★★❶沖縄を歪めた戦後史の大ウソ、
■第一章 『日本軍は沖縄県民を虐殺した』
沖縄タイムスは言うまでもなく、ほとんどの沖縄メディアでは、現在でも『鉄の暴風』といわれる苛烈な米軍の住民虐殺が語り継がれている。これについては、昨年上梓した拙著『沖縄「集団自決」の大ウソ』でも詳しく検証した。
しかし、これら戦後史は同書伝える検証した通り、ほとんどの沖縄メディアが大ウソで塗り固めている。その結果、多くの読者は言うまでもなく、沖縄県民ですら騙されている。
■残虐非道な日本軍は沖縄県民を虐殺するため沖縄に来た。
沖縄メディアが報じる大ウソ報道とは、「日本軍は沖縄県民を虐殺に来た」というイデオロギーに塗れた報道だ。
だが、経済面から沖縄戦について語る者は少ない。
沖縄のように戦前から本土復帰まで三度の通貨切り替えを体験した県は、歴史上稀有である。沖縄の経済に大変動を巻き起こした通貨の切り換えは次の通りだ。
➀戦前⇒日本円
②戦後(米軍統治下前半)⇒米軍軍票
③戦後(米軍統治下後半)⇒米ドル
④戦後⇒日本円
まさに事実は小説より奇、である。
祖国復帰を目前にして「通貨切り替え」と言えば「米ドルから円への切換え」が話題になる。
だが、米軍占領下の沖縄でもう一件の通貨切り替えがあった。「米軍票から米ドル」への通貨切り換えである。
この通貨切り換えは、米軍の広報紙として創刊された沖縄タイムスの創刊と深く関わっている。
沖縄を統治する米軍は広報紙を作成し県民を洗脳するため、沖縄タイムスの創刊を目論んだ。
沖縄タイムスの創刊日が、1948年7月1日になっているのは、創刊号発行三日前の6月29日、米軍占領下の軍票(B円)への通貨切り替えのスクープを号外で出し、これが実質的な創刊となったからだ。
米軍票と米ドルの交換というスクープ情報と米軍広報紙発刊を交換条件に沖縄タイムスを創刊した。
創刊日より号外発刊が先という世にも珍しい創刊号であった。
■ガリ版刷りの沖縄タイムス創刊号
1945年から1958年9月までの米軍占領時代、米軍占領下の沖縄や奄美群島で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍用通貨(軍票)B円の存在を知る県民は少ない。
軍票は米軍占領下の地域においては、1948年から1958年まで唯一の法定通貨だった。
琉球列島米国軍政府による正式名はB型軍票である。正確には連合国の共通軍票であるAMC(Allied Military Currency)軍票の1種であり他の連合国にも発行権があった。
だが、日本に駐留した占領軍はマッカ―サー率いるアメリカ軍が主体だったため、他の連合国の軍による円建ての軍票は発行されなかった。
当初のB円はアメリカ国内で印刷されたが、1958年9月16日に琉球列島米国民政府高等弁務官布令第14号「通貨」によって廃止され、米ドルに切り換えられた。
軍票(B円)を日本円ではなく米国ドルに切り換えた理由は、ただ一つしかない。
マッカーサーは将来沖縄をグアムやプエルトリコのように米国の領土に組み込む予定であったからだ。
当時日本円は1ドル=360円の固定相場であったため、1B円=120円で計算され、定価300円の日本書籍は3分の一の120B円で計算された。( レートは1ドル = 120B円)
■松本清張の西郷札
なお、これ以前に日本国内で流通した軍票には、西南戦争で西郷軍が発行した通称西郷札がある。
『西郷札』(さいごうさつ)は、松本清張氏の短編歴史小説で、『週刊朝日』が主催した新人コンクール「百万人の小説」の第三席に入選した作品で、松本清張の処女作と位置づけられ第25回直木賞の候補作となった。
松本清張氏のような推理作家が沖縄にいたら、軍票から米ドルへの切り換えという歴史的事実を題材に小説を書いていただろう。西郷札のように・・・。
ところが事実は小説以上の展開を見せた。
■公職追放に逆らった男
沖縄出身のその男・宮里辰彦氏はGHQが支配する円経済の日本を後にして、ドル経済の沖縄行きの輸送船の甲板に立っていた。 宮里氏はマッカーサーの「公職追放」という歴史の流れに逆らった。彼は、非常に優秀で(国費制度が実施される以前の)戦前の東京帝国大学を卒業後、官僚となり軍需省に勤務した。彼は軍需省の生産課長として兵器の生産体制の整備に努めた。
さらに宮里氏は軍需次官として、日本の戦時経済の運営に辣腕を振るった。兵器の生産体制の整備や資源の確保など、日本の戦時経済の基盤を固めたのは宮里氏の功績である。また、宮里氏は戦時経済の運営において、民間企業との連携を重視した。民間企業の生産力を活用することで、日本の戦時経済の強化を図った。
日本を戦前のような「軍国主義国」にさせないため、「公職追放」を実行したマッカーサーにとって、宮里氏は「公職追放」の絶好の標的であった。
■公職追放のない沖縄へ転進
優秀で目先の利く宮里氏は、戦前日本の軍需省に勤務して戦争を煽ったのだから、GHQがいる限り日本では職にありつけない、と素早く判断した。そして米軍占領下の沖縄への「転進」を実行した。
占領下の日本では「公職追放」で、戦前・戦中の優秀な人材を震え上がらせたGHQだが、沖縄では「公職追放」は、行われなかった。 いやそれどころか、むしろ占領軍の手先として優秀な人材の登用を目論んだ。
沖縄民政府通訳官を経て琉球列島貿易庁総裁に
宮里氏は、1945年(昭和20年)にアメリカ軍が沖縄を占領した後に設置された沖縄民政府で通訳官として、アメリカ軍との交渉や沖縄住民の生活支援などに尽力した。
敗戦直後の沖縄では、英語が話せることは一種の特種技能であった。
元英語教師の比嘉秀平氏は、英語に堪能で米軍幹部と意志の疎通ができるという理由で琉球政府の初代主席を務めている。
「公職追放」という歴史の流れに逆行し、沖縄に転進した宮里は思わぬ幸運に遭遇する。
英語ができる上、東京帝国大学卒という優秀な頭脳を持つ宮里氏にとって、人材不足の米軍民政府は渡りに舟であった。
1950年(昭和25年)に琉球列島貿易庁が設立されると、宮里は琉球列島貿易庁の総裁に就任した。琉球列島貿易庁は、沖縄の貿易振興を目的とした機関であり、宮里氏は琉球列島貿易庁の総裁として、沖縄の経済復興に尽力し、1959年(昭和34年)に琉球列島貿易庁総裁を辞任し、その後は実業家として活躍した。
軍需省の幹部として「公職追放」の標的になるはずの宮里氏は、軍占領下の米軍民政府の貿易庁長官という沖縄経済の重要事項を一手に引き受ける米軍幹部にのし上がったのである。
■戦果とヤミ船
そして宮里氏にとってもう一つの行幸は、戦後米政府が実施したマーシャルプランの恩恵を受けた沖縄の好景気である。
戦争は儲かる産業(「産軍複合体」)と、米大統領アイゼンハウアーをして言わしめる程当時の沖縄は米国の好景気の影響を受けた。 例えばペニシリンの普及、脱脂粉乳の学校給食や、スパム(ポークランチョンミート)コーンビーフ等当時の平均的日本人には到底享受できない米国の豊富な食糧の恩恵に浴した。
祖国日本では食糧不足で餓死者が続出した当時、沖縄では餓死者出た話はあまりない。米軍統治下の沖縄では、米軍の食料提供の他「戦果」「ヤミ船」などが沖縄の経済を支えた。
沖縄戦の終結後、生活基盤を失った多くの沖縄住民はアメリカ軍からの配給に頼っていたが、必ずしも十分な質と量の物資が供給されていたわけではなかった。そんな中、アメリカ軍の倉庫に忍び込んで食料を中心とする物資を盗み出したり、軍雇用員が備品などをこっそり持ち出したりすることが横行し、人々はこれを「戦果」と呼んだ。「戦果」は困窮する人々に無償あるいは安価で分け与えられたため、住民から英雄視される例もあったとされる。厳密にいうと「戦果を挙げる者」を戦果アギヤーと称した一種の窃盗行為である。
だが、米軍当局は警備を強化したものの、民警察(後の琉球警察)は積極的に取り締まらなかったため、略奪行為は徐々に大胆となり、その数も増加の一途を辿った。
沖縄を歪めた戦後史の大ウソ
~『沖縄「集団自決」の大ウソ』~発刊をめぐり~
沖縄の祖国復帰以来、約半世紀経過したが依然として沖縄には、二つのタブーがある。「米軍基地問題」と「沖縄戦」だ。
この二つのタブーは、いずれも「沖縄を歪めた戦後史の大ウソ」に関連している。
そこで、本稿では、「集団自決」を巡る最高裁判決で被告の大江健三郎・岩波書店側が勝訴して以来、一件落着と思われている沖縄戦の「集団自決」問題について検証して見る。
大江健三郎・岩波書店「集団自決裁判」(以後、大江・岩波訴訟)とは、元沖縄戦戦隊長および遺族が、大江健三郎・岩波書店を名誉毀損で訴えた裁判のことである。
沖縄戦の集団自決について、事実関係はこうだ。
ノーベル賞作家大江健三郎(岩波書店:1970年)の著書『沖縄ノート』に、当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕元少佐および渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次元大尉が住民に自決を強いたと記述され、名誉を毀損したとして梅澤裕氏および赤松秀一氏(赤松嘉次の弟)が、名誉毀損による損害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載を求めて訴訟を起こした。本訴訟は最高裁に縺れ込んだが結局、2011年4月21日、最高裁は上告を却下。被告大江側の勝訴が確定した。
■沖縄タイムスの印象操作
沖縄には約20数年前の最高裁判決を盾に巧みに印象操作し続けている新聞がある。 その新聞こそ、「集団自決軍命説」の発端となった『鉄の暴風』の出版元沖縄タイムスである。
印象操作報道の一例として、2023年5月29日付沖縄タイムスは大江・岩波「集団自決」訴訟の最高裁判決について次のように報じている。
《沖縄戦時に慶良間諸島にいた日本軍の元戦隊長と遺族らが当時、住民に「集団自決」するよう命令はしていないとして、住民に命令を出したとする『沖縄ノート』などの本を出版した岩波書店と著者の大江健三郎さんに対する「集団自決」訴訟を大阪地方裁判所に起こした。国が07年の教科書検定で、日本軍により「自決」を強制されたという表現を削らせきっかけになる。11年4月に最高裁への訴えが退けられ、元戦隊長側の主張が認められないことに決まった。(敗訴が確定)》
沖縄タイムスの主張を要約すれば、「『集団自決』は軍の命令ではないと主張する元軍人側の主張は、最高裁で否定され、被告大江・岩波側の『集団自決は軍命による』という主張が最高裁で確定した」ということだ。
沖縄タイムスは、戦後5年米軍票から米ドルに通貨を切り替えるという米軍提供の特ダネと交換条件で、1950年に米軍の広報紙として発行された。
以後同紙編著の『鉄の暴風』は沖縄戦のバイブルとされ、同書を出典として数え切れない引用や孫引き本が出版され続けてきた。
しかし残念ながら元軍人らによる大江岩波集団自決訴訟は敗訴が確定し、集団自決問題は国民・県民の記憶から遠ざかりつつある。
このように、大江岩波訴訟で被告大江岩波側の勝訴が確定し国民の「集団自決」問題が一件落着した思われている昨年の9月、筆者は『沖縄「集団自決」の大嘘』と題する書籍を出版した。
さて、すでに決着済みと思われている沖縄戦「集団自決問題」に今さら本書を世に問う理由は何か。
確かに沖縄の集団自決問題は大江岩波訴訟の結果すでに決着済みと思われている。
この現実を見たら、多くの国民や沖縄県民は、集団自決論争は終焉したと考えても不思議ではない。
■軍命の有無と損害賠償は異なる
岩波大江訴訟で確定したのは、「軍命の有無」ではない。最高裁判決は大江健三郎と岩波書店に対する名誉棄損の「損害賠償請求の免責」という極めて平凡な民事訴訟の勝訴に過ぎない。
肝心の「軍命の有無」については、一審、二審を通じて被告大江側が「両隊長が軍命を出した」と立証することはできなかった。
ほとんどの国民が集団自決問題を忘れた頃の2022年7月10日付沖縄タイムスは、こんな記事を掲載している。
《「軍命」記述を議論 9・29実現させる会 教科書巡り、2022年7月10日
沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」を巡り、歴史教科書への「軍強制」記述の復活を求める「9・29県民大会決議を実現させる会」(仲西春雅会長)の定例会合が4日、那覇市の教育福祉会館であった。3月の検定で国語の教科書に「日本軍の強制」の明記がされたことについて意見を交換。社会科の教科書で記述の復活がないことから、今後も活動を継続していく意見が相次いだ。》
■歴史は「県民大会」が決めるものではない
『沖縄「集団自決」の大ウソ』を世に問う第一の目的は、沖縄タイムス編著の『鉄の暴風』が歪曲した沖縄戦歴史を正し、「残酷非道な日本軍」を喧伝する沖縄タイム史観の教科書記述を阻止することである。最高裁による確定後、歴史の是正を巡る状況はさらに新たな展開があった。
『鉄の暴風』が主張する「軍命論」を粉砕する決定的証拠が出てきたのだ。 仮にこの証拠が大江岩波訴訟の前に登場していたら、裁判の判決も逆だった可能性すらある。
これまで「軍命論争」には、「手りゅう弾説」~大江健三郎の「タテの構造説」など数多くの証拠、証言が論じられた。その中で「援護法による軍命説」は、法廷では一つの推論に過ぎず決定的ではないと言われ、証拠として採用されなかった。
■「援護法のカラクリ」が暴く軍命の大ウソ
「戦闘参加者概況表」(裏の手引書)
ところが「援護法と軍命のカラクリ」を一番熟知する沖縄戦遺族会から決定的証拠を提供していただいた。 「軍命が捏造であることを示す」県発行の「戦闘参加者概況表」(裏の手引書)である。
この証拠を事前に入手していた「軍命派」の研究者達が、「軍命を捏造した」と白状し、さらに証拠の捏造に「恥を感じる」とまで言い切っている。これ以上の決着はないだろう。この一件こそが本書を世に問う最大の目的である。
次に「『沖縄集団自決』の大ウソ」を出版するもう一つの目的を述べておこう。
誤った歴史が教科書に載ることはあってはならない。読者の皆様は印象操作に惑わされず、事実を追求して欲しい。拙著がその一助になることを願っている。
小林よしのり著『新ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論』で、著者の小林氏が犯した唯一の過ちは、元人民党委員長・瀬長亀次郎氏を、「沖縄の英雄」と祭り上げて書いてしまったこと、である。 小林よしのり『沖縄論』を一読してまず目を引くのは、第19章「亀次郎の戦い」である。
瀬長氏は、米軍政府と戦っていた姿勢と、方言交じりで演説する語り口で「カメさん」と呼ばれて年寄りには人気があったが、「沖縄の英雄」は沖縄左翼とマスコミが作り上げた神話である。