狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

琉球処分報じた中国紙入手 沖縄は日本ではない?

2008-01-21 09:07:07 | 歴史

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沖縄タイムス 2008年1月20日(日) 朝刊 27面  
 
琉球処分報じた中国紙入手/上海図書館で又吉教授

 近代中国で長期間発行され大きな影響力を持った新聞「申報」が一八七五―九四年にかけて琉球について報じた記事を、沖縄大学の又吉盛清教授(近現代沖縄中国関係史)がこのほど中国・上海図書館に保管されている史料の中から入手した。同新聞の旧社屋「申報館」が上海に存在していることも確認した又吉教授は「貴重な史料である記事だ。今後の歴史研究の一助になれば」と話し、公的機関には今後提供する予定。(与儀武秀)
 「申報」は一八七二年四月三十日に創刊された中国の日刊新聞。一九四九年五月二十七日に廃刊になるまで、政治、経済、軍事、外交などさまざまな事象を記録して報じ、歴史研究では第一級の史料とされる。

 今回入手した記事は、琉球処分(琉球の近代日本への併合)期の琉球や日本の動きなど、東アジアの近代史を知る上で貴重な史料となる記録という。

 又吉教授は、昨年末に北京大学での講義のため訪中した際、上海図書館で保管されている申報の琉球に関する記事のコピーを入手した。記事には、日本の新聞の論調を批評したものや琉球に関する日中交渉の経緯などが記されており、琉球処分前後の歴史的うねりの中で、中国側がどのように琉球や日本の動向を見ていたかが把握できる。

 又吉教授は「上海には新聞を発行していた旧社屋『申報館』が現存しており、研究者間でもあまり知られていない」と説明。「県内図書館でも同紙は閲覧できず貴重な史料。これをきっかけに東アジアに対する理解が深まれば」と話している。

同史料の問い合わせは沖大・又吉研究室、電話098(832)2971。

                                             ◇

歴史用語の中には表面上の意味の他に、

その用語誕生時の怨念やイデオロギーが封じ込まれ、

その用語を使用する度にそれが読む人の脳裏にイデオロギーを訴える例が多々ある。

その代表的な例として「天皇制」という言葉がある。

「天皇制」は元々日本の歴史用語にはなく、共産党の「業界用語」が一般化したものである。

「天皇制」と言う用語誕生の経緯について、多少長くなるが、

過去エントリの「朝日の天皇制論 「本音では打倒だが・・仕方ないか」より以下に抜粋します。(確か憲法記念日のエントリー)

朝日新聞は昨日四日の社説で「天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って」と題して、憲法問題を「天皇制」に絡めてバトルに持ち込むつもりかと思ったら意外な内容にいささか拍子抜けをした。   

≪朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。≫という通り、朝日自ら実施して来た30年にも渡る世論調査に「常に80%を超える支持率」には流石の「天皇制」嫌いの朝日もひれ伏さざるを得ないのだろう。

朝日の社説本文中、何度か「天皇制」と言う言葉が出て来るが、この言葉は明治憲法制定の時には言葉として存在していなかった。

因みに明治憲法は立憲君主制を基調にした憲法である。

古代日本には言霊(ことだま)と言うことが信じられていた。
言霊とは言葉に宿っていると信じられる不思議な力のことであり、それが更に進んで言霊により、発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。

ある思想・信条を持つグループがその思想をある言葉に秘めて使い続けると、その言葉を聞いた瞬間一つのイメージの呪縛に取り付かれる。

「天皇制」と言う言葉は本来共産党が、自分達の天皇に対する呪いの言霊を込めて使った造語であり、日本の歴史には左翼の登場以前には存在しない。

1922年、日本共産党が秘密裏に結成され、「君主制の廃止」をスローガンに掲げた。

1932年のコミンテルンテーゼは、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえて「天皇制」と表記した。(この日本共産党に対する指令が有名な「32年テーゼ」でこれについては稿を改めて書きたい)

そして天皇制と封建階級(寄生地主)・ブルジョワジー(独占資本)との結合が日本の権力機構の本質であると規定した。

第二次世界大戦が終結するまで「天皇制」は共産党の用語であり、一般には認知されていなかったが、現代では共産党と関係なく一般にも使用されている。

戦後の新聞メディアは戦前の反動で左翼に傾き共産党造語の「天皇制」を唯々諾々と使用し一般にも無抵抗に使用され出したのだ。 その意味では共産党の作戦は一部成功した。

今でも共産党の「天皇制廃止論」に従う人はこの言葉に呪いの言霊を込めて「天皇制」、「皇民化政策」等と使用している。

二つの新聞が言論・思想を牛耳る沖縄では「天皇制」に対し、特にこの傾向が多く見られる。

地元新聞の活躍で沖縄では、「天皇制」と言えば、「軍靴の響き」、「戦争」、「侵略」、「住民虐殺」等々と言霊が彷徨い出して来る。

最後にはコミュンテルンが指令した「32年テーゼ」つまり「天皇制打倒」と言うスターリンの亡霊にまでたどり着く。

「天皇制」は日本共産党内部の「業界用語」であり、その後には当然の如く「打倒」と言う言葉が対句で連なり「天皇制打倒」で熟語は完成する。

しかし、沖縄メディアの師匠・朝日新聞といえども80%を常に超える支持率には抗す術も無い。

「本音では打倒したいが、仕方が無い・・・」、と言うのが本音なのだろう。

長い引用で恐縮だが、ここでやっと冒頭に引用の記事の「琉球処分」に話が及ぶ。 

その前に先ず「琉球処分」とは何か、を説明すると概略次のようになる。

中央集権の近代国家建設を目指す明治政府は、1871年に全国で廃藩置県を実施し、翌年1872年(明治5)、琉球王国を廃止して琉球藩を設置した。1879年(明治12)、明治政府は琉球藩の廃止を宣言し、同年中に沖縄県を設置した。日本政府のもとで琉球は、近代日本国家に組み入れられていき、琉球王国は完全に消滅した。琉球藩設置から、廃藩置県までの一連の流れを沖縄では琉球処分と呼んでいる。(ウィキぺディア参考)

だが、沖縄の新聞等に現れる「琉球処分」は「天皇制」と同じように左翼学者のイデオロギーを含んだ怨念の用語として使用されるのが一般的である。

沖縄戦に絡んでいえば「皇民化政策」のルーツは明治政府の断行した「琉球処分」にあるという仕掛けだ。

又突然脱線するが、沖縄インテリの代表的「琉球処分」認識を1月15日の琉球新報のキャンペーン記事「沖縄戦認識を問う」⑤<目取真・小林論争を中心に>に垣間見ることが出来る。

「目取真・小林論争」とは「集団自決」に関する小林よしのり氏の一連の著作に対し、作家の目取真俊が琉球新報で批判を加え、それに小林氏が反論し、更に目取真氏の再反論という経過である。

論争とはいっても当事者間ではまだ決着が着かないまま(当日記は小林氏の完勝と見るが)、

琉球新報は卑劣にも第三者に5回連載の紙面スペースを与えて、小林氏叩きのキャンペーン企画を行ったのである。

この琉球新報の卑怯な言論操作については、本旨ではないのでここではさておくが、

途中から論争に介入したこのT大学非常勤講師の小林氏批判文の最終回(第五回)に、

「琉球処分」に関して次のような興味深いくだりがある。

「人道に対する罪を構成」

戦争法規の適用

では、日本による琉球統治は正当だったのか。 日本が琉球の領土支配正当化するためには、日本が琉球を実行支配してきたか、もしくは琉球人に日本人としての帰属意識があることを証明する必要がある。

紙幅の関係上結論を先に述べると、日本による琉球の日本の領土編入は、国際法上の主体である琉球の意志を無視した、明治政府による暴力的で一方的な併合であり、国際法上大きな疑義があるということである。(上村英明『先住民族の「近代史」』

このT講師が主張するには、沖縄戦の「集団自決」は日本軍の住民に対する虐殺行為だから「国際基準で法的責任追及」をするべきだという。

だが、これに該当する国際法「 ハーグ陸戦条約」は交戦国の相手国に適用されるので、日本軍の自国民(沖縄住民)に対する残虐行為には適用されない。

そこで、上記引用の「日本による琉球の日本の領土編入は、国際法上の主体である琉球の意志を無視した、明治政府による暴力的で一方的な併合であり、国際法上大きな疑義があるということである」と主張する。

つまり「琉球処分」は無効だという。

従って沖縄住民は日本国民ではないので、国際法規の「ハーグ陸戦条約」の適用が有効であるというのだ。

その結果「日本軍を国際基準で法的に追求できる」という、まことに壮大な構想の主張である。

しかも責任追及の訴因が、東京裁判でも立証できなかった事後法の「人道に対する罪」。

これを沖縄が連合国に代わって立証し祖国・日本を裁くというのだから、まことに気宇壮大。

歴史の時空は明治維新から沖縄戦へとめまぐるしく駆け巡る。

とても筆者のような凡人にはついてはいけない話である。

 敢て祖国・日本と書いたのは長い米軍占領下から「島ぐるみ」で「祖国復帰」を勝ち取った「沖縄県民の総意」と「琉球処分無効」と

をどのように理論的に整合させるのか興味があったからである。

「小林ー目取真論争」をウヤムヤにしたまま、

第三者に一方の批判文を多量のスペースを与えてめった斬りさせる卑劣な手法といい、

明治維新に遡って「日本の沖縄侵略」を主張する文を何の疑いもなく掲載する琉球新報には、もはやジャーナリストしての矜持は微塵も見られない。

「小林ー目取真論争」の一方に肩入れするあまりに、トンデモ論文を平気で掲載する琉球新報よ、

恥を知りなさい!


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2 コメント

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Unknown (きんじょう)
2008-01-21 19:57:31
「沖縄は日本ではない」というテーゼに立てば確かに琉球処分は、琉球という国が日本に侵略、併合され、琉球国民は皇民化教育をうけ、悲惨な戦争に駆り出され、あげくのはて集団自決までさせられたということになるのでしょう。韓国の反日理論と同じです。

しかしその頃の琉球は国として存立できるだけの力があったのでしょうか?ペリーが浦賀に行く前か、帰るときか忘れましたが、琉球に立ち寄った際の日記に「琉球の農民は世界で一番悲惨だ」と書いてあるそうです。

大交易時代で栄えたのはほんの一時の話であり、琉球王朝は農民を搾取するだけだったとも聞く。再建された首里城は圧政の象徴としてみればそれほど有難がる気にもなれない。

それに比べて、江戸時代後半の庶民の暮らしは江戸に上った琉球国の役人の目にはとんでもなく豊に映ったろうと思われる。日本につくか、シナにつくか、結果的に琉球は日本を選んだ。琉球国民も馬鹿ではなかった。

琉球処分という言葉は当時の「シナ派」が言い出したと確信していますが、その生き残りがマスコミに巣くい、沖縄を韓国と同一のカテゴリーに嵌めようとしている。



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琉球処分 (狼魔人)
2008-01-22 09:36:05
きんじょうさん

勝手ながら貴コメントを22日のエントリ「琉球処分Ⅱ」に引用させてもらいました。
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