「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

総選挙終わる

2014-12-14 23:35:13 | 日常の一コマ
総選挙が終わった。

選挙期間は政治的な発言は慎むべきであろう、と、自分に言い聞かせていた。
選挙の現実は、そんな「お行儀」とは関係ないのに、との声も聞こえてきそうだが。

「この国の形」が問われていたはずの総選挙。
何が争点だったのか、結局わからずしまいで終わってしまった。
アベノミクス選挙?アベノミクスって何?三本の矢って何?「旅の坊主」の腑に落ちるものではない。

争点が何であろうとも、また、結果がすべて明らかになった訳ではないが、
結果から見れば、憲法改正も含めて、実質的な白紙委任をしたということになろう。

投票率は戦後最低の前回総選挙よりもさらに悪かった、とのこと。
それでも50%は超えたとのことだが、大学生の投票行動はどうだったのだろう。

さらに言えば、少なくても半数は選挙に行ったことになるが、
それだけ多くの人が白紙委任に賛同した、ということをどう解釈すべきなのだろうか。

小選挙区に必然の死票の多さを踏まえた戦略を立てきれなかった野党側の戦略ミスであり、
またその戦略を立てる時間的余裕のなさを見抜いて総選挙をしかけた、与党側の勝利ということなのだろうが。

世の中がどんどんきな臭い方向へと進んでいる。
前職で仕事を始めた時には「今さらドンパチの時代ではあるまい」という時代感覚だった。
そのころに比べて、よほど本気で、紛争にしないための方法を考えなくてはならない。
そんな時代に生きているように思う。

何より感じることは日本の没落。
若い世代の学びからの逃走は日々感じていることだが、豊かな中間層というのは、幻想だったのだろうか。

落ち目の社会であればこそ台頭する「不満を吸収する勢力」。
ナショナリズムは、モノを考えようとしない者が飛びつきやすい。
アベノミクスの正体は理解できないが、
豊かな中間層を作ろうではなく、大企業を優遇させようとしていることは理解できる。
(それはそれで一つの経済政策だとは思っている。「旅の坊主」は支持しないが。)
では、それに乗り損ねた者の鬱積したものはどこへ行く?

金持ち(具体例を示せば株を持つ余裕を持っている人)への配当を多くする政策と、
汗水たらしている者(具体例を示せば正社員を増やす&正社員の給与をあげる)への配当を多くする政策と、
十分意識した上での判断だったのかどうか、そこは大いに疑問だが、
前者を選んだ者が多かった、ということなのだろう、と思う。
自分はそのおこぼれに預かれる、そういう立場だと、多くの人が思ったのだろうか……。

守るべきものが出来れば、保守的にもなろうが、それが悪いとは思わない。
John LennonのImagineの歌詞ではないが、Living for Todayが人の世であり、
それを守るのが政治の仕事。

しかし、「正社員になりたい。」という声を反映します、という選挙CMが成り立っている現状を、
どのように受け止めればよいのだろう。
「アベノミクスの恩恵を津々浦々に普及させる」つまりは「雇用の拡大やベースアップはこれから」
という話は、原理的にありえない話をしているとしか思えないのだが……。

Living for Todayの思いが実現され得ない、と思い込んでしまった時、
ナショナリズム、あるいはスプラ・ナショナリズムがはびこるようになる。幻想を求めて。

(今の日本人は、2.26事件の背景をきれいに忘れてしまったのだろうか。)
(あるいは宗教かもしれない。20年近く前に何が起こったのか、私達は思い起こすべきだろう。)

これから4年(-α年)、与党を勝たせすぎたということが日本社会に何をもたらすのか、
それが怖い。

自分の教え子も含めて、若い世代が政治に関心を持たなくなったのは、なぜなのだろうか。
その点について、「旅の坊主」自身の課題としても、本気で考える必要がある、と思っている。

現実政治、というよりも、「大政治」に類する考え、
「この国の形」についての理念とか哲学とか、そういういうものなのだろうが、
そういうものが見えなくなっているから、なのだろう、とおぼろげながら思っている。
そしてそれゆえ、
(防災や環境、地方再生や首都一極集中の是正、豊かな中間層等々を含めた意味での)
「この国の形」を物語るのが「旅の坊主」の仕事なのだろう、とも思っているが。

十分に練った&寝かせた論考とは言い難いが、
総選挙の夜、選挙速報を聞きながら、こんなことを思っている。