「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

常磐道・守谷SAのフードコートで、今回の東日本大震災被災地踏破を振り返る

2015-05-05 22:19:58 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
当初は6泊7日の予定が10泊11日と思わぬ長さになってしまったが、
今回の東日本大震災被災地踏破も終わりが近づいている。

静岡・富士の仮寓に戻るにはまだ200kmほど残っているが、
夕食と休憩、さらにブログ更新をすべく、ご縁をいただいている守谷SAに立ち寄ることにした。

GWはあと1日を残している今日5月5日だが、ここ守谷のにぎわいは、
21時を過ぎてもフードコートで空席がみつからない、というのだから、大したもの。

このフードコートは、いざ首都圏で大規模地震が発生した場合には、支援部隊の作戦室として使うべく、
いろいろなことが出来るようになっているのだ、ということは、
遅い夕食中のお客さまのほとんどは知るまい。
「旅の坊主」は、このプロジェクトに多少なりとも貢献したのだよ、と、
一人静かに悦に入っているが、それはまぁ単なる自慢なので放っておくこととして……。

現場に入れば入るだけ学びが出来る。
この旅の間にも、これから先の自らの指針となるような、幾つもの想を得ることが出来た。

その一つが、守谷SAのフードコートにいるからなおさら考えさせられるのだろうが、
「にぎわい」というもの、だった。
より正しくは、「にぎわい」「なりわい」「子どもたちの遊び声」の3つ。

最終日の今日、旅の仲間が出来た。
20年以上の長きにわたりご厚誼をいただいている、東京医大看護学部の山崎達枝さん。
災害看護の世界のスーパービッグネーム。

朝、いわき駅にお迎えに行き、夕方同じいわき駅までお送りしてきたのだが、
その山崎さんと、福島第一原発事故による帰宅困難区域とその周辺を1日かけて見てきた。

往路の北上時に国道6号を通り、復路の南下時には常磐道を通る。
で、いやでも、帰宅困難区域ゆえのゴーストタウンと化した様が目に入る。
人の代わりに、黒の1トン土のうだけは飽きるほど目に入る。

「にぎわい」等々なくして、復興はあり得ない。
「にぎわい」があれば、そこで日銭が動く訳で、「ないわい」が成立し得る余地も出てくる。
しかし、除染にメドが立ったところで、人々は戻ってくるのか?
(そもそも除染の具体的内容とは何かも議論になったが、それはさておいておく。)
「にぎわい」はもう一度生まれるのか。「なりわい」ももう一度成り立つようになるのか。
子どもたちは戻ってくるのか。

いずれにしても絶望的な状況の中、ということは、ムダ金に終わる可能性が極めて高い中、
「除染」なる作業だけは展開されている。

BやCであれば無害化の方法もあるが、Nについては時間による解決を待つしかない。
除染ではなく単なる移動に過ぎないことは、関係者であれば誰でも理解しているはず。
しかも、雨が降り風が吹けば元に戻っていく訳で……。
「賽の河原の石積み」とはこういうことを言うのか、と、思わざるを得ない……。

だが、あるいはだからこそ、現場を見た者が伝えなくては、との思いも新たに出来た。
山崎さん曰く、「このことを伝えた時、80人に1人ではさびしいけれど、2人が動いてくれれば」、と。
「旅の坊主」もさっそく来週月曜、メッセージを伝えてみたいと思う。

伝えることにより、何かを考えてもらえれば、また、現場を訪ねてみよう、人と会ってみよう、
そういう気になってくれれば、「にぎわい」も含めて次の展開が生まれる、かもしれない。

旅の途中、段ボールに3箱分の本を買った。
東日本大震災について、また福島原発事故について、それなりに本も買い、読んでいるつもりだが、
現地の本屋を巡れば「まだこれも目を通していなかった!」「こんなテーマで本が出ていたのか!」というものばかり。
「積読」になるのは半ば織り込み済みではあるものの、それでも、本は買った。

旅の後処理は、撮った動画をyoutubeにアップすること、だろう。
残念ながら「旅の坊主」のITセンスは同年代に比べてかなり低いほうで、
まともにyoutubeのアップすら出来ないという状況。
アカウントを取って、で、しっかりと説明文も書いて、で、アップすることで、
多少なりともモノを考える人が増えて、そして、東北に足を運んでもらえれば、と。

旅の途中お世話になった方々に感謝しつつ、これをアップしたらあと200kmほど走ろう。
明日は(連休の最終日なれど)学生との昼食が待っている。日常に戻らなくては、です。