狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決

2020-08-05 04:49:06 | ★改定版集団自決

 

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現在当日記は、長年検証してきた沖縄戦史、特に集団自決の再検証を行っている。

その一環として過去に蓄積してきた集団自決関連の記事を一部編集して再掲している。

しかし、元々過去記事の一部を順不同でサルベージしているため、初見の読者には説明を要する部分もある。

最近の例では、昨日の記事の【参考資料】に現れた「軍命は創作」と証言した照屋昇雄さんについては新しい読者にとっては説明が必要と考える。

 

【参考資料】

「捏造された集団自決」の画像検索結果

 

「照屋昇雄 琉球政府 辞令」の画像検索結果

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以下は照屋昇雄さんを説明した過去ブログ「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決2006-08-28 

の再掲です。(一部編集)

                ★

渡嘉敷島の「集団自決」について当日記では「『鉄の暴風』(沖縄タイムス社刊)』の間違った記事が一人歩きして誤報が教科書にまで載った例だと再三述べてきた。

「従軍慰安婦」と同じパターンである。

誤報元の『鉄に暴風』が、例えば「梅沢ごときは、朝鮮人慰安婦二人と不明死をとげたらしい」といった明らかな事実誤認の部分を削除したにもかかわらず、ノーベル賞作家・大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波書店)は訂正もせずに「軍命令を出した」として赤松大尉を鬼畜のように断罪し続けた。

以来、半世紀に渡って沖縄の「集団自決」と言う言葉は、沖縄戦における「住民を助けた米軍」に対して「残虐非道な日本軍」を象徴する言葉として生き続けた。

又この「事件」は著名作家である大江健三郎、曽野綾子両氏を巻き込んで大きな論争を引き起こした。

いや、正確に言えば沖縄タイム刊『鉄の暴風』を鵜呑みにした大江氏の「沖縄ノート」に対して疑問を持った曽野氏が現地調査の結果「軍の命令があったと言う証拠は無い」とその著書「ある神話の背景」で書いたと言うのが正しい。

半世紀以上の時の重みを破って「軍の命令は無かった」と言う最重要人物の新証言が出た。

その最重要証言者とは、この人だ。

終戦直後の昭和20年代後半から琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった人。

琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた照屋昇雄さん(82)のことだ。

照屋さんは「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。

遂に沖縄戦史最大の謎に最重要証言者が現れたのだ。

照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。

今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った

人間人生の残りが少なくなると真実を隠しとおせないのであろう。

曽野綾子氏が綿密な現地調査の結果「軍命令あったという証拠は無い」と言った論旨で「ある神話の背景」(文芸春秋)を書いた当時、

地元二紙の猛烈なバッシングを受けた。かみそりの刃の入った封筒などが沖縄から送られてきたとも聞く。

名前を明かしたら沖縄では生きていけない・・・」と言う照屋さんの言葉は沖縄在住の者にしか分らない真実味が伝わる。

                  ◇

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん

(産経新聞)1006年8月27日 08:37

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん 

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)
                  ◇


【用語解説】渡嘉敷島の集団自決
 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。


【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法
 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。(産経新聞)1006年8月27日

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Unknown (Kei)
2020-08-05 08:33:13
>「名前を明かしたら沖縄では生きていけない・・・」と言う照屋さんの言葉は沖縄在住の者にしか分らない真実味が伝わる。

この言葉を読んで、このネット時代になっても、究極は物理的な距離が人々の生活と意識を支配しているのだなあとあらためて痛感させられました。

真実を明らかにしたら生きていけないほどの同調圧力。。それを意図的にかけてきた問題の沖縄2紙がネット時代とはいえ、いまだに沖縄本島を支配できているのはなぜだろうと思い、ほんとちょっとネットを調べてみたのですが、沖縄が中央から遠く離れ、しかも物理的に本土と別れている島だからという要素が大きいのだろうと思うに至りました。
例えば宮古島は沖縄2紙も入り込めないほど宮古毎日新聞が独占しているようで、中央(さらには沖縄本島)から離れれば離れるほど地元密着型の情報紙によって地域コミュニティが支えられていることが明らかになっているのでした。
同じ島でも、中央から近い大島は全国紙が行き渡っている状況をみても、中央からの物理的距離が大きな要因になっていることは間違いなさそうです。

私は本土の、しかも首都圏生まれの首都圏育ち。東京に近いこともあり、地元意識すら希薄な人間がほとんというところに住んでいます。おかげで、真実のために名前を明かしたらここでは生きていけないという厳しい同調圧力を感じたことがないのですが、それは、いくら朝日・毎日新聞が偏向しているとはいえ、産経や読売新聞もあるという事実と、結果として世論が歪められているとはいえ、中央から遠く、かつ島という物理的閉鎖空間に生きていないというのが大きいからかもしれません。

と簡単にネット検索した程度の浅薄な感想ですが、そんな地域生活に密着した同調圧力で歪められた言論空間において、真実を明らかにするために声を挙げた照屋さんをはじめ、今も挙げ続けておられる江崎師匠や我那覇さんたちの勇気とご努力に心から御礼を申し上げます。

私は無学な不勉強ものなので、確かに曽野綾子さんの話はそんなトピックがあったなあという程度にしか、実際のところ沖縄問題にもさほど興味なく過ごしてきてしまいましたが、今回のことをきっかけに大変よい勉強をさせていただいております。
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Unknown (あいうえお)
2020-08-05 10:01:29
もう、ボギー、水島の事は興味はない。、特に依田は論外。この人は終わったので話題すらしなくていい。素晴らしいブログです。ファンはこれを期待しているんです。いい仕事していますね。師匠!こういう情報は若い人はほとんど知るはずがない。誠にありがとうございます!
返信する
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2020-08-05 10:17:01

オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「国際通りの閑散 県民の問題」の京都府・敦賀昭夫さん(67)は、1月23日、2月28日、5月31日、6月11日に続き今年5回目の掲載。
「暑さや疲れ癒やす路傍の花」の南風原町・大城勝さん(71)は、2月19日、3月3日、4月3日、5月18、25日、6月1日、7月27日に続き今年8回目の掲載。
「メジロの子育て 心ほのぼの」の宜野湾市・石川真知子さん(62)は、1月31日に続き今年2回目の掲載。
「進まぬ災害対策 軍事費回せ」の沖縄市・福田充さん(62)は、1月24日、4月22日、5月24日、6月9日、7月6日に続き今年6回目の掲載。
「最低賃金 千円は可能 中小支援 政治の本気期待」の那覇市・穴井輝明さん(53)は、昨年2月16日以来の掲載。
「漢検」の浦添市・池間きよさん(73)は、1月24日、3月29日、4月30日、6月25日に続き今年5回目の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。

返信する
Unknown (Kei)
2020-08-05 12:02:47
依田や手登根や水島のことはどうでもよくなく。
ネットをみれば、こんな愚劣な輩と、それをもちあげ、我那覇さんや師匠を貶める言説を繰り返す輩が今現在も厳然といる沖縄。
たかがネット、されどネット。慢心や若さゆえの甘えは誰にでも起こりますし、そこからつまづくことが世の常。最後の最後までご油断なきよう。
まずはFM21裁判の勝利を願って。




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真実の攻防より (安仁屋 正昭)
2020-08-05 14:42:37
その日、用事で出掛けた銀行で偶然、目にした「沖縄タイムス」の記事に釘(くぎ)付けになった。沖縄市に住む平長清さん(74)が戦時中、自宅の離れを借りていた、気さくで優しかった日本兵と再会したい、という記事が写真付きで載っていたからだ。

 「それまでの十二年間、沖縄戦や当時の日本兵に関して地元メディアの好意的な報道を全く知らなかったので、本当に感動しました」と。その日の午後に行われた三欣会の集まりで、意見を求められた彼は、このことを語った。

 自分の結婚に始まり、すさまじい平和教育、糸満にある平和祈念資料館にある非人道的な日本軍を告発する展示の数々に言及した。

 「中学に入ると、子供たちは校歌も歌わなくなります。小学校で先生が国歌を歌わない姿を六年間も見ているからです。国や自衛隊、警察への不信ばかり植え付けられた子供が大人や社会に対して反抗的になるのは必然です。果たして、こんなことで良いのでしょうか」

 「人間は死ぬ時、利己的になる人もいるかもしれません。しかし、人のために命をささげる人もいたのではないでしょうか。今朝の沖縄タイムスの報道を見て、感激しました。どうか、ご年配の方にお願いしたい! 沖縄戦で素晴らしい日本人がいたら、必ず形にして遺(のこ)してください。そうしない限り、沖縄の青少年問題は解決することはできません!」

 沖縄に来てからの十二年間の思いを初めて人前で涙ながらに吐露した。すると、すぐそばに座っていた年配の男性が突然、立ち上がった。真摯(しんし)な問い掛けに刺激されたのであろう、一人の年配者が立ち上がって叫んだ。

 「赤松隊長は神様です!」

……渡嘉敷での集団自決は、軍の命令となっていますが、沖縄戦の犠牲となった住民に遺族年金を出すためには、自分が命令を出したとウソの証言をしてくれた方です。当時、自分を含めて琉球政府援護課の職員五人が全島で聞き取り調査を行いました。


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