
※お願い
人気ブログランキングの投票が分散されるのを防ぐため、次のバナーをクリックお願いします。
当日ご協力いただける方は是非下記の連絡先までご連絡下さい。
よろしくお願い致します!
担当(090-2588-5051)
戦艦大和が1945年に沈没してから、月7日で71年を迎える。
大和は1940年8月に進水。開戦直後の1941年12月に就役し、終戦直前の1945年4月に沈没した。
当時世界最大の46cmの主砲を備え、開発当時は「不沈艦」と称された最先端の戦艦だったが、第二次大戦では戦艦同士の砲撃戦から、空母と航空機を主体とした戦いに時代は移り変わっていた。
すでに日本の敗色が濃厚となっていた1945年4月、沈没前提の特攻作戦として沖縄に向い、アメリカ軍の攻撃で4月7日、鹿児島県沖で沈没した。約3000人の乗員のうち生還したのはわずか276人だった。
沖縄2紙は「本土は沖縄を見殺しにした」「捨石にした」などと県民の憎悪を掻き立てるキャンペーンを張る。
だが、大本営は決して沖縄を見殺しにする気ではなかった。
敗色濃厚な1945年の時点で、鹿児島を発った特攻隊機は、集団自決の行われた1945年3月末、慶良間島を取り巻く米艦隊に捨て身の体当たり攻撃をかけていた。
戦艦大和は、雄図むなしく撃沈はされたが、沖縄救援のため海の特攻隊として沖縄に派遣された。
戦艦大和を沖縄に派遣したのは昭和天皇が、沖縄救援作戦に対し「飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?」質問をされたからだと、ウィキでは解説している。
以下はウィキの抜粋である。
第五航空艦隊長官の宇垣中将は戦時日誌に、及川軍令部総長が「菊水一号作戦」を昭和天皇に上奏したとき、「航空部隊丈の総攻撃なるや」との下問があり、天皇から『飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?』と質問をされ「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答してしまった為に、第二艦隊の海上特攻も実施されることになったとして及川軍令部総長の対応を批判している[124]。
4月5日、神参謀は草鹿参謀長に大和へ説得に行くように要請し、草鹿は大和の第二艦隊司令部を訪れ、長官の伊藤整一中将に作戦命令の伝達と説得を行った。なかなか納得しない伊藤に「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と即座に納得した[125][126]。連合艦隊作戦参謀の三上作夫中佐によれば、自身も作戦に疑問を持っていた草鹿参謀長が黙り込んでしまうと、たまりかねた三上が「要するに、一億総特攻のさきがけになって頂きたい、これが本作戦の眼目であります」と説明したという[127]。草鹿参謀長は「いずれその最後を覚悟しても、悔なき死所を得させ、少しでも意義ある所にと思って熟慮を続けていた」と回想している[128]。この特攻隊は連合艦隊長官豊田副武大将によって「海上特攻隊」と命名された[129]。
沖縄救援作戦に際し、沖縄を見殺しにするどころか、「飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?」と、沖縄のことを深く憂慮された昭和天皇のお気持ちも知らず、「戦艦大和は沖縄住民虐殺のため派遣された」などの発狂論文を沖縄タイムスの記事から紹介する。
以下は過去ブログ戦艦大和の目的は「住民虐殺」だったからの抜粋である。
昨年閉店した国際通り沿いにあった沖縄三越のあった場所に大宝館という映画館があり、12歳の頃筆者はそこで「戦艦大和」(’53/6)と題する新東宝映画を見て大和という当時世界最大の軍艦の存在を知った。
当時の新聞広告
米軍機の攻撃を受け沈没する戦艦大和の姿を手に汗握ってみた記憶は有るが、戦艦大和が何の目的で何処に行く途中撃沈されたか、そのころ12歳の筆者が知るよしもなかった。
当時の新聞広告にも沖縄に行く途中などとは記さておらず、おぼろげに遠く南方の海辺りの戦闘とでも考えていた。 神風特攻隊についても沖縄とは関係ない別の地域での戦闘と考えていた。
戦艦大和や神風特攻隊が沖縄戦のため片道燃料で沖縄に向かったことを知ったのは、恥ずかしながら高校を卒業してからである。
沖縄出身の知識人が書き綴った戦艦大和に関する唾棄すべき論考を紹介する。
書いた人物も人物なら、こんなトンデモ論考を掲載する沖縄タイムスもクズ新聞の真骨頂を表している。
以下は戦艦大和は悪鬼の軍艦?! 2009-01-25 の引用である。
★
沖縄タイムスは、今年は「薩摩の琉球侵略」から400年、「琉球処分」から130年ということで、「沖縄は日本の植民地」という視点で特集を組んでいる。
多くの沖縄の「識者」が寄稿しているが沖縄紙に掲載されるには、一通り日本の侵略、差別に恨み節を述べた後、沖縄独立を扇動するのが沖縄紙で活躍する為の常道である。
識者の中でも特に反日思想の激しいお方が、いれいたかし氏である。
しばらく紙上ではその名を見ないと思っていたが「植民地化を問う」とは、益々意気盛んなようで。
[魚眼レンズ]いれいたかしさん【01月13日】 (沖縄タイムス)
植民地化問う評論を脱稿
「制度的には日本の一部になっているが、沖縄の内部精神は本来は独自のものを持っている。日本を突き上げるような立場からさまざまな発想をするべきだ」と強調する評論家のいれいたかしさん。
新しい年を迎え、「ちゃーすがくぬ沖縄」(どうするこの沖縄)という約二百五十枚の評論を脱稿。復帰前後から現在の沖縄が歩んだ歴史を踏まえながら、自らの時局論、状況論を展開している。
吉本隆明の「起源を見れば本質が分かる」という言葉を引き合いに出しながら、「今年は薩摩侵攻から四百年の節目の年。そこから始まる沖縄の植民地化の過程を問い詰めていくことが必要だ」と意気込む。
◇
で、このいれいたかし氏って、どんなお方?
こんな顔のお方のようで(1935年生まれ)。↓

●『沖縄・うむいの風土』いれいたかし著・沖縄タイムス社刊・
当日記では過去に「続・戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!」で取り上げたが、いれい氏は沖縄の数ある「反日識者」の中でも特に反日、いや憎日意識の強烈なお方で、彼の主張によると日本軍はすべて悪鬼の集団だったということになる。
以下は過去のエントリーに一部加筆したものです。
◇
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋>
言わせろ!!私は沖縄出身の沖縄在住沖縄人だ!
私は沖縄にずっと住んでる。
正直、大和の話も特攻隊の話授業でもならわなかったし、友達も家族や親戚近所もだれも話してない。
だから私はなんの先入観も無く、大和のことについて調べた(いや、十分に反戦教育を受けていたが)それでも私は、大和に感謝したいと思ってる。
結局は沖縄までこれなかったけど、でも、死ぬと分かっていても沖縄まで来てくれようとしてくれた大和と乗組員にすごく感謝してる。
沖縄で特攻隊と大和の慰霊祭をやるべきだとも思ってる。
沖縄タイムスも琉球新報も左翼新聞、そして、沖縄には左翼以外の報道機関が存在しない。
でも、私や、私の周りのように、ちゃんと知ってる人がいると言いたい。
沖縄人=左翼、ではない。沖縄の若い世代も気付き始めている。
こんな新聞で沖縄の意志を読み取らないでくれ。
ってか読み取ってる人もいないが^^;
とにかく、沖縄の報道を信じるな。
政治的な話は大体嘘だったり偏向報道だから。
沖縄人でも、大和に感謝してる。何度も言うけど、大和と大和の乗組員に私はとても感謝している。
Posted by S at 2007年04月21日 23:27:50
↓クリックすると拡大します。
よろしかったら人気blogランキングへ
クリックお願いします
オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒限定の「ぼくも私も」除く)。
「歴史教育に穴 社会が右傾化」の宮古島市・狩俣光さん(40)は、1月27日、3月19日に続き今年3回目の掲載。
「知事の著作で 沖縄の心学ぶ」の神奈川県秦野市・松本宗堂さん(65)は、1月29日、3月19日に続き今年3回目の掲載。
「才気あふれる 仲村颯悟監督」のうるま市・東智子さん(62)は、1月13日、3月11日に続き今年3回目の掲載。
「マラソン催し 反基地広めて」の那覇市・大城盛章さん(79)は、1月14日、3月8日に続き今年3回目の掲載。
「新エネルギー活用して」のうるま市・長濱清信さん(78)は、1月24、27日、2月19日、3月20日に続き今年5回目の掲載。
「琉響定演の衝撃」の那覇市・後藤剛さん(69)は、昨年7月3日以来の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
(おまけ)
2015年度(15年4月1日~16年3月31日)に、オピニオン面に掲載された一般投稿は2400本(「主張・意見」1634本、「論壇・寄稿」408本、「茶のみ話」358本。再掲載分を除く)。
年齢別の投稿数
10代 21本 0.9%
20代 31本 1.3%
30代 115本 4.8%
40代 215本 9.0%
50代 217本 9.0%
60代 763本 31.8%
70代 767本 31.9%
80代以上 195本 8.1%
記載なし 76本 3.2%
年齢記載のある投稿者の平均年齢は64.3歳。
掲載回数上位の方々(敬称略)
渡真利善朋(豊見城市)31回
安東民夫(浦添市) 25回
岸本定政(糸満市) 23回
幸地忍(八重瀬町) 23回
仲村直樹(宜野湾市) 23回
大城良司(那覇市) 22回
比嘉寛(那覇市) 21回
大嶺よし子(豊見城市)20回
荷川取順市(沖縄市) 20回
東江義昭(恩納村) 19回
敦賀昭夫(京都市) 19回
山内昌一(那覇市) 19回
横田等(那覇市) 19回
池辺賢児(宜野座村) 18回
金城明男(沖縄市) 18回
長濱清信(うるま市) 18回
阿部仁(大阪市) 17回
佐藤悦晴(豊見城市) 17回
西明雄(うるま市) 17回
吉村武(宜野湾市) 16回
上治修(福岡市) 15回
奥平孝一(名護市) 15回
国吉直(浦添市) 15回
新城初枝(読谷村) 15回
10回以上掲載された方は66人。
一つだけでなく、次から次へと憎悪を掻き立てる「話を作る」。
そうやって、憎悪に憎悪を重ねてきた。
何のために?
沖縄は大和と対立構図を常に描いていないと死んじゃうの?
長年培ってきた「作り話」の嘘がバレ始めた。
だから、「ネットの噂撲滅」に乗り出した。
「ネットの噂撲滅」、それこそがすでに嘘で、嘘がバレないように「沖縄県民の憎悪生産の再教育」を「ネットの噂撲滅」と呼んでいるのだ。
嘘がバレた原因は、嘘ゆえの矛盾があるからだ。
考え方の違いなら、それなりに筋が通るものだ。
それが目標を隠して表にでている部分(目立つ部分、例えば辺野古移設)だけに照準を合わせて非難するから、矛盾だらけになる。
ところで、誤解って、誤解した方が悪いの?
誤解させる方が悪いの?
議員の問題発言では「誤解させる表現があったのなら、謝ります」って、マスコミらは言わせるわね。
「誤解されている」と言うなら、タイムス、新報に「誤解させる表現はあったの? なかったの? どうなの?」。
普天間移設問題 普天間移設問題・辺野古新基地 政治 注目
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=162459
「抗議集会混乱で渋滞2キロ余 在沖縄米軍司令部ゲート前 2016年4月7日 05:02」
注目 社会・くらし 政治
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=162464
石平ゲートで抗議集会をする意味が、不明。
タイムスが、抗議集会の模様だけでなく、集会による渋滞を記事にした。
集会は支持されるだけではなく、迷惑に思っていることも伝え、一見公正な報道を試みているように見えるが。
「石平ゲートで抗議集会をする意味」の疑問が解けない間は何か裏がありそうで、タイムスが変わりつつあると認める訳にはいかない。
新聞・テレビ・SNSアプリ…便利とか他に選択肢が無いとか皆が使っているから、とかの理由で多くの人が来る処なら、当然そこに罠を仕掛けるヤツだっているという…
有難い教訓が導ける、そんな話がいっぱい
「戦艦大和は沖縄県民を虐殺するために、呉を出港して沖縄に向かった。」、と言う、戦時少国民だった私には、全く想像を絶する言辞を弄した人間が沖縄県にいる、と何かで読み、呆れ返りましたが、ブログ主、狼魔人さんのお蔭で全貌が分かりました。
憎悪、嫉妬、(僻み根性)、傲慢、が左翼の特質とかねがね思ってきましたが、その典型のような人間?です。
しかし、どうすればこのような発想が出てくるのか、と心底ゾットし、言葉を失います。
ここまで変脳した人間の、対日本への憎悪の感情はもはや絶対に変わることはなく、どうしようもありません。
それと同時に、人間の善意の全く通じない、こんな人、鬼畜、悪魔のような者を
<書と酒と人を愛する批評家>、などと持ち上げる、タイムスの酷さを見て、70年昔、当時日本だった朝鮮で、数々の悪逆非道を行ったという、吉田清治をさんざん持ち上げた、北畠清康、と朝日・大阪社会部のことを思い、やり切れぬ思いがしました。