締め込み稽古していてまだ未完成なのですが、あの長い文七元結の時のことを思い出しました。
覚えきっていないと言う自覚はあって本番直前2週間前に稽古方法を変えて最後の泣ける部分を徹底的に覚えて、途中間に合わないところは目をつぶって直前稽古で一通り通って高座に3日間上がりました。
無論あやふやなところを抱えての高座でしたが、なんとか3回ともゴールまで辿り着いた、100点満点では無かったにしろ良いと言ってくれた人、泣けたと言ってくれた人もあった。
強いて自分で振り返って点数を付けてみると初日60点二日目70点三日目80点くらいであろうか、毎回5分程度終わってみて時計を見ると尺が違っていた。
それでも臨界点って言ってよいのでしょうか、最後まで通せるということは一応そこを超えてるんじゃないか。1年前の文七を思い返して当時はそんなこと思いませんでしたが、今締め込み稽古していてそう思います。井戸の茶碗も超えている締め込みはその手前で悶々としている。
臨界点!この12年間を思い出してみると、その一点はやっていて一応通過していたんだ、そしてその感触は確かにあった。
ところが唯一回6月20日の締め込みだけは、その一点の手前だった。それも気が付いておりますから半分ほど上演して「続き聴きたいですか?」「聴きたい」「じゃあ今日は皆さんめったに観れない稽古風景で後半お楽しみください」って逃げの一手で趣向を凝らした。本来ならこういうことはありません。
今締め込み稽古していて臨界点に近づいている実感はありますけど、志ん朝師匠の作品三つ目の挑戦で「締め込み」が一番難しいと痛感しています、兎に角速いんです特に後半が。