紛争は非暴力で解決を 市民団体、平和省設置呼び掛け
あらゆる紛争を非暴力で解決するために、「平和省」設置を目指し活動を行っている市民団体「平和省プロジェクトJUMP」(拠点・千葉県)のきくちゆみ代表ら3人が11日、県庁記者クラブを訪れ、活動への賛同と協力を呼び掛けた。アメリカで始まった同活動は全米50州、24カ国に広がり、9月には3回目の国際会議「平和省地球会議」を日本で開催し、終了後には沖縄視察も予定されている。 きくち代表は防衛省設置を懸念し「武力によらない解決方法もある。現憲法にふさわしい平和省があれば、より良い選択ができる」と訴えた。
運営委員の森田玄さんは「アメリカでは平和省設置の法案も提出され、運動は広がっている。各国の活動家が沖縄に来る意味は大きい」と強調。世話人でもある弁護士の金城睦さんは、県内での活動の広がりを期待した。
メンバーは平和のつくり方などを考えようと、14日午後1時半から那覇市の青年会館で映画「911の嘘(うそ)をくずせ」の上映会と懇親会を開催する。会費1000円。
発展途上国のメンバーが9月の国際会議に参加するための「平和省基金」への協力も呼び掛けている。問い合わせは090(5084)9663、井上聖まで。
(1/12 9:44)
金融経済学では、 貨幣の役割は、 しばしば身体における血脈の役割に例えられる。
貨幣は 経済取引を円滑に進めていくうえで欠くべからざるもの。
貨幣の供給が不十分だと、 経済活動は不活発になり、 デフレ現象を起こすし、
供給過多になれば、 インフレやバブルが発生する。
インフレが発生して商品価値が下がるのは貨幣供給のせいだけではない。
今まで希少で価値のあった商品が、何かの拍子に必要以上に大量生産されるようになってその商品の価値が下がることもある。
逆に、今まで大量漁獲により家畜の餌にしかならなかった鰯が漁獲量の大幅減少により高級魚になったような例もある。
ところで、ここで経済学のウンチクを傾けるのが今日の目的ではない。
何事でも必要以上に大量に製造乱発されると本来の持つ価値を希釈させてしまうということ言いたいのだ。
「平和」という言葉ほど枕詞として安易に使われてきた言葉を知らない。
なるほどこの言葉を枕詞に使えば、これに反論するものは「戦争愛好者」「軍国主義者」「ファシスト」さらには「ヒットラー」とさえあらぬレッテルを貼られてしまう。
だが、この「平和」の乱発によりかえって「平和」という言葉の持つ重みを薄っぺらしていることに「平和主義者たち」は気が付いていない。
平和憲法、平和学、平和教育、平和運動、平和学習、平和活動、そして平和の海。
思い付くだけでもかくの如しだが、上記琉球新報によると今度は「平和省」だという。
因みに「平和主義者」を英語では「パシフィスト(pacifist)」というが「ファシスト」と語呂が似て面白い。(これは前にも書いた)
北国新聞のコラムが「平和」を乱発して「平和インフレ」を引き起こしている「平和主義者」に対して寸鉄人を刺す文を書いている。
北国新聞 2007年1月10日
韓国の盧武鉉大統領の不人気ぶりをさらけ出すような話が、また伝わってきた。日本海を「平和の海」と改名するように昨秋の日韓首脳会談で提案し、安倍首相にはねつけられた
韓国が「東海」と主張する呼称問題は、歴史研究者の間ではほぼ決着しており、十九世紀には「日本海」の表記が国際的に定着したとされている。勝ち目のない争いだから「平和の海」などという奇妙な名を持ちだしたのか
北陸の海岸線に大量のごみを漂着させ、島の領有をごり押しし、領海内での密漁を続けながら「平和の海」とは厚かましいにもほどがある。そうではなく、火だねが絶えず、それをきちんと片付ける力がないからこそ、「平和」という美辞でうわべを飾りたいのだろう
他人の振りを見て、我が身をただすべきである。たとえば「平和憲法」という言葉が叫ばれ続けて久しい。だが、たとえ独裁者や好戦家であっても、振りかざすのは「平和憲法」、「平和のための戦い」なのである
手あかにまみれたように平和の言葉を乱用するのは、人類の崇高な理念に対し、はなはだ礼を失することになる。隣の国に、良き「反面教師」がいた。(北国新聞)
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