「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

阪神淡路大震災から20年、何を学ぶべきか

2014-12-18 23:49:55 | 地域防災
消防・防災関係者向けの月刊誌『近代消防』。
今年の7月号(6月10日発売)から災害図上訓練DIGについての連載をしているが、
当然のことながらその締切がやってきている。

発売日が年明け10日であることを考えると、阪神淡路大震災以外のテーマはない。
表向きの締切は先週金曜日。それから一週間近く経つというのに、まだ、考え方がまとまらない。
とはいえ、なんとなく方向性は見えてきた。

武道の世界の言葉に「守破離」なるものがあると聞く。
その言葉を阪神淡路大震災と災害図上訓練DIGに当てはめ、ウンウンと考えていたのだが、
「型」と「危機感」、そして「思い」、この3つの言葉で、何とかまとめられるのではないか、と。

「型」とは、防災の基本、という意味。迷った時に帰るべき原点ということ。
防災の基本は、「まともな立地」と「まともな構造」。おまけは家具転倒防止。

基本の基本をおさえない限り、まともな防災論議が成り立つはずもない。
未だ「避難場所云々」が防災だと思い込んでいる「困ったチャン」が多いということは、
阪神淡路大震災の教訓を学んでいない人があまりに多い、ということなのかもしれないが。
それはそれとして。

武道の「破」は、何か新しいことに挑戦したいという思いであろうし、
あるいは、このままではいけない、という、直感のようなものではないだろうか。
「破」に「危機感」という言葉を当てたのは、
「このままではこの地域は危うい」という焦燥感、
また、今私が頑張れば、何かが変わるかもしれない、という、
良い意味での使命感、なのではないか、と思う。

その2つを通った後に見えてくるもの、それが「思い」ではないか、と。

地域防災の物語、という表現を最近よく使っているが、
地域防災への思い、あるいはその思いを物語るというのは、
「離」、すなわち、それぞれが別々のことを言っているように聞こえるだろうが、
その実、そこに込められた思い(あるいは物語)は、表現が違うだけで同じことを言っている、
そのようなものではないか、と、原稿書きにウンウン言いながら、何か見えたような気がした。

阪神淡路大震災最大の教訓は、お亡くなりになった方の圧倒的多数は自宅に殺された、ということ。
ということは、家の耐震性があってナンボ、ということを言わない限り、20年前の悲劇が、
今度は喜劇として(洒落にならないという意味ではあるのだが)繰り返されることになる。

眉間に皺を寄せて難しいことを言わざるを得ない時もあろう。
それが「破」であり「危機感」の現れではないか、とは思う。
ではあるが、いかに正しいことを言っていようと、
眉間に皺を寄せて声高にしゃべっている人の周りに人が集まるかと問われるならば、
「我が身に起こる不幸は考えない」人の性からすれば、「敬して遠ざける」なのだろうなぁ、と。

でも、それらを乗り越えたならば、
地域防災を正面から扱わずとも、声高に語らずとも、
とつとつとした語りの中に、思いを込められるようになるのではないか。
それが「離」であり、「物語」ではないか、と。

何か、そのように思うようになった。

さてさて、これくらいの原稿ができていれば、明日昼までに4000字は何とかなるかな(^^;;;