狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

小指の痛み

2010-05-02 07:59:30 | 普天間移設

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沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である、という沖縄宿命論がある。

その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。

非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。

米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえ在るなら日本全国何処でもよいということだ。

普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサに、米軍基地のx全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。

「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。

沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだが、これに対する当日記の批判は後述するとして、

このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかり歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。

♪~あなたが噛んだ 小指が痛い~♪

好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。

好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。

一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方で、臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ、ということになる。

そう言い出したら切がない。

「口が美食を堪能したケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、と肛門が騒ぎ出す。

だからと言って足の裏を頭の上に移動することは出来ないし、肛門を口の側に移動することも出来ない。

小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。

沖縄が地政学的重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたいという白昼夢を見た沖縄タイムス記者がいた。

だが、所詮それは叶わぬ夢にすぎない。

ここに『鉄の暴風』の執筆者の一人であり沖縄タイムスの先輩記者でもある牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。

『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。

私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)

この後、牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。

「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。

回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。

勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。 小指がそうであるように。

だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域なら、現在の日本では基地のない他県へ移住することは自由である。 

ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加していると聞く。

米軍基地の公害を嘆くのなら基地のないところへ移住すればよいし、

雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くより、雪見酒を楽しめる雪国へ移住することを考えればよい。 

花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。。

「小指の痛み」は沖縄の宿命論と連動し、例えば次のコラムのように沖縄の新聞には頻繁に出てくる。

琉球新報 コラム2009年11月9日

  宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」は、通路まで参加者で埋め尽くされていた。一言も聞き漏らすまいと発言者の言葉に耳を傾けていたのが印象的だ
▼鳩山政権に県外・国外移設の実現を迫り、「辺野古でしか解決策はない」と発言した松沢成文神奈川県知事を糾弾するあいさつを聞いていて、戦後史を象徴するあの言葉を思い出した
▼「沖縄同胞の心情を人ごとと思わず、小指の痛みは全身の痛みと感じ取ってください」。1969年2月、衆院予算委員会の公聴会で、祖国復帰協議会会長の喜屋武真栄さんが発した
▼喜屋武さんは「他国に軍事基地を提供している国が幾多あるが、人民まで売っている国家があることを知りません。(中略)そこに生存している人民の生命も、財産も、人権も無視」されているのは「地球上で沖縄県民だけ」、米国の不当な支配を許している日本政府も「同犯者」と訴えた
▼発言から40年たつのに差別的な状況は解消されていない。しかし解決が困難であっても決して不可能ではないはずだと、県民は政治に期待し続けた
▼鳩山由紀夫首相は7日配信のメールマガジンで「これまで基地問題で犠牲になってきた沖縄県民の思い」を「考慮する」と述べている。「小指の痛み」を感じ取れるかどうか、「友愛」政治が試されている

                        ◇

■米軍基地は差別か

「小指の痛み」は、「沖縄切捨論」や「沖縄捨石論」と同様の情緒的言葉だが、これを持ち出されると、論理は封じ込められ情緒的論議に引き込まれることになる。

さらに情念が過熱すると「沖縄差別論」が飛び出してきて、そうなると議論どころの騒ぎではなくなってしまう。

25日の「県民大会」でも発言者の興奮した言葉の中に、「差別」という言葉が何度も繰り返された。

他県に比べて沖縄に基地が多いことが事実だとしても、果たしてこれが差別なのか。

「基地差別論」を持ち出したのは、筆者の知る限り琉球大学教授時代の大田昌秀元県知事だと記憶するが、

これをマスコミに大きく扇動したのは2005年沖縄に来た左翼活動家ドゥドゥ・ディエン氏だと思う。

これに対しては当時の麻生外相が、大田昌秀参議院議員(当時)の国会質問に答えて次のように否定している。

外相「基地集中、差別ではない」 県内から批判

2006年5月19日        
 【東京】国連人権委員会の特別報告者・ドゥドゥ・ディエン氏が那覇市の講演で「狭い県土に米軍基地が集中する実態が差別を物語る」と指摘したことに麻生太郎外相は18日、参院外交防衛委員会で、「米軍専用施設の75%が沖縄に存在していることは事実だが、地政学的な需要、もしくは事実上の要請に基づくものであり、差別的な意図に基づくものではない」と反論した。ディエン氏が調査報告書を国連人権理事会に提出する意向に対しても、「日本として事前に反論書を提出したい」と述べた。大田昌秀氏(社民)への答弁。
 これに対し琉球大学の島袋純助教授(政治学)は「地政学上の理由を根拠に、特定地域の住民に極端な負担を強いる政策や差別的な扱いは許されない、という考え方が国連の原則。日本の常識は世界の非常識だ」と指摘。「日本は人権後進国だ。外務省が反論書を提出しても人権理事会では通用しない」と強く批判した。
 ドゥドゥ・ディエン氏沖縄調査&講演をすすめる世話人会の
高里鈴代さんは「米軍基地の集中は歴史的な根深い差別が根底にある。政府は基地を置く状況が厳しくなると、知事の権限を奪う法律整備もしてきた。単純な地政学上の問題ではない」と憤慨した。
 麻生外相が「(ディエン氏の)個人的見解であり、国連の見解ではない。法的拘束力も持っていない」と発言したことについても高里さんは「訪問は非公式とはいえ、特別報告者の立場で現地調査した。国連組織への認識があまりにも欠けている」と批判した。
 ディエン氏は、日本での調査に協力する反差別国際運動日本委員会を介し、「国連人権理事会に調査結果を報告する」と述べ、外相発言へのコメントは控えた。

                        ◇

国連と名がつけば何でも正義の使者のように妄信するグループがいるが、それはさておいても、

そもそもこのドゥドゥ・ディエンがいかにいかがわしい人物であるかを知る人は少ない。 詳細は長くなるのでここでは省略するが、興味のある方は過去エントリーで確かめて欲しい。⇒06・5・20基地は差別か ドゥドゥ・ディエンって何モノ?

さて、話題を戻すが、「沖縄差別論」がさらに狂気を帯びてくると、今度は「沖縄奴隷論」へと、日本政府への恨み辛みは止めどもなくエスカレートしていく。

八重山毎日新聞 2010年4月22日

ドイツの哲学者ヘーゲルに「主人と奴隷」…

 ドイツの哲学者ヘーゲルに「主人と奴隷」という言葉がある▼主人は自分は何もせずいろいろと奴隷に命令し奴隷は忠実にそれを実行する。主人は何もしないのだからそのうち無能力者となり、一方仕事に励んだ奴隷はさまざまな能力を身につけるという話▼われわれ沖縄人は激しい歴史的重圧にひしがれてきた。特に沖縄戦、米軍占領、異民族支配、また沖縄に対するヤマトゥの徹底的無責任、無関心など▼そしてただ今現在では普天間基地移設問題に矮小化されてしまった基地問題群(それは嘉手納基地をはじめとする米軍の圧倒的威圧感からすれば矮小化と言わざるを得ない)その矮小化された問題さえまともに考えようとしない日本政府と日本人。彼らは主人よろしく「日米安保は日本を守る」と涼しい顔だ。奴隷沖縄はその苦境に耐えそれを乗り越えようと艱難辛苦、その結果おのずから透視力、分析力、論理力、構想力、判断力などがついてくる▼さて来たる25日に開催される普天間基地県外移設要求大会は、今や政治的無能力化しつつある主人・日本政府に対する奴隷・沖縄の決定的「否(ノン)」である▼それは必ずや人格となった沖縄がその歴史経験を鍛錬して得た平等、人権、平和、倫理感覚とその思想を総結集する場となるにちがいない。(八重洋一郎)

沖縄の知識人に多いのだが、沖縄にいる時は優越感の塊で、本土へ行くと一変して劣等感とヒガミ根性の塊に変身する。 その好例が上記コラムである。

これに対し次のような読者のコメントが寄せられているが、コラム執筆者の感情的恨み節に対して、読者のfuruikeさんの方が、よっぽど冷静に物事を見ているようだ。

 《本土が「主人」で「沖縄県」が奴隷なのでしょうか??それではあまりにも卑下しすぎじゃないですか。また、「ヤマトゥの徹底的無責任、無関心~」ではなく「政治の徹底的無責任、無関心~」じゃないですか?沖縄の人と本土の人の闘争を煽るようなことをコラムに書くのってどうなの?
内容が抽象的だったり、知識の披露にすぎなかったりで何を伝えたいのかよく分かりません。詩の心のない私に理解するのは難しい・・ furuike: [2010-04-23 13:46:24]

ここで冒頭に引用した沖縄タイムスの社説「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ」を批判しようと思うのだが、脱線が過ぎたので次の機会に回したい。

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コメント (14)    この記事についてブログを書く
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14 コメント

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サラについて (石垣)
2010-05-02 10:50:55
大浜からの告訴は受理されてるそうですけど、どっからの情報で受理されてないと言っていたんですか?
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米軍基地 (アイゼンシュタイン)
2010-05-02 11:20:17
狼魔人さま
今日の記事も考えさせられますね。
例えば、関東地区周辺にも米軍基地は多々あります。空軍の横田基地、海軍の厚木基地、原子力空母の事実上の母港にもなっている横須賀基地などなど、結構あります。
もちろん、一部のプロ市民が反対運動を繰り広げていますが、一般市民はあまり関心がないようです。
また、北海道では自衛隊の基地や駐屯地があるために、地元経済が潤っている地域があります。そういう地域では、自衛隊の規模縮小に反対している地元住民の皆さんもいます。
日本のマスコミは、色々な意見や考え方があることを、報道しないから困ったものです。
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Unknown (狼魔人)
2010-05-02 11:23:27
石垣さん

情報源は申し上げられませんがが、那覇地検内部に詳しい人物の信頼できる情報とだけいっておきます。

その情報による「3月29日現在、那覇地検に大浜市長(当時)の刑事告訴が受理された事実はない。」ということです。
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被害者意識 (のび太)
2010-05-02 11:30:07
 高校を卒業して上京した際、本土が恐かったです。沖縄は虐げられている。差別されていると子供の頃から刷り込まれていましたから。でも、良き出会いに恵まれまして、尊敬する方と駅前の清掃ボランティアを2年やり、日本人の概念が変わりました。その方から「被害者意識からは何も発展しない!」と教えられまして、それ以来、「境遇を受け止め、その中で最善を尽くす」と心がけるようになりました。たしかに沖縄は不遇な時代を経てきましたが、世の中にはもっと多くの不条理があります。「本土の犠牲」と言いますが、県外生活が長かった観点からすると沖縄の方が恵まれている事もあったりします。未来を担う沖縄の若者達が、沖縄を出て、県外・世界を巡り、より沖縄や世界を客観的に見る事が出きるようになったとき、もっと道が開けると思います。
返信する
神は細部に宿り給う (石原昌光)
2010-05-02 14:44:41
私も若き日に本土に出稼ぎにでていた時代があります。(1998~2003年頃)
その経験から申し上げれば、現在では、本土人からの沖縄人差別は無いと言っていいと思います。
県から出たことのない沖縄人は、遠隔地コンプレックスの思い込みで、本土人は皆、共通語で会話していて、沖縄人は方言の訛りのせいで苛められると考えているようですが、大間違いで、東京は兎も角、地方は皆、土地の方言で会話をしていて、沖縄から上京した人が一番に悩むのが、この言葉の壁(笑)のようでした。なにしろ日本中で、一番正確な共通語を話すのは、東京近郊を除けば、間違いなく沖縄県民ですからね。
私と一緒に出稼ぎに行った友人のS君は、この言葉の壁(正確に言うと遠州訛り)を克服できず、完全に飲み込まれて、沖縄アイデンティティーがぐらついたのか、私と会話する時には、沖縄にいたときには使った事もない、うちなー口を無理に使っていました。押し寄せる異文化に対する彼なりの抵抗だったのでしょう。
今、反日思想を喚きたてている、一部の沖縄左翼は、おそらくS君が経験したような事を多かれ少なかれ経験し、それを克服できず、沖縄アイデンティティーの殻に閉じこもっているのでしょう。弱い自分を正当化する為には外の世界が差別していると強弁するしかない訳です。
私の感想を言えば、本土人は、ルールを重んじ約束を守る事を美徳とする良い人々でした。
そして、自分達のルールを誠実に守ろうとする人間に対しては、人種も民族も問わず親切に接していました。
この考え方は基本、沖縄人も同じです、だからこそ多くの沖縄の先人は、日本に帰属する事を受け入れたのだと思います。
大体、日本のお笑いを見、ドラマを見、アニメを見、なんの違和感もなく、それに感情移入できる事こそ、日本と沖縄が根源では一つである事の証じゃありませんか?
神(真実)は細部に宿り給うです。
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石原さんのおっしゃる通り (ヒロシ)
2010-05-02 17:50:41
石原さんのおっしゃる通り沖縄に対する差別意識はほとんどないですね。
「沖縄」ということで白い目で見られるとしたらむしろ近年の「○○大会」の影響が大きいのではないでしょうか。
沖縄県民は若いうちに本土へ出て沖縄の外から故郷を見つめ直してみるといいと思います。
「被害者だ」と教え付けられている構造は支那・朝鮮と同じように思えます。
国境に位置する沖縄の役割を理解した時に大東亜戦争当時の人々の考え方が分かりかけてくるのだと思います。
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Unknown (沖縄県民の一人)
2010-05-02 18:50:28
私の父は、本土へ行った時、職場の先輩に意地悪されたそうですが(怒ったら何もしなくなったらしいですが)、いつも「日本の技術はすごいし、本土は厳しいから鍛えられるよ」とほめまくってる事から、差別されたというより、ただの性悪に当たっただけのようでした。

あと「沖縄出身だと友達がたくさんできる」と本土へ行った友人がいっていました。

逆に本土出身の友人に「沖縄はこわい。左翼ばっかで洗脳されてるから」といわれたのはショックでした。恥ずかしながら、その友人のおかげで洗脳からとけたので、かなり感謝しています。(笑)

それにしても記事の「差別」云々と沖縄「同胞」って言葉が朝鮮っぽくてかなり違和感ありますね…。
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Unknown (涼太)
2010-05-02 21:38:35
狼魔人様

私が今まで思っていたことを、石原様が代弁してくださり、何も言うことはありません。
私の沖縄勤務5年間の経験から言いますと、沖縄から出たことが無い(旅行などは別にして。)、あるいは日本本土に就職したが、挫折して沖縄にUターンした人ほど、日本本土と沖縄を区別しますね。
私は思うんですが、日本本土でも駄目な人間は沖縄でも駄目だし、その逆も在ると思います。
今では、日本本土でも沖縄とか日本とか区別する人間もいないし、むしろ沖縄を強く意識するのは、何かというとすぐ県民大会とか言う沖縄左翼団体の姿勢です。非常に例えが悪くて申し訳ありません。
沖縄の左翼の活動は、逆に劣等感の裏返しです。
それは、誰も差別しないのに、差別がなくなると自分達の特権がなくなると、差別を自作自演する人権団体と何ら変わりません。日本本土の人間であれ、沖縄の人間であれ、最終的に個人です。仕事や私生活でミスがあれば、非難されるのは誰しも同じです。
ただ、沖教組の強烈な洗脳を受けた人は、残念なことに、自分が沖縄出身だだから、と受け取る沖縄県民も中にまだはいます。残念です。悔しかったら仕事のミスは仕事で取り返せば良いだけの話です。
仕事の出来る人間には誰も文句は言いません。
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Unknown (石垣)
2010-05-03 00:43:25
石垣島の市議会で、告訴は受理されてると言っていましたが、じゃあ弁護士が嘘ついてるんですね!
サラさんは被害届を取り消してあるんですが、なぜ事情聴取を最後まで受けないんですか?

体調が戻り次第、事情聴取を受ければ大浜は捕まるんですよね?今後のサラさんの動きに期待しています、
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Unknown (狼魔人)
2010-05-03 08:26:42
石垣さん

どの弁護士が言ったのかは知りませんが、一般論として弁護士は依頼人のためにウソをつくこともあります。昔から八百代言といわれる所以です。

なおサラさんとは現在連絡はつかない状態にありますので、サラサンの動向については良く分かりません。
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