「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

『中高年ブラック派遣』を学生と一緒に読む

2015-05-26 23:53:48 | 小村ゼミ
火曜5限はボランティアでやっている「時事問題討論ゼミ」。
今日は1年生が4人、2年生が1人、3年生が1人という、普通とは逆の学年構成比。
本学においては、まぁ、そういうものかも、とも思うが、それはそれとして。

先週末の「さぬきメディカルラリー」からの帰路、気になって買った本が、標題にかかげたもの。
(中沢彰吾著、講談社現代新書2314、2015年。サブタイトルには「人材派遣業界の闇」とある。)

本の帯には「奴隷労働の現場」とあるが、中身はにわかには信じられないものばかり。
しかし、著述業を生業とする筆者があえて嘘を書く必要はない。
率直に言って実感はないが、これが現実なのだろう。
(中沢彰吾氏は「旅の坊主」よりも7歳年長。毎日放送のアナウンサー・記者をしていた人なのだそうな。)
(彼を直接知るであろう友人の顔が思い浮かんだ。一度、この方について聞いてみたいな、とも思った。)

この本が警告するものは「ここまで日本の劣化が進んでしまった」ということ。

「安かろう・悪かろう」という言葉がある。

「数字を出せ」と言われ、「ひと・もの・かね」が限られたならば質の追求は出来ない。

人を育てるには時間もお金もかかる。しっかりと育てられた人でなければまともな仕事は出来ない。

そんな常識が通用しなくなりつつあるのか、と思う。
(そういえば、本学でも、かつて正規職員がいた場所に非常勤職員がいるような気が……。)

本の中には、2014年12月、司法研修所の司法修習生考試で起こった不祥事について触れられている。
(159~166頁、ところでここに出てくるE社ってどこだろう?)、

また、東電(これは実名で書かれている)の賠償交渉の舞台裏が多少なりとも垣間見れるように描かれている。

「賠償交渉の促進のため派遣労働者にもインセンティブを導入した。決められた金額で交渉を妥結させた場合、
その件数に応じて割増金が支払われる。」(121頁)

これが、原発事故を起こした東電の現実である。誰を向いて仕事をしているのか、一発でわかる話。

こういう話を学生にするのはどうか、と、思わないではない。
「今の日本は、ここまで劣化してしまった。だが、この傾向が今後良くなるとは思えない。
そのことを十分理解した上で、今の学びの先にどちらがあるのか、それを考えて日々を送ってくれ。」
そう言わなくてはならないのだろうか……。

「根拠のない自信」との戦いをどう支援するか

2015-05-25 23:37:26 | 小村ゼミ
月曜は講義が3コマ。

2限の「現代社会と安全」では、かの佐藤優と雨宮処凛の対談を読ませる。
二人の目には映っている現代社会の問題点を、おぼろげながらでも理解してもらえれば、との思いから。
対談が収録されているのは2008年に出た『論争:若者論』で、もう何年も使っているが、
「ティッシュにしょう油をかけて食べる人が当たり前にいる」との雨宮さんの指摘は、未だに現実感がない。
「旅の坊主」が、それだけ現実を知らない、というだけの話、か。
刊行当時より、確実に状況は悪くなっているはず……。

3限の「災害と人間社会」では、東日本大震災の映像について、解説を交えながら議論する。
事例で取り上げたのは、宮城県南三陸町。悲劇と成功事例が共にある町。
学校はすべてまともな立地にあった。しかし病院と特別養護老人ホームは津波を喰らった。
防災対策庁舎も津波をかぶり、防災無線のマイクを握っていた女性も殉職された。

次週に向けた宿題は、何でもいいから1冊、東日本大震災についての文庫・新書本を読むこと。
一般論ではなく、一か所、一家族、一人でもいいから、あの日何があったのか、
それから何が起きたのか、具体的なイメージを持ってもらいたい、との思いから。
東日本大震災、ではなく、南三陸町では、くらいまで、個別具体的な事例に即して、
話をしてもらえるようになってくれると嬉しいのだが。

5限の「日本語力補習講座」では、天声人語の書き取りをやらせている。
当方は一大課題であるレポート添削を行いつつ、いわば自習の監督役。

で、講義と間の4限に、3年ゼミ生とマンツーマンでの学生指導。
ハッとさせられる発言があった。

「根拠のない自信」。かつての自分が抱えていた、とゼミ生クンが述懐してくれた。

これを打破する・打破させるための闘いを、教員はどこまで支援できるだろうか。
打破させた上で、不安と共に生きてこそナンボ、不安だからこそがんばるのだ、
そういうメンタルな状況へといかに誘っていけばよいのか。

世界を相手にしている研究重視の大学・大学院なら、別の課題があるのだろうが、
本学のようなFラン地方私大では、預かった学生をしっかり教育して、
社会人1年生としてまともなスタート地点に立たせること、それが大学人最大の課題だと思っている。

ただ、「出前講座に出て冷や汗をかけ!」がモットーのゼミには、なかなか学生が来ない。
そんな「小村ゼミ」を第一志望とした訳だから、何か思うところはあっての話、らしい。

で、いろいろと聞いてみるうちに、ハッとさせられたのが、
この「根拠のない自信」というキーワードだった。

他流試合をしていないがために、だと思うのだが、「何とかなるさ」と思っていること。
現実を知らず、「でも何とかなるだろう」「何とかなるだろうから特別に努力しなくてもいい」、
そんな「根拠のない自信」をどうやって打ち砕いていくか。

ともあれ、そこが学生指導のキーワードのようだ、と気付くことが出来た。

「厳しい試練に耐えて、初めて自信がつく」

これが、本来「鍛える」ということだと思っている。
しかし、声をかけても出前講座に出る者は少なく、厳しいことを言おうものならば講義に来なくなる、
それが地方私大の現実なのだ、ということは理解しているつもり。

学生が持つ「根拠のない自信」をいかにスマートに打ち砕くか。
傷にならない程度の負荷で「(社会人の卵としては)使い物にならない自分」に気付いてもらうか。
もちろん、問われているのは現場に引っ張り出す方法論。

かつ「(やったことはないけれど)何とかなるさ」と思っている学生クンに、
「実は俺ってまったく使えないのでは……」と気付かせるような体験の演出。
課題の投げ方、と言ってもよいのかもしれない。

「根拠のない自信」との戦いは、当然のことながら、学生クン本人の世界。
教員が果たすべきは、学生が、自分自身の姿を直視し、特に己の使えない様に直面しようとする、
そのことをどうやって支援するか、ということ。

なかなか難しいとは思うが、こういうキーワードが得られただけに、
「ここはもう少しうまくやらなければ」、そんな次への課題を得た、学生との対話であった。

「さぬきメディカルラリー」を終えて:災害情報システムの使い勝手を考える

2015-05-24 18:17:17 | 災害医療・災害看護
5月下旬の恒例行事、「さぬきメディカルラリー」を終えて帰路に就く。

昨晩は例年に比べると比較的おとなしく、午前1時を回ったころから撤収モードとなった。
それでも、19時から飲み始めたのだから6時間余。
医療人、なかでも救急・災害医療に携わる医師・看護師、そして救急救命士のタフさと付き合うのは、
文字通り体力勝負。アルコールにも弱くなったなぁ、というのが偽らざるところ。
ともあれ、こういう場で大いに飲み、大いに語ることが、次のステップにつながる訳で、
その意味で、良い充電となった。参加して下さった皆さんに感謝を!

プログラムは今日の午前中まで。
デジタルペンを用いたトリアージタグのシステム紹介と、無人航空機を用いた情報収集の仕組み、
また衛星経由での通信機能を持ちスポット的にLANや携帯・スマホ環境を作れる仕組みや、
ウェアラブルな情報通信ツールなど、幾つかのデモが行われた。

で、改めて考えさせられたのが、「要件定義」の必要性と重要性。

理学的工学的なセンスの持ち主で研究開発に携わる者が、「何か」を作り、
「これが災害時や救急医療の現場で使えないだろうか?」と考えるのは、当然のこと。
しかし、それが現場で使えるかとどうか、使いやすいものかどうか、システムとして使えるかどうかは、
別の目でしっかりチェックする必要がある。

極端な話に聞こえるかもしれないが、本気でモノを考えたならば、
優秀な人材+「紙とエンピツ」に勝る情報システムは、よほど知恵を絞らないと出てこない。
あるいはアナログのアマチュア無線を超えるものも、なかなか出てこない。
「旅の坊主」の経験が、そのように教えてくれている。
逆に言えば、そのことを理解しない、あるいは理解できない人が多いのはなぜだろう……。
(作ることに関心があり、使われる場面は考えないということ、なのだろうか。)

我々が活動するのは救急現場であり災害現場である。
我々が使う情報システムは、そのような場(環境:有り体に言えば寒暑・荒天・ほこり等)を想定した上で、
かつ、南海トラフ沿いの超広域の災害であっても、特に発電所の被害による長期かつ広域の停電をも織り込んだ上で、
その時に役立ち得るシステムなのかどうか、そこが勝負の分かれ目。

さらに言えば、(情報系のデバイスやシステムは防災の一義的な目標である予防には直接役立たないだろうから)
その分、正しく効果的な災害対応をイメージした上でのものであるかどうかも、評価の基本。

過去に何回か、災害情報システムの要件定義に携わった経験がある。
使えないシステムは山ほど目にしてきた。

という訳で、午前中に目の当りにした幾つかのデバイスなりシステムなりについて、
災害時に使われるイメージを意識した上での使い勝手を提言できるかどうか。
そこに、「旅の坊主」ならではの経験の活かし方があるのだろう、とは思った。

で、そのような目から今回デモされた幾つかのデバイス・システムを評価するならば、こんなところか。

【ウェアラブル・カメラ・ゴーグル】
例えば、「がれきの下の医療」(CSM: Confined Space Medicine)での使用を考えるならば、
記録用として考えるならばともかく、現場で起こっていることを本部に送っても、
恐らくほとんど役に立たない、むしろ、効果的な災害対応の足を引っ張るのみだろうなぁ、と思う。
本部にベテランが居て、現場の隊員へ、経験に裏打ちされたアドバイスが出来るならともかく、
そのようなオペレーションが実行可能な状況にあるとは思えない。
現時点ではゴーグルも大きく重く、装着するだけで疲労感を増すようなもの。
双方向性をカタログ上で謳ったところで、文字通り机上の空論だろうなぁ、と思う。

【現場と本部の情報共有について】
重要なことが見落とされているのではないか、と思った。
というのは、日本の災害対応では、本部が現場の情報を共有することが無条件の善とされているのではないか、ということ。
もちろん、現場に近い本部ではそのような着意着想が必要だ、とは思う。
しかし、国なり都道府県なりの、広域を見なくてはならない本部で、現場本部に近い目線で考えるのは、
戦略的な発想を阻害するという意味において、間違った災害対応と言わざるを得ないのではないか。

現場のことは現場が一番良く知っている。だから、後方から「ああだ、こうだ」と口出しするのではなく、
現場には「何が足りないか?」を察して、可能な限り「言われる前に送り込む」という、
その種の「先を読んだ上での現場支援」こそが本部に求められること。

現場の情報を見てから本部が動くようでは、災害対応は二歩も三歩も遅れてしまう。
現場の情報がなくても、過去の災害対応の教訓と、マクロな被害量の把握に基づいて、
現場の支援に徹せられるような本部運営を。
そういうメッセージの発信を発信し続けなくては、と思った。

災害対応能力の向上には、災害情報システムの研究開発よりも、しっかりした災害対応に従事する職員の能力開発を。

メディカルラリーに参加しなければ得られなかった想か、と問われれば、そうでもないのだろうが、
少しはゆっくりとモノを見ることが出来たがゆえに、言葉になったアイディア、ではあると思う。
ともあれ、1泊2日の非日常が終わり、これから明日以降に向けた仕込みが始まる。

今年も来ました「さぬきメディカルラリー!」

2015-05-23 17:48:06 | 災害医療・災害看護
今週末は、知る人ぞ知る「さぬきメディカルラリー!」、今回で12回目。

坂出消防の救急救命士、現在は坂出市危機管理室にお勤めのKさんと仲間達による年1回のイベント。
香川県の坂出市と高松市の堺にある五色台に、120名を超える災害・救急医療の仲間が集う。
今年で12回目なれどほぼ皆勤!

昨晩(ではない今日未明)、京都での研究会を終えて高松に着いたのは25時半近く。
その後、効率が悪いことは百も承知で原稿書きに取り組むも、1500文字当たりでダウン。
今朝はNEXCO西日本の子会社で高速道路DIGの普及に活躍しているMさんに高松駅でピックアップしてもらい、
会場である五色台の国民休暇村へ。

「チャレンジャー」と呼ばれる3名1組のチームが、4つのブースを巡回しつつ、
救急・災害医療の技量を競うのが、ここ数年のならわし。

「旅の坊主」は、二次トリアージの技量を問うような集団災害のブースで、地味な模擬患者役。
災害医療に携わるようになって23年目にしてはじめて「ムラージュ」か、と思ったが、
(注:ムラージュとは、模擬患者にほどこす化粧のこと。中には骨折や熱傷など凝ったものもある。)

他にも、蜂によるアナフィラキシーショックと脳梗塞を絡ませたブースあり、
精神救急のブースあり、ロープワークで現場に降りていくブースあり。
いずれも、見ているだけでもいろいろと学ぶことが出来る。

ただし、「さぬきメディカルラリー」は、競技よりも親睦に重きがあるのが特長。
というので、ノルマのブログ更新を済ませたので、風呂を浴びて汗をながし、
19時からエンドレスの飲み会となる。それが楽しみ。
(って、『近代消防』の原稿はどうなる???)

「旅の坊主」、西へ

2015-05-22 23:54:54 | 日常の一コマ
オマージュという言葉がある。
拙ブログ読者の誰も知らないだろうなぁ、と思うのだが、その昔、「県立地球防衛軍」というマンガがあった。
で、そのマンガのタイトルはすべて、かの「ウルトラセブン」のタイトルからとられていた。
先達に敬意を表し、その作品の一部を拝借すること。それがオマージュ。

今日の更新のタイトルは、特撮の最高傑作(と「旅の坊主」が思っている)「ウルトラセブン」へのオマージュ。
(ネタ元はもちろん「ウルトラ警備隊 西へ」。でも、本学の学生は誰も知らないだろうなぁ……。)

と、西へと向かう新幹線の酔客が訳のわからないことを言っているが、それはそれとして。

今宵、京都大学吉田キャンパスで、防災・危機管理についてのささやかな勉強会があった。
20名ほどの勉強会であるが、2~3ヶ月に一度開催される、かなり濃いぃ勉強会。

行政の風水害対応と、行政によるメディアへの情報提供and/orそれを受けたメディアの役割、
NBC対応DIGを仕掛けるにあたってのポイント、等々、
防災・危機管理に関心のない方々には単なる「マニアックな集団」であろうが、
こういう、刺激的な場が与えられているということは、本当に嬉しい。

静岡から京都に向かう旅の途中、『近代消防』に連載中の原稿を書いていた。
連載も2年目に入る。現在執筆中のテーマは、「やはり、継続は力なり」と。

京都の研究会は、今回で5回目。概ね定期的に開催出来ている。
静岡県地震防災センターで行っている「ふじのくにDIGセミナー」は、
毎月第2土曜日開催で、4年目に入った。
先週土曜日、本学(常葉大学富士キャンパス/旧称:富士常葉大学)で始めた「富士市DIGセミナー」も、
「始めたからには5年は続けないと!」であり、毎月第3土曜日には他の仕事は入れないようにした。

定期的にセミナーを開催していく中で、固定客も出てくるだろうし、
噂を聞きつけて顔を出す人もいるだろう。
特にDIGのように、ファシリテーターの腕次第で天と地ほどの差が出るノウハウについては、
定例開催をして、で、何回も顔を出してもらうようにして、ノウハウの伝授を図るしかあるまい。

まぁ、そんなこんなを、西に向かう酔客は、考えていたりしたのでした。