先週の四日市でのセミナーでは、防災の基本的な考え方として、以下を示した。
自然を知り、人間社会を知り、そして考える
「リスクと共にどう生きるべきか」
元々は、中米広域災害能力向上プロジェクト(プロジェクトBOSAI)に派遣されていた時、
作った英語・スペイン語入り混じりのPPT。
それゆえ、日本で示すのには多少躊躇する時もあるのだが、
改めて「防災の原点は何か?」を考え、提示してみようとする時、
「旅の坊主」が戻るべきは、やはりこのコンセプトとなる。
自然の摂理を知ること、あるいは自然に対して畏敬の念を持つこと。
防災の出発点は、やはりここだろう。
その意味において、防災学には、自然を学ぶことと本質的に共通点がある
といっても、宇宙の真理を追究する、までのレベルは求めていない。
「北京の蝶が羽ばたくと……」のレベルも不要。でも、
「山は安定を求めて崩れていく」
「流れるものは高いところから低いところへと流れる」
「海溝型地震の発生には周期性が期待できる」
「火山には素直な火山と素直でない火山がある」
「V字型の湾では津波は駆け上がる」
「津波のシミュレーションは、海底に生じる段差を決めれば確度の高いシミュレーションは可能。
しかし、海底に地形変化がどう生じるかの予測は実質的に不可能なのでシミュレーションの精度は当然に落ちる。」
「地盤がゆるいと揺れやすい」(注1、注2)
程度のことは、出発点にしたい。
(うーん、かなりのレベル差があることは否めない、か……。)
(注1 ただし液状化が起これば天然の免震層になるので揺れは小さく伝わる)」
(注2 ただし液状化が起これば不動沈下の可能性はあるので建物が無事で済むと期待すべきではない)
ともあれ、これらのことを出発点とした上で、
そのような国土の上で、どうやれば、災害リスクの少ない生活を営むことが出来るか。
工学的な手法により、外力への抵抗力を高めるというのも、その一つ。
典型例は、耐震性の向上。より高く頑丈な防潮堤作りもそう。
擁壁のコンクリートコーティングも、この類となろう。
排水能力の向上は、抵抗力というよりも対応力の言葉が相応しかろうが、
これも工学的手法によるもの。
あるいは、
リスクの発生源からの距離を置くというのも、その一つ。高台移転はこの類。
日本では原発立地を除いて制度化されていないが、
(少なくても確認できている)活断層から一定の距離には建物を建てさせない、
というのも、その類。
土砂災害系の議論も、基本的にこの類となる。
これがしっかり制度化されていたならば、この夏の広島での惨事はなかった。
こういう、そもそも論に近い話を、過去の学問の系譜に位置づける形で体系性する、ということ。
これらにより、「予防に勝る防災なし」の理想をしっかりと掲げるということ。
まずは、この辺りが三本柱の一つ、ということになるのかな。
自然を知り、人間社会を知り、そして考える
「リスクと共にどう生きるべきか」
元々は、中米広域災害能力向上プロジェクト(プロジェクトBOSAI)に派遣されていた時、
作った英語・スペイン語入り混じりのPPT。
それゆえ、日本で示すのには多少躊躇する時もあるのだが、
改めて「防災の原点は何か?」を考え、提示してみようとする時、
「旅の坊主」が戻るべきは、やはりこのコンセプトとなる。
自然の摂理を知ること、あるいは自然に対して畏敬の念を持つこと。
防災の出発点は、やはりここだろう。
その意味において、防災学には、自然を学ぶことと本質的に共通点がある
といっても、宇宙の真理を追究する、までのレベルは求めていない。
「北京の蝶が羽ばたくと……」のレベルも不要。でも、
「山は安定を求めて崩れていく」
「流れるものは高いところから低いところへと流れる」
「海溝型地震の発生には周期性が期待できる」
「火山には素直な火山と素直でない火山がある」
「V字型の湾では津波は駆け上がる」
「津波のシミュレーションは、海底に生じる段差を決めれば確度の高いシミュレーションは可能。
しかし、海底に地形変化がどう生じるかの予測は実質的に不可能なのでシミュレーションの精度は当然に落ちる。」
「地盤がゆるいと揺れやすい」(注1、注2)
程度のことは、出発点にしたい。
(うーん、かなりのレベル差があることは否めない、か……。)
(注1 ただし液状化が起これば天然の免震層になるので揺れは小さく伝わる)」
(注2 ただし液状化が起これば不動沈下の可能性はあるので建物が無事で済むと期待すべきではない)
ともあれ、これらのことを出発点とした上で、
そのような国土の上で、どうやれば、災害リスクの少ない生活を営むことが出来るか。
工学的な手法により、外力への抵抗力を高めるというのも、その一つ。
典型例は、耐震性の向上。より高く頑丈な防潮堤作りもそう。
擁壁のコンクリートコーティングも、この類となろう。
排水能力の向上は、抵抗力というよりも対応力の言葉が相応しかろうが、
これも工学的手法によるもの。
あるいは、
リスクの発生源からの距離を置くというのも、その一つ。高台移転はこの類。
日本では原発立地を除いて制度化されていないが、
(少なくても確認できている)活断層から一定の距離には建物を建てさせない、
というのも、その類。
土砂災害系の議論も、基本的にこの類となる。
これがしっかり制度化されていたならば、この夏の広島での惨事はなかった。
こういう、そもそも論に近い話を、過去の学問の系譜に位置づける形で体系性する、ということ。
これらにより、「予防に勝る防災なし」の理想をしっかりと掲げるということ。
まずは、この辺りが三本柱の一つ、ということになるのかな。