」を子供たちに押し付けたことになるのではないか。
 
これって、親のイデオロギーで子供たちを犠牲にしたのでしょうが。(怒)
 
>PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。
 
増改築だって金が掛かる。
 
沖縄タイムスは「市民」の意見や「PTA決議」に責任転嫁しているが、彼ら「市民」や「PTA役員」こそ、ネットが普及していないその当時の「プロ市民」であったことは間違い。
 
良識ある市民やPTA役員だったら、子供たちを危険から守るための移転に反対決議などするはずがないからだ。
 
沖縄タイムスは当時の新聞を提示して「危険と同居仕方がない 普天間第二小移転を断念」などと報じているが、こんなバカな話はない。
 
「危険と同居仕方がない」。
 
これが「プロ市民」や沖縄タイムスの本音ではないのか。
 
 
沖縄タイムスが3回連載で「普天間第二小学校の移転頓挫の真相」を弁解していたが、弁解すればするほどブーメランとなって己を直撃するのには、滑稽でさえある。
 
結局、普天間第二小学校が移転を断念した理由は、プロ市民の妨害によるもの。
 
これが真実である。
 
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4 コメント

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Unknown (東子)
2016-02-09 09:45:12
>>なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。
>子供たちの生命を守るために、一体何をもって「苦渋の決断」をするのか。
>皆で一致団結して国に移転経費の補助を求めることは出来なかったのか。(怒)

金で諦めた?

辺野古で売っているTシャツに
「負けない方法 勝つまでずっと諦めぬこと」
と、書いたのがある。
その精神で、シュワブ・ゲート前で500日近く、頑張っている。

「命どぉ宝」だってある。


「【誤解だらけの沖縄基地】(9)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中) 2016年2月1日」
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=152128

>キャンプ瑞慶覧の一部を学校の用地として返還する代わりに、いま第二小がある敷地を普天間飛行場に編入する。
>つまり、市民の土地を新たに基地へ差し出すというものだった。

単純に交換である。
地権を置換するのである。

それを、「新たに基地へ差し出す」と表現。
これ、普天間を辺野古に移設することを「新基地建設」と呼ぶのと同じ手法。
返信する
Unknown (東子)
2016-02-09 09:55:40
国と沖縄県の間にある3つの裁判。
(ア)県被告 11月17日:翁長氏に承認取り消しを撤回するよう国が求めた「代執行訴訟」
(イ)県原告 12月25日:国土交通相に承認取り消しの効力を停止した決定を取り消すよう県が求めた「抗告訴訟」
(ウ)県原告  2月 1日:第三者機関「国地方係争処理委員会」の決定(「(埋め立て承認取り消しの効力を国が停止した)国交相の判断は一見、明白に不合理とは言えない」として却下)を不服とした訴訟


「沖縄県「早く裁判期日を」 辺野古抗告訴訟で上申書 2016年2月8日」
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=153183

>国側は審理の場所を那覇から東京へ移すよう申し立てているが、県は上申書で「却下されるべきだ」と主張した。
>県の担当者は理由について、取材に「現場は沖縄にある。那覇地裁で審理すべきだ」と述べた。(共同通信)


「辺野古抗告訴訟、県が期日指定を再要求 提訴から異例の45日経過 2016年2月9日」
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-218407.html

>2015年12月25日の提起以来、16年2月8日現在で45日間が経過している。那覇地裁が30日を超えても期日を指定しない異例の事態となっている。

店晒しにあっているのは、(イ)。
(ウ)は、高裁で2月15日午後1時15分から、(ア)は同日同場所で午後2時から。
そのとき、(イ)の扱いも話されるかしら?

ただ、(イ)は地裁、(ウ)は高裁だから、その辺がどうなるのやら。
返信する
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2016-02-09 10:53:25

オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒限定の「ぼくも私も」除く)。

「自衛隊配備の 行く末を懸念」の那覇市・松原須奈子さん(67)は、1月9、25日に続き今年3回目の掲載。
「基地の撤去へ 独立考えては」の那覇市・国吉真蔵さん(61)は、昨年8月15日以来の掲載。
「強い心持って 世の中に貢献」の伊江村・名嘉元新精さん(66)は、1月10日に続き今年2回目の掲載。
「田植え手伝い 懐かしく思う」の読谷村・長浜ヨシさん(87)は、昨年12月2日以来の掲載。
「格差是正実現に全力を」の那覇市・渡久地政弘さん(77)は、昨年10月19日以来の掲載。
「『ひと手間』から」の沖縄市・上運天小百合さん(34)は、2012年5月13日以来の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。

返信する
Unknown (東子)
2016-02-09 19:18:16
「アメリカは「普天間5年内停止」を強く拒否 議会報告書に明記 2016年2月7日」
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=153003

「アメリカは『普天間5年内停止』を強く拒否」と言ってもいないことを見出しにしているが、この記事に大事なことが書いてある。
それは、安倍総理の言葉だ。

>安倍晋三首相は経済支援など全力を尽くすと約束したものの、普天間の運用停止要請については「米政府の同意なしに、日本政府が基地に関する事項を一方的に決める権限はない」と指摘。
>米側は仲井真氏のその他の要請内容については一定の協力姿勢は示した

「日米で合意したことを、日本が勝手に変更できない」と安倍総理は言っている。
では、日米合意とは?
「辺野古移設した後、普天間閉鎖」である。

志村候補が言う「条件無しの普天間閉鎖」でもなければ、翁長知事の言う「県外、国外への移設で普天間閉鎖」でもない。

そう!
この記事は、志村氏も翁長知事も、実現できないことを公約にしたことを証明する記事なのだ。


「翁長沖縄県知事、訪米は大失敗 米側は冷淡で成果伴わず 2015.06.05」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150605/dms1506051830016-n1.htm

>「辺野古に移すことに県民は我慢できない。日米首脳会談で決めたからといってスムーズにいくことではない」
>翁長氏は
>県外・国外への移設を目指すべきだとの持論を伝えた。
>国務省は同日、移設を進展させるとの日米両政府の姿勢は「揺るぎがない」と知事に伝えたとする声明を発表した。
>声明では、辺野古移設が運用、政治、財政、戦略に関わる懸念に対処し、普天間飛行場の固定化を避ける「唯一の解決策」だと強調し、施設建設の成功で「地域に日米同盟の強固さを知らしめ、脅威を抑止できる」とも指摘した。

翁長知事は、辺野古移設を「日米首脳会談で決めた=日米が合意」していることを知っている。
知っていて、「条件無しの普天間閉鎖」「県外、国外への移設で普天間閉鎖」を公約にした。
参院選でも、公約に掲げるだろう。
「県外、国外への移設で普天間閉鎖」で当選しているのだから。


「宜野湾市長が訪米検討 固定化阻止を要請 4月にも 2016年2月9日」
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-218552.html

>宜野湾市の佐喜真淳市長が米軍普天間飛行場の返還合意から20年を迎える2016年度中にも訪米し、米軍普天間飛行場の固定化阻止などを要請する方向で調整
>実現すれば宜野湾市長による訪米は比嘉盛光氏、伊波洋一氏に続いて3人目となる。

翁長知事の訪米は成果ゼロと言われているが、伊波氏の訪米は、どんなものだったか。


「米太平洋軍、宜野湾市長を門前払い 2008年7月29日」
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-134676.html

>普天間飛行場の運用停止を米太平洋軍司令部などに訴えるため
>訪ねたが、面談と要請文の受け取りを拒否された。
>同司令部報道部は「大使館など正式のルートでなければ受け取れない」とした。
>伊波市長の依頼で同司令部との面談を調整していた上院議員事務所からの連絡によると、同司令部は「普天間飛行場の問題は2国間の外交交渉で行うべきだ」などとして断ったという。
>米軍基地の危険性について地元首長が普天間飛行場マスタープランで示された「米軍自身の安全基準違反」という材料を持って挑んだ訪米要請だったが、門前払いとなった。

この当時、既に「辺野古移設」は決まっていたにもかかわらず、「米軍自身の安全基準違反」で閉鎖しろっと言い行った伊波氏。
味方のはずの新報にまで、はっきり「門前払い」と書かれるほど、惨めな旅でした。


「宜野湾市長による訪米は比嘉盛光氏、伊波洋一氏に続いて3人目」と、何だか今までの延長のような書き振りだが、佐喜眞氏はどう扱われるか。

佐喜眞氏は「辺野古を争点にしなかった=辺野古を否定していない」。
その上で、「普天間の“早期”に危険性除去」を言っている。

安倍内閣と綿密に連絡をとり、外交ルートを使って、面談すると思う。
4月訪米なら、翁長知事、伊波氏との格段の差を、参院選前に見せつけることになる。
再度「辺野古が唯一」が強調される。

5年以内に閉鎖が叶わなかった時の保険に、「沖縄が工事の邪魔をしなければ、米政府は、5年以内の閉鎖を“鋭意”努力する(約束する?)」の言葉をもらってくるお膳立てがなされてるかも。
「沖縄の妨害=翁長知事の非協力」に責任を被せる布石(ふふふ
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