「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

防災学とは何だろうか(その3)

2014-12-27 23:24:16 | 防災学
先週の四日市でのセミナーでは、防災の基本的な考え方として、以下を示した。

自然を知り、人間社会を知り、そして考える
「リスクと共にどう生きるべきか」

元々は、中米広域災害能力向上プロジェクト(プロジェクトBOSAI)に派遣されていた時、
作った英語・スペイン語入り混じりのPPT。
それゆえ、日本で示すのには多少躊躇する時もあるのだが、
改めて「防災の原点は何か?」を考え、提示してみようとする時、
「旅の坊主」が戻るべきは、やはりこのコンセプトとなる。

自然の摂理を知ること、あるいは自然に対して畏敬の念を持つこと。
防災の出発点は、やはりここだろう。
その意味において、防災学には、自然を学ぶことと本質的に共通点がある

といっても、宇宙の真理を追究する、までのレベルは求めていない。
「北京の蝶が羽ばたくと……」のレベルも不要。でも、

「山は安定を求めて崩れていく」

「流れるものは高いところから低いところへと流れる」

「海溝型地震の発生には周期性が期待できる」

「火山には素直な火山と素直でない火山がある」

「V字型の湾では津波は駆け上がる」

「津波のシミュレーションは、海底に生じる段差を決めれば確度の高いシミュレーションは可能。
しかし、海底に地形変化がどう生じるかの予測は実質的に不可能なのでシミュレーションの精度は当然に落ちる。」

「地盤がゆるいと揺れやすい」(注1、注2)

程度のことは、出発点にしたい。
(うーん、かなりのレベル差があることは否めない、か……。)

(注1 ただし液状化が起これば天然の免震層になるので揺れは小さく伝わる)」
(注2 ただし液状化が起これば不動沈下の可能性はあるので建物が無事で済むと期待すべきではない)

ともあれ、これらのことを出発点とした上で、
そのような国土の上で、どうやれば、災害リスクの少ない生活を営むことが出来るか。

工学的な手法により、外力への抵抗力を高めるというのも、その一つ。
典型例は、耐震性の向上。より高く頑丈な防潮堤作りもそう。
擁壁のコンクリートコーティングも、この類となろう。
排水能力の向上は、抵抗力というよりも対応力の言葉が相応しかろうが、
これも工学的手法によるもの。

あるいは、
リスクの発生源からの距離を置くというのも、その一つ。高台移転はこの類。
日本では原発立地を除いて制度化されていないが、
(少なくても確認できている)活断層から一定の距離には建物を建てさせない、
というのも、その類。
土砂災害系の議論も、基本的にこの類となる。
これがしっかり制度化されていたならば、この夏の広島での惨事はなかった。

こういう、そもそも論に近い話を、過去の学問の系譜に位置づける形で体系性する、ということ。
これらにより、「予防に勝る防災なし」の理想をしっかりと掲げるということ。

まずは、この辺りが三本柱の一つ、ということになるのかな。

防災学とは何だろうか(その2)

2014-12-26 23:55:20 | 防災学
12月26日。この日は2004年にインド洋大津波が発生した日。

スマトラ島の北西端バンダアチェに入ったのは翌2005年2月下旬のことだったが、
文字通り言葉を失ったことを覚えている。
それから6年3ヶ月後、東北地方の太平洋沿岸が同じような状況になるとは、
その時は思ってもいなかったが……。

それにしても、あれから10年も経ってしまったとは、まったく思えないような、
時間の流れの速さであった……。

たまたま見ていたNHKの21時のニュース。
今年の最後の放送だった、ということもあるのかもしれないが、
また、こちらが防災の目で見ていたからもしれないが、
本当に防災についてのプログラムが多かった。
広島での土砂災害、山梨の豪雪災害、三陸鉄道再開、
そしてインド洋大津波のバンダアチェやタイ・プーケットからの映像……。

現象としての災害は、東日本大震災以降の、受け取る側の感度向上もあろうが、
今日を生きる我々にとって、不幸なことだが、より身近なものになってきている。

そして被害の大半は、ちょっとした知識があれば避けられたもの。
私達防災学に携わっている者は、私達の中では常識だが、世の常識にはなっていないもの、
あるいは、世にはびこっている間違った常識を修正するため何ができるのか、
もっと効率的な方法に取り組まなくてはならないのだろう、と、改めて思う。

自然には勝てないし、勝てると思ってもいけない。
それは21世紀の日本においても、基本的なスタンスとして持ち続けなければならないだろう。

リスクをゼロにすることも出来ない。
原理的には、しかるべき額を投入できれば、実質的にはリスクをほぼゼロにすることは可能。
しかし、そのような財政投入が出来ないがゆえに、実質的なリスクゼロ生活は厳しい。
という訳で、先日の四日市での話ではないが「リスクとの共生を学ぶ」のが
防災学の基本的な目的となる。言葉をかえれば、自然との共生とも言える。

日本で防災学を考える際、幾つかの不幸があったと思っている。
その一つは、自然を理解することと、その自然と共生する方法を理解することは、違うということを、
しっかり使い分けられなかったこと。

地震や津波のメカニズムを理解しても、地震や津波のリスクと共生する方法を理解したことには、
実はならないのだ。少なくても、両者の間には、かなりのギャップがあり、
独力でそのギャップを理解し、かつ、それを乗り越えられる者は、かなりの少数派にならざるを得ない。

そして、前者については多くの教科書のページが割かれていても、
後者についてはほとんど知られておらず、また、教えられてもいない。
やられているのは、防災訓練という名の避難訓練。

こういうような、そもそも論まで立ち戻った上で、
防災学とは何か、リスクとの共生を学ぶとはどういうことか、
誰かが、説いていかなくてはいけなかったのだろう……。

これから先、「旅の坊主」は何をなすべきか。
これから先の10年なり20年なりを考える、そんな冬休みになりつつある。

防災学とは何だろうか

2014-12-25 23:08:49 | 地域防災
冬休みの徒然に、という訳でもないが、防災学とは何なのか、少しメモをしてみる。

本来であれば、15年くらい前に、一冊の本になっていてしかるべきもの。
まぁ、それの著者が誰なのかはさておくとして。
そんなに時間をかけずに、5つくらいの論点は出すことが出来た。

◎基本は、自然理解の上に社会のあり方と問うというもの、であろう。
自然の摂理にかなった暮らし方をしていれば、自然もさほど過酷ではあるまい。
それこそ、つい先日、ある方の書き込みにはっとさせられたのは、
「1000年に一度の波が来る範囲までも海と心得るならば」との一節。
山が崩れるのも自然の摂理。揺れやすい場所と揺れにくい場所が共存するのも自然の摂理。
力技で自然をねじ伏せるのではなく、まずは自然を理解し、それにあった生き方をする。
その謙虚さがなければ、防災を学んでいるとは言えまい。

◎大別すれば、予防、応急、復旧+復興の3段階。それぞれにサブフィールドあり。
自衛隊の災害派遣を考えることから防災の世界に入っていった「旅の坊主」であるが、
幸いなことに、比較的早い時期に(といっても三十代半ば過ぎのことだが)
「災害対応に防災の本質なし」ということは見抜くことが出来た。
災害対応(応急)はあくまで防災のサブフィールドの一つと考えなければ、
あるべき防災学の姿は見えてこないもの、なのだろう。

◎「この国のかたち」を問う
あるべき防災学は、どこか、あるべき政治学に通じるものがあるのではないか。
それも、政治現象を語るような政治学ではなく、時代遅れとみなされるだろうが、
あるべき社会の姿を語ろうという意味での「政治哲学の叙事詩的伝統」に近い。
「この国のかたち」には、どのようなものが相応しいのか。
コンクリートに囲まれた海岸線が相応しいのか、
ピカピカのゴーストタウンが相応しいのか(奥尻島の復興から学ぶべきものは多かろう)、
自然は時に荒れ狂うものとして、住家や都市はそれらからしかるべき距離を取る、
そのような「国のかたち」を語るようなものであってほしいと思うのだが。

◎租税による誘導、強制力ある土地利用規制、強制力ある建物利用規制
途上国で生活した者であれば誰でも感じることであろうが、
世の中には、誰も守らない制度など、幾らでもある。
現実を無視した理想的な制度作りは、時に何ももたらさない。
現実的な「まぁ、そうだよねぇ」というところを意識しつつ
(成文化された常識、としての法律の、まさにさじ加減の妙、なのだろうが)、
そのボトムラインは達成できるように、時には強制力の行使も厭わない、
その辺りが、求められているのだろうと思う。
(旅行サイトのチェック欄に、耐震性あるホテル・旅館というチェックボックスを作るのは、
いとも容易いことなのだ。業界には辛いことだが、社会的には正しい。)
公権力行使でないとしても、ビジネス上の安全・安心確保も、時に圧力となる。

◎現場で役に立ってナンボ。
国をあげての課題が2つ。首都直下地震と、駿河トラフ・南海トラフの巨大地震。
そこまでではないが、幾つかの都市直下型地震への対応策検討も重要。
「降ればどしゃぶり」傾向が強まる中での、土砂災害対策も急務だが、
まず取り組むべきは、避難情報等のソフト対策ではなく、立地へのこだわり、だろう。
これらを含めて、現場に役に立つコンセプトなりノウハウを提供してナンボ。

これら、そしてこれらに類する多くの論点を包含しつつ、
どのような体系化を図るのか。そして、既存の学問体系とどのような連接を維持するのか。

学問の体系化など、たかだか15年かそこらの歴史しかもたない学問分野には荷の重い話だが、
それでも、防災学、あるいは環境防災学は、21世紀の日本に相応しい学問。
これを形にせずには、何のためにこの道に進んだものやら、ということに、なるのだろう。

シングルベル

2014-12-24 23:54:27 | 日常の一コマ
4年前、2010年のクリスマスイヴは、
中米・エルサルバドルの首都サンサルバドルで過ごしていた。
四半世紀来の念願がかない、JICA(国際協力機構)の中米広域防災能力プロジェクト、
通称「プロジェクトBOSAI」の長期派遣専門家として滞在中のこと。

赴任から3ヶ月余が過ぎ、少しは状況がわかっていたつもりだが、
クリスマス&年末年始の休暇、ごろごろすることはあっても、
なにか生産的なことが出来ていたような、そんな記憶はなかった。

そんな中、会津出身の看護師さんが言い出しっぺになり、
家族帯同でなかった者に声をかけて下さり、飲み会を設定して下さった。
その時のお誘いメールのタイトルが「シングルベル」。
今思い返してみても、味あるネーミングだなぁ、と思っている。

彼の地では、この日は、家族や友人と自宅で過ごす日、らしい。
その分、ホームパーティーが大はやり。
ついでに言えば、日付が変わる前後は、街中いたるところから花火が打ち上げられ、
光と音、そして意外なほどの硝煙の臭いに満ちていた。

何を語ったのか、もう半ばは忘れてしまったが、
でも、そのような場を作って下さった人がいたこと、
そのような時間を共に過ごしてくれた仲間がいたこと、
そのことはずっと忘れないだろう。
東日本大震災が起こる前の、まだ、どこか、のんびりしていた時だったように思う。

翻って、今日は多くの方が、家族や友人と集い、語らっていることと思う。
ゼミ生の一人は、福島の仮設住宅に、クリスマス・パーティーの出前のために趣いている。

年にこの日一日くらい、なかなか会うことの出来ない仲間たちに思いを馳せる、
そんな日があってしかるべきなのだろうなぁ、と、
病み上がりの身で一人酒をしながら、ふと思ったりするのであった。

ともあれ、Merry Christmas!

防災学はどこへ向かう?

2014-12-23 23:50:38 | 地域防災
ありがたいことに、年末年始に少しまとまった休みをとることが出来る。

休みの初っ端は、それまでの疲れがたまったのか、ベッドの中でとなってしまったが、
ここからしばらく、自分で仕事を調整できる時間が続く。
となれば、普段、なかなか考えられないことも、少しはしっかり考えなければ、と。

未だすっきりしない頭ゆえ、ネタは昨日の拙ブログからもらうこととしよう。
日本の防災学は、どこへ向かうのだろう。

土曜日の四日市の「山本組」の方々との議論、また、日曜日の黒田裕子さんを偲ぶ会への出席者を見て、
どういうメンバーが、これから先、日本の防災学を導いていくのか、考えさせられた。

学問のための学問をやられている方には、がんばって下さい、と言うしかない。
また、まだあと数年は防災でお金が取れるだろうから、自分の分野に何らかの形で防災を当てはめ、
研究テーマを作っている方にも、がんばって下さいね、と言うしかない。
現場で役に立ってナンボだが、同時に、裾野が広がらなければ高いものは出来ない。
一人でも多くの人が関心を持ってもらえるならば、というので、質は問うまい、との思いはある。
まぁ、それはそれとして。

現場があってナンボ。被災者に寄り添ってナンボ。本当の学びは現場にしかない。
それを実践している、かつ、分野横断的な者として、誰の顔と名前が思い浮かぶのか。
また、その体系はどのようなものになるのだろうか。

社会科学系で防災を語れる者は、本当に少ない。
ただ、残念ながら、そのことを本学で嘆いても、声は虚しく消えていくだけ。

かといって、実践の場で学問的体型性を語っても、これまた虚しくなる。
防災ボランティアしかり、○○士とかいう資格ビジネスしかり。

一人で研究活動を続けていく中で、歴史学の中に災害研究というサブフィールドを位置づけた、
北原糸子先生のような方もおられる。

己の学問的背景は一体何なのか。そして、その学問的系譜のどの部分に、
実践に役立ってナンボという防災を、どう位置づけるのか。
小手先のノウハウ集の集大成とは質的に異なる、アカデミックな体型性をもつもの。

約2週間の年末年始休暇の間、そんなメモを作りつつ、過ごすことになりそうである。