当日記で依田氏のことを慢性的に嘘をつく「大嘘つき」、と何度も断じた。
それを見ていた依田氏が、激怒の上発狂!
嘘で散りばめたストーカー攻撃を仕掛けてきた。
嘘に一々対応していたら、相手の術中に嵌ってしまう。
適当に対応していたら最終的に、チャンネル桜スタジオでの対決を要求してきた。
「明日、あなたの番組の収録日ですね。
僕はちょうど後援会事務所にいますので、明日、あなたの「選挙妨害」に対して、しっかりと録画された環境であなたと討論する予定です。明日の夕方、スタジオでお待ちしております (依田氏のコメント)
ちなみにチャンネル桜の新事務所は、正面の表通りに面した部分は依田氏の選挙事務所が占拠、チャンネル桜への入り口は横道側にある。
正面には依田氏の選挙用の幟が立っており、一見依田氏の選挙事務所の裏をチャンネル桜が間借りしているような体裁だ。
大嘘つきの依田氏の嘘に一々対応していたら、コメント欄が大嘘コメントで荒らされると危惧していたので、彼の挑戦に次のように応じた。
「選挙妨害の意図は有りませんが、「慢性的嘘つき」について論じることは、望むところです。」(江崎のコメント)
チャンネル桜スタジオで「しっかりと録画された環境であなたと討論する予定です」(依田氏)と果たし状をつけられ、筆者が「望むところ」と受けたわけだから、これ以上の「議論」は、スタジオで、と思っていた。
ところが、依田氏は矢継ぎ早に嘘のコメントで攻撃してきたので筆者は、最終通告の意味で次のよう回答した。
「同じ文章で息を吐くように嘘を吐いてコメント欄を荒らす貴殿のコメントは、「荒らし」と認定します。
「大嘘に一々付き合うほど暇ではありません。」
「もう一度言います。
「文句があるなら、チャンネル桜でどうぞ。」
そして対決の当日、筆者は収録時間の30分前、単身スタジオに乗り込んだ。
ところがスタジオで待機ているはずの依田氏の姿が見えない。
その後、スタジオスタッフと電話のやり取りをしているような気配だったが、結局依田氏は理由も告げずスタジオには来ないとのこと。(もちろん筆者には一言の連絡もない)
念のためスタッフに確認したら、その日は一回もスタジオや選挙事務所に姿を見せていないとのこと。
依田氏は卑怯にも敵前逃亡したのだ。
これこそが依田氏が大嘘つきの何よりの証拠ではないか。
依田氏が自ら大嘘つきであることを立証した瞬間である。
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以下に依田氏が削除した動画を二点紹介しよう。
➀我那覇さんとの討論会のウラ話
②我那覇さん裁判のウラ話
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参考資料
下記資料は、依田啓示氏が暴力事件を起こし送検され、その結果「傷害罪」で起訴され有罪判決が確定した資料。
このような過去の資料を列記すると、いかにも「選挙妨害」の疑いを受けるが、そうではない。
信頼できる情報筋から次のような情報が入った。
依田氏は最近になっても、5月初旬、東村の隣人に対して、暴力行為を行い、怪我を負わせ警察沙汰を引き起こした。
原因は土地に入ったかどうかもめたとか。被害者は被害届を出し、受理され、前回同様書類送検されている。
現在依田氏は県議の立候補の予定だが、暴力行為の前科があるので今回も起訴されることは間違いない。
このように、「慢性的虚言癖」がある上、「暴力癖」のある人物が間違って当選したらどうなるか。
考えただけで身震いがする。
カナンファーム 依田啓示 被告 女性暴行 傷害罪で実刑判決
https://twitter.com/i/events/835013623181279232
https://twitter.com/Meg_Ryunosuke/status/892917736854011904/photo/1
依田啓示氏についての疑問 2 カナンファームの宣伝と裁判費用のため?
http://goopunch.hatenadiary.com/entry/2017/09/21/001519
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【おまけ】
サイコパスの10の特徴
https://keiji-pro.com/magazine/10/
表面上は口達者
サイコパスは、表面上口達者な人が多いです。初対面の人とも会話が弾み、社交的で、魅力的な人に見えます。サイコパスの人は状況を把握する能力が高く、自分がどのように振るまうべきかを理解しており、相手が求めるような会話をいとも簡単にできるのです。
利己的・自己中心的
サイコパスは、非常に利己的で、自分のことしか考えません。これは、他人に対する共感力が欠如していることが原因です。そのため、自分の振る舞いによって他人がどのように感じようが一切気になりません。
自慢話をする
サイコパスは利己的・自己中心的であるため、自分が世界の中心であると思っています。そのため、自分を優秀であると思っていたり、他人を見下したりする傾向にあります。そのため、自分に対して自信があり、当然のように自慢話をします。
自分の非を認めない
利己的であることや、自分を優秀であると考えていることから、サイコパスは自分の非を認めるようなことはしません。何か問題が発生したとしても、それは他人のせいであるか、運が悪かったなどと解釈しており、決して自分の行動を反省することはないのです。
結果至上主義
サイコパスは結果至上主義者です。成果を手に入れるためであればどのような手段をも用います。
よりよい成果を出すためなら、他人を踏み台にすることも、他人を騙すことも躊躇しません。
平然と嘘をつく
平然と嘘をつくのもサイコパスの大きな特徴です。自慢のため、他人を利用するため、自分の目的を達成するために、人を騙しても何ら良心の呵責を感じることはありません。
共感ができない
他人が悲しんでいたり、反対に嬉しがったりしても、まったく共感ができません。ただし、『悲しい』『嬉しい』という概念自体は理解しているため、共感していなくとも、相手がどういう状態にあるかは理解することができます。
他人を操ろうとする
他人に対する共感ができないため、結果を出す、自分の目的を達成するためでならば、平気で他人を操ります。そして口達者であることや、平然と嘘をつけることから、実際に他人を操る能力が高いのも、サイコパスの特徴の一つです。
良心の欠如
サイコパスには良心が欠如している人も多いです。そのため自分の行動によって他人に迷惑をかけようとも一切気にしません。特に良心が著しく欠如している場合には、猟奇的な殺人者になるケースが見受けられます。
刺激を求める
サイコパスの人は、刺激がない状態には耐えられません。常に自分を満たすために、スリルを追い求めたり、リスクをとって危険な行動に出たりします。そのため、常に同じことをするなどの面倒でつまらない作業には耐えられないケースが多いといわれています。
幾らなんでも、例え刑期満了後でも県会議員に立候補できるのか。
その経歴を伏せていたら、有権者は裏切られた感が出て来る。
だって、立候補者の経歴に大学卒が嘘だったら辞職を求められて来たでは在りませんか。
沖縄タイムス記者出自の屋良国会議員も経歴詐称が在りました。
前歴ではなくて、前科なら公務員や国家資格者には制限が出て来る。
大企業なら、履歴書に終わった前科を書いていなかったら経歴詐称で懲戒解雇になる。
前科者には刑期をまっとうしても、社会から更なる制裁が待ち受けているのが現実だ。
なお、執行猶予期間に付いてマル暴に訊いてみたことが在る。
『だいたいさ、執行猶予が切れる1年前から“動き”出して来るわけよ、だから、こっちは1年間からマークに入るわけよ』と語る。
前科者と県議立候補資格の件ですが、私の知る限りでは、禁固以上いの有罪判決を受けた前科者は、立候補は不可ですが、依田氏は禁固以下の「傷害罪」による有罪判決ですの、立候補辞退は問題ありません。
ただ、同一人物が短期間の内、同じ暴力行為で書類送検された事実を鑑みれば、個人的には問題あり…と思うのですが。
寺小屋様が指摘する「老害」のため、キーボードの操作を誤りました。
×立候補辞退は問題ありません。
〇立候補自体は問題ありません。
更に言えば、大嘘つきの依田氏が指摘するように、私は「高齢身障者」です。
そのため、左足と左手が不自由です。
キーボード操作は、右手だけの一本指操作で行っています。
従ってキーボード操作のミスは頻発するので、その点ご了承ください。
とくに、罪状で女を殴ったなんて男の倫理として在り得ません。結果に於いて、なんの言い訳も通用しません。法律の前の、社会道徳の段階を守れない訳ですから。
そう言うのは暴力ではなくて、世間一般で言う虐待です。単なる暴力で括ってはならない。
なぜなら、弱者である女を殴る動機は、決して自分に反撃して来る力がないことを判っているからです。卑怯者とはこう言う男を指す。
相手がマイクタイソンの様な男と判っていても、本当の男ならここ一番と覚悟したら本気で掛って行きます。なにをやろうとも、勝てば良いわけですから。そう言うのが男なんです。
なお、家庭内暴力も弱者虐待の類に当ります。こう言う、男として一番汚い虐待を弱者に執る奴は男に非です。なにが県会議員立候補者なのだろうか、眠たいことを言いますね。
強い男ほど他人に対して優しく接します。今さら強がる必要がないからです。
だから、誰に対しても尊崇の念を持ち接することが出来るのです。
一方で、他人に対して尊崇の念が失せた方は社会に於いて良い存在なのだろうか。
2回目の書類送検とは、もはや常習性が伺えますので、自制が効かない人格と視ます。
暴力で有罪になった以上、経歴を伏して立候補してもなにも法的に問題がないとしても、有権者の良識と道義心に適う行為なのかが糺されていると想います。
なお、40年前に福岡県甘木市(現、朝倉市)市議会議員選挙で、ブロック製造会社の60歳代社長(元殺人犯、若いとき)が立候補して当選した。服役後、更生して業を成し雇用の場を提供して来たことに、経歴を知る有権者が一票を入れたのです。
その、社長の選挙公約が『青少年非行問題の根絶』で在り、青少年の非行を市内からなくすと訴えていた。
地元には浅川組と言う山口組系の武闘派暴力団が居て、ウリで青少年の非行が問題視されていたときです。
一方、浅川組は地元で問題を起こさない方針を掲げていたが、どうもですね。なので、福岡市中心地から40km離れた田舎の警察署に、福岡市内同様のヤー公専門のマル暴が配備されていた。
人間の生の一回性、その根本的な宿命こそ、まぎれもなく人間の絶対的な条件であり、この限界を等しく背負って「時代」という運命の舞台の中に生まれる生者によって紡ぎだされる、一回性の、それゆえ絶対的な人間経験の現象、それが歴史といえるだろう。歴史とは、まぬがれえぬ人間の宿命と限界を持って生まれた者たちが、自己のめぐり合わせた時代の運命をいかに背負い、かつ生きたかの「記憶」であり、「運命」の物語であるといってもよい。われわれの人生が、けっして喜びと成功だけでなく、過ちにもけっして欠けていないように、歴史もまた不条理の影に半ば覆われた悲劇であることを理解すべきだ。
われわれが今、「われわれの歴史」を生きているように、生成する時間の先端に立ち、眼前の未知の時間の暗闇と相対しつつ、時代に翻弄され、あるいはそれと格闘しながら、死者たちもまた、彼ら自身の一回性の「歴史」を生きたことを忘れるべきではない。われわれ生者は、みな、自己の歴史を生きつつ、その歴史をついに知り得ないまま、死者たちの列に加わるのである。
この宿命の上に超然として立ち得るはずもない者たちに、どうして「歴史を裁く」などという身の程を知らぬ思い上がりが許されるだろう。
「歴史を裁く愚かさ」(西尾幹二氏の言葉)とは、現在の生者もまた、かつて生者だった死者たちと同じく歴史的存在にすぎず、したがって生の絶対的条件(限界)を免れているわけもない現在の生者に、そもそも死者の生の絶対性を「裁く」資格などありはしないこと、そして歴史的秩序と伝統は、死者が生者に託した、死者と生者を結ぶ共有財産にほかならないこと、このことに寸毫も思い至らぬ者の度し難い傲慢にほかならないのだ。
こうした歴史を自ら荷い生きている人間か否か、私はそこに「依田氏」と「我那覇さん・江崎師匠」の本質的違いを見る。
FM21擁護によって、依田氏は図らずも、大義を捨てるオポチュニスト(機械主義者)であること露呈したと言えるだろう。
○ 機会主義者
依田氏は、
「辺野古の飛行場は民間機も使える軍民共用」にします。
ついでに、「糸満から名護まで新幹線を敷く」
って言えば当選するでしょう・多分?
愛国無罪はそろそろやめませんか。
江崎先生や我那覇さんのように、自分の力で冷静に依田問題を考察しましょう。