ゴールデンウィークも真っ盛りだが、大阪に嫁いだ次女が孫を二人連れて帰省しており、それに昨夜東京で勤めている三女も帰省したので我が家は時ならぬ人口増加で大賑わい。
人口増加率は実に230%。
これでは基地騒音よりうるさいくらいだ。
そこで過去のゴールデンウィークには何をしていたかと考えたら古いエントリーにこんなのがあった。
連休中にもかかわらず一昨日の土曜日は、那覇高校時代の同級生の月例飲み会があり、久し振りに二次会も遅くまで付き合った結果、帰宅は午前様となった。
基地の街宜野湾に引っ越して以来、タクシーで深夜帰宅するのは今回が初めてなのでタクシー料金が気になっていたが、果たせるかな予想を上回って、約4000円もかかった。
これでは一次会の安居酒屋や二次会の安スナックの飲み代よりよっぽど高くつく。
だが、己のタクシー賃が他の友人に比べて高いと、「自宅の宿命」をぼやいてみたところでせんなきこと。タクシーの深夜料金だけで住む場所を決めたわけではないのだから。 せこい話だが、どうしても我慢できなけりゃ那覇に住めばよいだけのこと。
だが、「騒がしい那覇」に住むより、「静かな宜野湾」に住みたいという連れ合いの意見を尊重して、自ら選んだ場所である。 タクシーの深夜料金だけで愚痴は言うまい。(と言いながら愚痴っているって?ハイ、スミマセン)
念のため付け加えると、「騒がしい那覇」も「静かな宜野湾」も、決して筆者の誤記ではない。
その昔、那覇の一晩中車の音がうるさい場所に住んだことがあるが、それに比べて現在の宜野湾の新居は交通騒音はおろか、噂の基地騒音も全く気にならないから皮肉なものである。
飲み会は例によってクダラナイ話の繰り返しだが、「あれ」「それ」「あいつ」と代名詞の数が増え、固有名詞なき会話が続いた。
以前から体重を気にしている元高校教師のK君がサウナの話をしたのをきっかけに、サウナには「あっちの趣味の男」が獲物を狙っているという話は本当か、という話題になった。
そこで、筆者が昔体験した話を披露したらこれがバカ受けして、二次会にまでソノ話が持ち込まれ、スナックのママさんにも大いに受けた。
ここまできて「ソノ話」を、プライバシーを理由に省略するのは卑怯だとおもうので、覚悟を決めて勢いで紹介しよう。
20年近くまえのこと。
とあるサウナの休憩室で半裸状態のままで、テレビの大型画面を見ることもなく見ながらくつろいでいた。
休憩室の客はまばらだった。
とろが、何故か一人の男が私の右の席に並んで座った。
勿論くだんの男、サウナ室を出てきたばかりなので私と同様に備品の上っ張りを羽織っただけの裸状態である。
ほとんどの席は隣に誰もいない状態で座れるのに、何ゆえわざわざ私の隣に座るのかとも思った。
だが、特に気にもせずテレビを見ていた。
隣の男はテレビ見るのでもなく、だからと言って仮眠するのでもなない。何か落ちつきのない様子で私の方をチラチラと盗み見ているのである。
とっさに、サウナでは「あの趣味の男」が同好の士を求めて網を張っているという話が脳裏を過ぎった。 とてものんびりテレビを見るどころの騒ぎではなくなった。
私が二十歳前後の「美青年?」の頃ならイザ知らず、くたびれ切ったオジサンを同好の相手に選ぶこともない、とも考えた。
だが、蓼食う虫も好き好きとも言うし、これは趣味の問題だ。 オジサン好みがいても不思議ではない。
君子危うき近寄らずで、相手が接触を試みる前にこの場を退散する方が得策だと考えた。
さー、そう考えると一刻も猶予はない。 そっと席を立ってサウナ室に向かいながらソノ男の行動にそれとなく目をやると、私の方を注視していたが、何を勘違いしたのか目が合った瞬間、ソノ男も席を立って私の方に早足で近づいてくるではないか。
私を追い越すように近づいたソノ男、くるりと振り返り意を決したように極めて丁重な言葉で話しかけてきた。
「誠に恐れ入りますが、その眼鏡、ひょっとしたら私の物ではありませんか」
「ア! そうでしたか。 スミマセン」
勿論私はかけていた眼鏡をソノ男に返したのだが、
サウナ室前の眼鏡置き場に眼鏡を置くときはくれぐれも似た眼鏡の隣には置かないように。
何?度の入った眼鏡を間違えるバカはいないって?
ハイ、私がバカでした。
◇
こんなクダラナイ話を政治ブログで書くとランキング急降下のおそれがあるので、昨日のエントリーに関連のある新聞記事を紹介してアリバイ作りをしておく。
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世界日報・沖縄県民に敢えて直言する 国際問題評論家 橋 正
戦略的要衝ゆえの苦難
基地なしでは格好の餌食に
昨年、沖縄在住の大学時代の教え子3人と現地で「ミニ同窓会」をやった時のこと、生え抜きの「ウチナーンチュー」(沖縄っ子)が「沖縄と本土の違い」を力説、これに、沖縄娘と結婚して居着いてしまった沖縄好きの「ヤマトンチュー」(本土っ子)2人が同調した。なるほど、「本土」と沖縄では、話す言葉にも踊りや歌にも、食べ物・飲み物の種類や好みにも結構違いが有り、なかには沖縄独得の物も無いではない。しかし、筆者のような「江戸っ子」の目から見ると、その違いの多くは東京と山形・秋田、東京と京・大阪、東京と四国・九州の違いと五十歩百歩で、東京ないしは「本土」と沖縄が外国のように違っているわけではない。
「ウチナーンチューは口を開くと『われわれはヤマトンチューとは違う』と言うが、ヤマトンチューにも色々あり、十巴一からげにして貰いたくないね」と反論すると、相手はこの手の反論を食らったことがない所為か一瞬たじろぐが、「それでも違う」と言い張る。これはもうショーヴィニズム(排外的愛国・愛郷心)か、さもなければイデオロギーと言うほかない。
なるほど、先の大戦で、沖縄では「内地」で殆ど唯一の地上戦闘があり、住民は多大な犠牲を強いられた上、米軍の占領を経て遅れて日本に復帰した経験を持つ。これは深い同情に値する残酷な体験であり、それ故に戦後の政府と国民は沖縄県民の言い分に格別の配慮を払って来た。しかし、戦争が長引けば、「本土決戦」も不可避だったし、国民もそれを覚悟していたのである。ポツダム宣言受諾でヤマトンチューは地上戦闘にこそ巻き込まれはしなかったが、原爆を落とされた広島・長崎の市民、焼夷弾で蒸し焼きにされた東京以下大小の都市住民も恐怖と辛酸を舐めたことに変わりはない。筆者の身内にも家を焼かれ、落命した者が何人かいる。今住んでいる神奈川県は横須賀や厚木を抱えて、沖縄に次ぐ基地県である。ウチナーンチューは自分達だけをあまり「特別視」しないで貰いたいものだ。
現在に至るも、沖縄に在日米軍基地の75%が集中しているのはヤマトンチューの身勝手さもさることながら、欧州と違って冷戦が終わったとは義理にも言い難い東アジアにあって、日本の安全と米国の利害を日米安保体制を通じて守ろうとする以上、朝鮮半島からも台湾海峡からも至近距離にある沖縄が、戦略的、地政学的に絶好の位置にあるからに他ならない。基地があると戦争に巻き込まれると「平和・反戦派」は宣伝するが、基地がなければ、沖縄が好個の餌食にされることは火を見るより明らかである。昔、尚氏琉球が武装解除した途端に薩摩にしてやられた苦々しい歴史の故事を沖縄県民はよもや忘れたわけではあるまい。基地の存続に伴う事件、事故、騒音等のトラブルは丸腰になった時の危険に比べればはるかに小さく、あらかたは通常の対応で処理可能である。そればかりか有事に際して沖縄の基地と米兵に外部から危害が加えられた場合、米国政府は安保条約上の義務にも増してこれに反撃せざるを得ない立場にある。ずばり言えば、基地と米兵は日本の安全の為の「人質」に等しいのだ。県民は「沖縄の平和と安全の為に基地を撤去せよ」などとは口が裂けても言えない筈である。
筆者のみるところ、大多数の県民はそれほど単純素朴ではなく、むしろ強かにこれら職業的「左翼」やイデオロギー的「平和主義者」の言い分を自分達の利益のために利用している節がある。沖縄内外の「平和・反戦派」やマスコミが騒げば騒ぐほど、安保体制や対米関係を忽せにしたくない政府は県民を黙らせるために金をばら撒き、沖縄県民の戦中戦後の「犠牲」に負い目を感じている世論はこれを容認する。こうして沖縄には滔々として「税金」が流れ込み、これといった産業の無い沖縄経済を支えている。昨年、沖縄を訪れて改めて実感したことの一つは全島挙げての道路、橋梁、建物の建設ブームであった。現に普天間基地の移転先とされている辺野古方面には政府から既に2000億~3000億円の「北部振興費」が注ぎ込まれている。
そのため、県民は「平和・反戦派」に敢えて反対せず、むしろその声に同調する振りをしているのである。彼らは陰に陽に「共闘」否「共謀」していると言っても過言で無い。虐げられてきた人々の悲しい智恵と言うべきか。ウチナーンチューとヤマトンチューに違いがあるとすれば、そこではないのか。この期に及んで「その点はヤマトンチューも同じだ」とは言わせない。その時こそウチナーンチューには「ヤマトンチューの違い」を見せて欲しいものだ。筆者には、沖縄県民が真に自立して「平和と繁栄の島」を実現するための秘策があるが、それを言うには紙幅が尽きたので別の機会に回し、今回は言うべくして誰も言わないことを書いた。
(たかはし・ただし)
(2010年4月15日)
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昔、(15~16年前かな) 在職中に(今は定退したが、、、)
真夏の暑い日、営業中に 沖縄市のある 映画館に、暑さしのぎと昼寝を兼て入りました。
館内は ほとんど、客は居なく 昼寝出来そうな席を探し、そこで昼寝を始めました。
すると、しばらくすると、私の隣に男の人が座り、なにやら、となりで、ガザガザするのに気づき目が覚めました。
館内の席はほとんど 空席なのに、わざわざ、私の席の隣にきたので、不思議に思い、これはヘンだと思い急いで席を立ち、映画館を後にしました。振り返るとその映画館は、「成人映画」上映中でした。
あぁ~、思い出し、笑いちゃいましたょ。ホントに、男、怖いですね、、、(笑)
それであれば、小笠原や沖縄はアメリカのものです。
アメリカが自由と民主を標榜している国だったので、返してくれたのだと思います。
誰も言わないので、ちょっと書いてみました。
>その違いの多くは東京と山形・秋田、東京と京・大阪、東京と四国・九州の違いと五十歩百歩で、東京ないしは「本土」と沖縄が外国のように違っているわけではない。
この部分を読んで何だか安心しました
私は現在本土の方に在住しています。ここ最近日本と沖縄は違う。みたいなわけのわからない葛藤に苛まれていたのですが、この文章を読んで心が軽くなった気分になりました。
これからは日本人・沖縄人という単純な括りで見るのではなく、「日本国民を構成している沖縄人」として同じ日本国民同士でいがみ合うのではなく、手を取り合って協力していく事が必要なのだと思いました。
最後何だか青臭い理想論で失礼いたしましたm(--)m
自分もサウナには少々思い出がありましす。
ヤマトゥーにいた頃、一時期サウナ・健康ランドで働いていました。そこのマッサージルームには中国人のマッサージ施術者が数名いたのですが、ちょっとしたことで急に辞めるんです。店のオーナーとトラブルがあったり、別の店が儲かるという情報が入るとすーっと消えるように辞めちゃうんです。ところが、次の日には新しい中国人が補充されていて、あんたどこから来たの?と聞くと「九州」と言う。古参の日本人従業員に聞いたところ、中国人の地下ネットワークが在り、施術者が必要なときには電話一本で人材がやって来るシステムが出来上がっているとのこと。この中国人達は学生ビザで入国している者はまだ良い方で、ビザ切れ・不法滞在が多く、その店舗も以前摘発があったため、少々人件費が高くても日本人を雇う事にしたそうです。九州から来た劉さんと名のった男は面倒見が良く、人懐っこい性格でしたが、オーナーとトラブルとなり直ぐに消えました。が、直ぐにまた新しい人が来ました。中国人との接点はそれが最初で最後でしたが、日本人のスケールでは測れない型破りな印象を持ちました。それから「謝らない」ですね。さすが面子を重んじる国民です。
それから、高橋氏のお話、ごもっともです。