いろいろあって、ブログ更新が滞ってしまっていた。
体育の日に絡む三連休ということもあり、ここ半月ほどを振り返りつつ、掟破りのバックデータ中。
(小学生の時の夏休みの時にもこんなことがあったような、という遠い記憶もある。
やることに進歩がない、ということか……。)
まずは9月22日、この日の行動は鮮明に覚えている。
発災から10日余が過ぎてのものではあったが、常総市の鬼怒川決壊現場を見るべく、
地域安全学会顧問・災害対策研究会代表の宮本英治さんと、
東京医科大学医学部看護学科の山達枝先生、知る人ぞ知るご両所に声をかけさせていただいた。
で、ご両所と守谷駅(つくばエクスプレス・常総鉄道)で待ち合わせをすべく
静岡・富士を愛車プラドで発ったのは、まだ暗いうち。
途中、適当に休みつつも予定の9時半には十分な余裕をもって現着、
守谷駅北口の駐車場で多少うとうとするくらいのことは出来た。
お二方と合流後、やはりまずは破堤現場に行こう、ということになり、
国道294号・県道357号(谷和原筑西線)経由常総市三坂町の破堤現場へ。
破堤現場直近は堤防建設工事の現場でもあるため、さすがに入るのがはばかられたが、
その近辺は警戒線もなく、東側にゆっくり時間を使ってみることが出来た。
空撮写真があれば鮮明に理解できるのだが、破堤部から風船のように流出物が広がっている。
堆積した砂状のものの上を歩きつつ、雰囲気に浸るという、いつものパターン。
「奇跡のへーベルハウス」かどうかは知らないが、
一階が破壊され二階と屋根のみとなった日本家屋が、へーベルハウスにひっかかっている、
その様は、まさに家屋の構造(要するに頑丈さ)が明暗を分けた様を示している。
ただ、生き残ったかに見えたへーベルハウスではあるが、本体と基礎は生き残ったようだが、
木曽のさらに下の部分が流出していることが危惧された。
そこまで確認しない限りは、「良かったね」とは言えない状況なのだが、
そこまで確認することは、さすがにはばかられた。
車に戻り、再び県道357号を北上、同市若宮戸の越堤場所まで行き、
ただ、この場所では適当な駐車スペースがなく、車窓より現地を確認しただけだった。
国道294号という、南北に長い浸水部分の中央部を縦断する道路沿いは典型的な水田地帯。
水稲は、3日間72時間程度であれば、水の下にあっても何とかなる植物なのだそうだが、
さすがにそれより長くなると、腐って行ってしまうものなのだそうな。
一部の水田はすでに稲刈りが行われ、農協の直売所では収穫したばかりの新米も売られていた。
(もちろん、浸水した直売所を必死に掃除し物販の場所に相応しいレベルまで持って行ったということ)
せめてもの応援ということで、新米も含めて多少の買い物。
現場を見ると、いろいろな思いが湧いてくるが、
旅の仲間に恵まれていることは大変ありがたい、と思っている。
この日は昼食後、常総市を離れ、さらに南東方面に行ったのだが、そのことについては続きにて。
なお、この日の現地踏破にあたっては、災害対策本部、避難所、ボランティアセンターへの訪問は遠慮した。
仲間達が活動しているのだろうなぁ、とは思いつつ、両目をつぶりました。
気にはしていたのですけれど……、ごめんなさいでした。一応、触れておきます。
(10月11日記す)
体育の日に絡む三連休ということもあり、ここ半月ほどを振り返りつつ、掟破りのバックデータ中。
(小学生の時の夏休みの時にもこんなことがあったような、という遠い記憶もある。
やることに進歩がない、ということか……。)
まずは9月22日、この日の行動は鮮明に覚えている。
発災から10日余が過ぎてのものではあったが、常総市の鬼怒川決壊現場を見るべく、
地域安全学会顧問・災害対策研究会代表の宮本英治さんと、
東京医科大学医学部看護学科の山達枝先生、知る人ぞ知るご両所に声をかけさせていただいた。
で、ご両所と守谷駅(つくばエクスプレス・常総鉄道)で待ち合わせをすべく
静岡・富士を愛車プラドで発ったのは、まだ暗いうち。
途中、適当に休みつつも予定の9時半には十分な余裕をもって現着、
守谷駅北口の駐車場で多少うとうとするくらいのことは出来た。
お二方と合流後、やはりまずは破堤現場に行こう、ということになり、
国道294号・県道357号(谷和原筑西線)経由常総市三坂町の破堤現場へ。
破堤現場直近は堤防建設工事の現場でもあるため、さすがに入るのがはばかられたが、
その近辺は警戒線もなく、東側にゆっくり時間を使ってみることが出来た。
空撮写真があれば鮮明に理解できるのだが、破堤部から風船のように流出物が広がっている。
堆積した砂状のものの上を歩きつつ、雰囲気に浸るという、いつものパターン。
「奇跡のへーベルハウス」かどうかは知らないが、
一階が破壊され二階と屋根のみとなった日本家屋が、へーベルハウスにひっかかっている、
その様は、まさに家屋の構造(要するに頑丈さ)が明暗を分けた様を示している。
ただ、生き残ったかに見えたへーベルハウスではあるが、本体と基礎は生き残ったようだが、
木曽のさらに下の部分が流出していることが危惧された。
そこまで確認しない限りは、「良かったね」とは言えない状況なのだが、
そこまで確認することは、さすがにはばかられた。
車に戻り、再び県道357号を北上、同市若宮戸の越堤場所まで行き、
ただ、この場所では適当な駐車スペースがなく、車窓より現地を確認しただけだった。
国道294号という、南北に長い浸水部分の中央部を縦断する道路沿いは典型的な水田地帯。
水稲は、3日間72時間程度であれば、水の下にあっても何とかなる植物なのだそうだが、
さすがにそれより長くなると、腐って行ってしまうものなのだそうな。
一部の水田はすでに稲刈りが行われ、農協の直売所では収穫したばかりの新米も売られていた。
(もちろん、浸水した直売所を必死に掃除し物販の場所に相応しいレベルまで持って行ったということ)
せめてもの応援ということで、新米も含めて多少の買い物。
現場を見ると、いろいろな思いが湧いてくるが、
旅の仲間に恵まれていることは大変ありがたい、と思っている。
この日は昼食後、常総市を離れ、さらに南東方面に行ったのだが、そのことについては続きにて。
なお、この日の現地踏破にあたっては、災害対策本部、避難所、ボランティアセンターへの訪問は遠慮した。
仲間達が活動しているのだろうなぁ、とは思いつつ、両目をつぶりました。
気にはしていたのですけれど……、ごめんなさいでした。一応、触れておきます。
(10月11日記す)
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