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沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版します。
決定版です。
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狼魔人日記
江崎 孝
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3月26日(8月15日)発売を目途に皆様に献金をお願いした『沖縄「集団自決」の大ウソ』(仮題)の編集作業が現在進行中です。資金難により最低限の出版数400冊で調整中ですが、出来れば市場に出回る出版数も800冊~1000冊と一冊でも多い方が目立ちますし、本の体裁もより目立つ体裁にしたいと考えています。
そこで再度皆様の献金ご協力お願いいたします。
★すでに御献金賜った方には、出版本を贈呈したいと思いますので、下記メルアドに贈呈本の送り先、住所氏名をご一報いただければ幸いです。
管理人への連絡⇒ezaki0222@ybb.ne.jp
※申し訳ありません。 諸般の事情により発売日が8月15日(終戦の日)と大幅に遅れる公算が大きくなりました。 しかし、内容には自信を持っていますのでご期待ください。
「八月や六日九日十五日」詠み人多数。
米軍の民間人大量虐殺がなければ「沖縄・集団自決」も起きていない。
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文末に【追記】あり。
集団自決の歪曲報道は『鉄の暴風』に始まると言われる。 『鉄の暴風』が米軍のプロパガンダ本として米軍の厳しい検閲の結果だということを示す比較的最近の記事を紹介した。
それがこれ。↓
<翌日、座安さんと一緒に『鉄の暴風』の出版許可をもらいにライカムへ行ったことを覚えている。>
◇
大阪地裁の深見裁判長は、被告側が隊長の自決命令の証拠として提出した『鉄の暴風』に対しては、「戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として、資料価値を有するものと認めるのが相当である」と評価した。
その瞬間、原告側が提出するいかなる証拠も、『鉄の暴風』という間違った基準で判断されることになる。
それは「戦後民主主義」の呪縛に絡め取られた裁判長が、その象徴とも言える大江健三郎と岩波書店を必死に護った瞬間でもあった。
『鉄の暴風』が米軍の強力な検閲の元に出版されたということは、ジャーナリストの鴨野守氏を始め多くの研究者によって明らかにされている。
原告側に立つ論者が、『鉄の暴風』の生い立ちのいかがわしさや数多くの捏造箇所を指摘しても、被告側としては、裁判長が一定の評価をした以上、なるべくこの問題には触れずに頬被りをするのが得策である。
ところが『鉄の暴風』の集団自決の章の執筆者の遺稿に、誤記の部分を単なるウワサで書いたと告白し、「ウワサだけど当時は仕方なかった」と正直に吐露している部分がある。
詳細については『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP研究所 秦郁彦編)の《『鉄の暴風』と太田良博》(171頁~180頁)を参照されたい。↓
沖縄戦「集団自決」の謎と真実 |
関連エントリー⇒星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ
今回これに加えて、張本人の沖縄タイムスが自社の出版物で、しかも『鉄の暴風』のもう一人の執筆者・牧港篤三氏の談話として米軍の圧力について語っている記述を発見した。
沖縄タイムス発行の『沖縄の証言』(上巻)(沖縄タイムス編 1971年)が、『鉄の暴風』発刊の裏話を7頁にわたって掲載し、「米軍の“重圧”の中で」「三カ月かけて全琉から資料を集める」「書けなかった、ある一面」などの小見出しの下に、
米軍の監視のもとに書かざるを得なかった執筆の内幕を書いている。
1971年といえば沖縄が返還される一年前。
まさかその30数年後に『鉄の暴風』が原因となる裁判沙汰が起きようなどとは夢想もせずに、二人の執筆者は気軽に本音を吐いていたのだろう。
関連部分を一部抜粋する。
<原稿は、翁長俊郎(元琉大教授)に翻訳を依頼し、英文の原稿を米軍司令部へ提出した。 当時の軍政長官シーツ少将が、感嘆久しくした、といううわさも伝わった。 にもかかわらず、しばらく反応はなかった。 あとでわかったのだが、米軍司令部で関係者が目をとおしたのち、「オレにもよませろ」と、ほかにも希望者が続出して許可が遅れたのだという。 米側にも公表だったわけである。>『沖縄の証言』(上巻)(303頁)
脱稿後翻訳して米軍に出版の許可を仰いでいることはこの記述で明らか。
<「鉄の暴風」(初版)の序文には、米軍のヒューマニズムが賞賛されている。 「この動乱を通し、われわれが、おそらく終生忘れ得ないのは、米軍の高いヒューマニズムであった。 国境と民族を超えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更生第一歩を踏み出すことができた。 このことを特筆しておきたい」。 たしかに、戦場の各所で、多くの住民が米軍に救出され、米軍に暖かいイメージを抱いたとしても不思議ではない。 沖縄住民は日本に見離され、米国の被保護者に転落していたのだから。
しかし、「鉄の暴風」が米軍のヒューマニズムを強調したのは、そこに出版の許可条件を満たすための配慮もなされていた、という時代的な制約を見落としてはならないだろう。>(304頁)
太字強調部分は多くの研究者が言及していたが、沖縄タイムス自らがこれを認めた記事は珍しい。
<1949年5月、具志川村栄野比で戦後のラジオ放送の第一声を放った琉球放送(AKAR)は、翌年10月1日の午後7時45分から、毎晩きまった時期に「鉄の暴風」-全文433ページを朗読放送した。 朗読担当者は川平朝清アナウンサー。 クラシックの音楽をバックに流して効果を出したという。>(305頁)
「鉄の暴風」のラジオ放送は、1945年(昭20)12月9日からNHKで放送された、ラジオ番組「真相はこうだ」を明らかにい意識していた。
「真相はこうだ」は、NHKの独自番組のように放送されたが、実際は脚本・演出までGHQの民間情報教育局が担当した。
内容は満州事変以来の軍国主義の実態を暴露するドキュメンタリーで、アメリカの都合で故意に歪曲された部分も少なくなかった。
ちなみに沖縄版「真相はこうだ」ともいえる「鉄の暴風」のラジオ朗読をした川平朝清アナウンサーは、ディスク・ジョッキーのジョン・カビラ、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈、そして俳優の川平慈英という3人の父親である。
<苦しかった執筆条件
牧港篤三談(執筆者の一人ー引用者注)
戦記執筆前に日本の戦記出版類をたいてい読み、太田君もトルストイの「戦争と平和」を精読したと言うことでした>(307頁)
「鉄の暴雨風」の問題の箇所「集団自決」を執筆した太田良博氏は、沖縄タイムス入社直前まで米民政府に勤務する文学愛好家であった。
戦前からのベテラン記者であった牧港篤三氏が執筆の前に準備として目を通したのが日本の戦記物だったのに対し、文学青年の太田氏が精読したのは戦記の類ではなく、トルストイの「戦争と平和」であったという事実は「鉄の暴風」の性格を知る上で興味深いものがある。
<米軍占領下の重ぐるしい時代でしたから、米軍関係のことをリアルに書けば、アメリカさんは歓迎すまい、といった、いま考えると、つまらぬ思惑があったのも事実です。 タイムリーな企画ではあったが、書く条件は苦しかった。>(307頁)
「戦後民主主義」の呪縛に取り込まれた深見裁判長が、必死になって大江健三郎と岩波書店を守るための根拠となる『鉄の暴風』に誤った評価を与えても、執筆者の太田良博氏や、牧港篤三氏がその遺稿や談話で「『鉄の暴風』はウワサで書いた」とか「米軍重圧の思惑のもとに書いた」と吐露している以上、『鉄の暴風』に資料的価値を求める深見裁判長の判断は、逆説的意味で正しいという皮肉な結果になる。
つまり、書かれた昭和24年当時の沖縄が、戦記を書くにはウワサで書くのもやむえなかった時代であり、米軍のいやがることは書けなかった時代であったという歴史を知るために、『鉄の暴風』の資料的価値は充分にあるということになる。
今でも『鉄の暴風』を沖縄戦記のバイブルと狂信する方々は、二人の執筆者の正直な告白には「三匹の猿」のマネをし続けるのだろうか。
見ザル
聞かザル
言わザル
日光東照宮の左甚五郎作
見ざる...
いわざる...
着飾る... なんちゃって!(某ブログから頂きました)
【追記】
太田良博記者が『鉄の暴風』を書いたとき、米軍の顔色伺いながら書いたと、吐露する場面が『ある神話の背景』に描かれている。 以下は『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編)よりの引用です。
曽野綾子は『ある神話の背景』の取材で太田にあったときから、すでに太田の記者としての危うさを察知していた。 曽野は、逆説的に“玄人”という表現を使って、米軍と『鉄の暴風』の関係について、同書の中で次のように述べている。
《太田氏は、この戦記について、まことに玄人らしい分析を試みている。「太田氏によれば、この戦記は当時の空気を反映しているという。 当時の社会事情は、アメリカ軍をヒューマニスティックに扱い、日本軍閥の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。 太田氏はそれを私情をまじえずに書き留める側にあった。 「述べて作らず」である。 とすれば、当時のそのような空気を、そっくりその儘、記録することもまた、筆者としての当然の義務の一つであったと思われる。
「時代が違うと見方が違う」
と太田氏はいう。 最近沖縄県史の編纂所あたりでは、又見方が違うという。 違うのは間違いなのか自然なのか。」(「ある神話の背景」)》
驚いたことに太田氏は『鉄の暴風』を執筆したとき、その当時の米軍の思惑を自著に反映させて「アメリカ軍をヒューマニスティックに扱い、日本軍閥の旧悪をあばく」といった論旨で書いたことを正直に吐露していたのである。
このとき太田は後年曽野と論争することになるとは夢にも思わず、『鉄の暴風」を書いた本音をつい洩らしてしまったのだろう。(『沖縄戦「集団自決」の謎と真実」(183頁、184頁)
沖縄で慰霊の日に保守系論客の講演会を行おうと思ったら大変でしょうねぇ・・・。
しかし、現在は違います。
そこまで状況が分かっていて、何故無視するのか?
歪曲された歴史を垂れ流しても日本人はちっとも嬉しくありません。
戦後に関する歴史は特に、日本人は大いに議論すべしと思います。
しかし、歴史は受験勉強の一部としてしか考えていないのか・・・
歴史は国民の背骨と言うのに、出来ればしっかり真実の歴史を追いかける、と言う姿勢を日本国民に持ってもらいたいです。
ワシも経済も入っていますが、歴史も書かせて頂いております。
そして、大きなブログの数値を見ると、結構な人が入っております。
唯、いかんせん、行っても数万人。
やはり、教育などで、戦後の歴史に真摯に向かい合う、と言う取組が無いと、歴史と言う背骨の無い国民が沢山誕生してしまいそうで、恐いです・・・
今は、見ざる、言わざる、聴かざる。そうするしか他に方法は無いのでしょう。そうして時間が過ぎるのを待つ作戦でしょう。
しかし、散々残虐非道と言われた日本軍の名誉はどうなるのでしょう。その人達には、子供が、孫が居るはずです。赤松さん、梅沢さんも家庭崩壊の危機にあったそうです。黙っていれば時が解決する問題でもないと思います。
沖縄のマスコミはチャンネル桜のインタビューに「その件はもう終わったことだ。」と取り付く島が無かったそうです。あまりにも無責任で、わがまますぎます。せめて謝罪の一言も会っていいと思います。そうでないと、今度は沖縄が汚名を受けることになります。永遠に。事は左翼運動とは関係の無い県民にまで及びます。沖縄タイムス、琉球新報。沖縄2紙の責任は大きいと思います。世論は何時までも沖縄に同情的ではありません。
大成功でよかったですね。
秋葉市長の言論弾圧に反発した人が多かったのでしょう。 沖縄の慰霊の日の講演会はまだ困難のようですね。
Surniversさん
あの当時はああ書かざるを得なかったということは理解できるのですが、戦後64年経っても「米軍の思惑」が正しかった主張する気持ちが理解できませんの。 その結果「残虐非道の日本軍」の代表にさせられた梅澤、赤松両隊長がお気の毒です。
涼太さん
>「その件はもう終わったことだ。」
都合の悪いことは、「もう終わった」で、都合のよいことは何時までも恨み辛みを叫ぶのが沖縄マスコミの特徴です。
星さん、上原さんに反論できないのは「集団自決」はもう終わったとでも思っているのでしょうかね。
もっとも「軍命はなかった」と確定しているので、「軍命の有無」については終わったのでしょう。(笑)