狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

日本軍の住民虐殺 「人肉の食用塩漬け」!?

2006-10-08 13:55:11 | ★改定版集団自決

「米国国立公文書館」所有の資料とえば、そのいかめしい名前から資料の内容が全て真実であるかのような印象を与える。

 又、敢えてその印象を利用しようとするメディアや学者もいる。

 その公文書館資料には日本軍の沖縄住民に対する残虐行為は「集団自決命令」なんて序の口で、住民を撲殺した後「肉を塩漬け」にして食らったというとんでもない話まであった。

ドキュメンタリー作家の上原正稔さんがその公文書館資料を基に「戦争を生き残った者の記録」を琉球新報に連載している。

当初は目を通していたがその内容があまりにも「正義の米軍に対する悪の日本軍」といったニュアンスの証言等が多く、繰り返される日本兵の残虐行為の証言に辟易してしばらく読むのをスルーしていた。

 だが10月6日夕刊の「第八話 そして沖縄人親子は消えたー人肉を塩漬けにして」に至っては悪鬼・日本軍追及の証言もついにここまで到ったのかと感じた。

 ≪驚いたことに、私(米兵)の尋問に対して、あの捕虜(日本兵)はためらいも見せず、すらすらと答えた。

二人の日本兵はこん棒で沖縄人の父と息子を殴り殺し、身体を切断し、骨を抜き取り、拾った桶に肉を塩漬けにし、毎日少しずつ食べていたのだ

私は彼の供述を注意深く書き取り、それを彼に読み返すと、彼は間違いありませんと言って、タイプされた供述書に署名した。 何のためらいもなかった

忘れてならないのは、彼は我々アメリカ人よりも沖縄人を恐れていたことだ。彼は我々を保護者と見なしていたのだ。≫ (琉球新報2006年10月6日夕刊)

ここで注目すべきは「彼(敗残日本兵)は我々アメリカ人よりも沖縄人を恐れていたことだ。彼は我々を保護者と見なしていたのだ。」というくだりだ。

この尋問者の米兵と応答者の日本兵は一寸前までは命を懸けて戦っていた敵同士なのだ。

そして日本兵が米兵より恐れて米兵に保護を求めている「敵」は本来日本軍が保護すべき沖縄人だと言うのだから話は複雑だ。

米軍が沖縄上陸前に目論んだ「日本ー沖縄分断策がここに見事に描かれているではないか。

米軍による沖縄住民の尋問にも「アメリカ兵より日本兵のほうが怖かった」と言う証言もある。

残虐な日本軍と戦っていた沖縄人を解放するため沖縄に上陸した正義の米軍≫が見事に描かれているではないか。

琉球新報の記事には「人食い日本兵と捜索隊の記念写真 1945年5月」と題した写真が掲載されている。

写真をコピーしたらしく写りは不鮮明だ。

それでも銃を持った軍服姿の10人の米兵の中に混じって前列中央で大股を開いて腰に両手を当ててふんぞり返ったような態度態度で立って写っている日本兵らしき眼鏡の男。

この「人食い日本兵」は、まるでこの隊の隊長のような印象さえ与える。 この日本兵、沖縄人からの報復を恐れていたと言うから人肉を塩漬けにして食らったことを沖縄人に見られたのだろう。

だが、沖縄人の口からこのような「人肉塩漬け」の話はかつて聞いた事はない。

もちろんナチを追いかけるユダヤ人のように、戦後沖縄人が「人食い日本兵」を探し回ったという話も聞いたことはない。

 

★上原正稔さんの米国資料館資料発掘http://www.tenbusu.jp/news/sinpou050311.html

 

【追記】14:19

沖縄では人肉食の話は聞かないが3月2日の当日記で次のようなエントリーをしていた。

ヒトの肉を食う話

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朝鮮日報が核実験声明に対し安倍首相の行動を評価

2006-10-08 08:29:50 | 外交・安全保障

今年7月の北朝鮮による大量ミサイル発射の時、東門・沖縄市長はコメントを避けた。

今月3日の北朝鮮の核実験宣言に対しても、「核実験絶対反対!」の声は聞かれない。

東門市長の心境は、「太陽政策」で北朝鮮に擦り寄ってきたて韓国・盧武鉉大統領の心境はと同じだったのだろう。

≪北朝鮮外務省の声明が報道されたのは同日午後6時。

両国政府はほぼ同時に非常会議を召集したが、会議の主宰者は違っていた。

韓国政府は午後6時40分、宋旻淳(ソン・ミンスン)大統領府安保政策室長が次官級の出席する会議を開いた。続いてユン・テヨン大統領府報道官が同8時ごろ「北朝鮮核実験の警報体制を強化する」と発表した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は同6時5分に報告を受けたが、何も公式に言及していない。

 日本は韓国よりも8分遅い午後6時48分、安倍晋三首相が直接緊急会議を開いた。状況報告を受け、指示もした。そして同7時に麻生太郎外相は「北朝鮮の核実験の可能性がある。ミサイル発射よりも深刻だ」と発表した。同7時30分には安倍首相が記者会見で「北朝鮮の核実験は許さない」との談話を発表した。

 4日午前7時、韓国政府は宋旻淳室長の主宰で長官級が出席する安保政策調整会議を開いた。しかし、声明は大統領府ではなく、外交部からのものとして発表された。盧大統領がこれについて初めて言及したのは午前9時30分頃の国務会議で、「冷徹かつ断固とした対処をせよ」だった。それも宋室長が伝えたものだ。 (朝鮮日報 2006年10月5日)≫

朝鮮日報は自国の大統領が「太陽政策の頚木で逡巡している間に日本の安倍首相が毅然、且迅速にリーダーシップを発揮したことを報じた。

北の核実験に対して日本より危機感を感じるべき韓国の大統領がまごまごしている間に安倍首相は迅速に動いた。

日本の報道はなぜかこれを報じない。

結局、安部首相の重大な「初仕事」は日本のメディアではなく他国のメディアに拠らねばならぬ。

ここに日本メディアが持つ病巣を垣間見た気がする。


安倍首相に14時間遅れで盧大統領やっと言及(朝鮮日報)

 


 

 

 


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