「米国国立公文書館」所有の資料とえば、そのいかめしい名前から資料の内容が全て真実であるかのような印象を与える。
又、敢えてその印象を利用しようとするメディアや学者もいる。
その公文書館資料には日本軍の沖縄住民に対する残虐行為は「集団自決命令」なんて序の口で、住民を撲殺した後「肉を塩漬け」にして食らったというとんでもない話まであった。
ドキュメンタリー作家の上原正稔さんがその公文書館資料を基に「戦争を生き残った者の記録」を琉球新報に連載している。
当初は目を通していたがその内容があまりにも「正義の米軍に対する悪の日本軍」といったニュアンスの証言等が多く、繰り返される日本兵の残虐行為の証言に辟易してしばらく読むのをスルーしていた。
だが10月6日夕刊の「第八話 そして沖縄人親子は消えたー人肉を塩漬けにして」に至っては悪鬼・日本軍追及の証言もついにここまで到ったのかと感じた。
≪驚いたことに、私(米兵)の尋問に対して、あの捕虜(日本兵)はためらいも見せず、すらすらと答えた。
二人の日本兵はこん棒で沖縄人の父と息子を殴り殺し、身体を切断し、骨を抜き取り、拾った桶に肉を塩漬けにし、毎日少しずつ食べていたのだ。
私は彼の供述を注意深く書き取り、それを彼に読み返すと、彼は間違いありませんと言って、タイプされた供述書に署名した。 何のためらいもなかった。
忘れてならないのは、彼は我々アメリカ人よりも沖縄人を恐れていたことだ。彼は我々を保護者と見なしていたのだ。≫ (琉球新報2006年10月6日夕刊)
ここで注目すべきは「彼(敗残日本兵)は我々アメリカ人よりも沖縄人を恐れていたことだ。彼は我々を保護者と見なしていたのだ。」というくだりだ。
この尋問者の米兵と応答者の日本兵は一寸前までは命を懸けて戦っていた敵同士なのだ。
そして日本兵が米兵より恐れて米兵に保護を求めている「敵」は本来日本軍が保護すべき沖縄人だと言うのだから話は複雑だ。
米軍が沖縄上陸前に目論んだ「日本ー沖縄分断策」がここに見事に描かれているではないか。
米軍による沖縄住民の尋問にも「アメリカ兵より日本兵のほうが怖かった」と言う証言もある。
≪残虐な日本軍と戦っていた沖縄人を解放するため沖縄に上陸した正義の米軍≫が見事に描かれているではないか。
琉球新報の記事には「人食い日本兵と捜索隊の記念写真 1945年5月」と題した写真が掲載されている。
写真をコピーしたらしく写りは不鮮明だ。
それでも銃を持った軍服姿の10人の米兵の中に混じって前列中央で大股を開いて腰に両手を当ててふんぞり返ったような態度態度で立って写っている日本兵らしき眼鏡の男。
この「人食い日本兵」は、まるでこの隊の隊長のような印象さえ与える。 この日本兵、沖縄人からの報復を恐れていたと言うから人肉を塩漬けにして食らったことを沖縄人に見られたのだろう。
だが、沖縄人の口からこのような「人肉塩漬け」の話はかつて聞いた事はない。
もちろんナチを追いかけるユダヤ人のように、戦後沖縄人が「人食い日本兵」を探し回ったという話も聞いたことはない。
★上原正稔さんの米国資料館資料発掘http://www.tenbusu.jp/news/sinpou050311.html
【追記】14:19
沖縄では人肉食の話は聞かないが3月2日の当日記で次のようなエントリーをしていた。
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