「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

常総市の現地調査にあたり考えたこと

2015-09-21 23:53:20 | 現地調査
ブログでバックデータは掟破りと知りつつ、この日は何をしていたか、と、
思い出しながら日記を書いている。ようやく山を越え、少し落ち着いてきた感あり。

シルバーウィーク中は、ありがたいことに頼まれ仕事もなく、
かつ、9月24日(木)が、前期期間中の7月20日(海の日)の振り替え休日で講義がなく、
そのおかげで5連休となっていた。

この間の9月22日(火)、静岡発・静岡着の日帰りではあるが、常総市の現地に入るべく、
前日であるこの日9月21日は、多少の段取りを考えていた。

静岡から現地までの移動に片道3時間近くかかるが、
現地でレンタカーを借りるのではなく、やはりプラドで行くのがよかろう、というので車両は決定。
現地の地図はいつもの昭文社の県別道路地図を購入。あぜ道級のかなり細い道も網羅されており、
これとカーナビで地図系は十分であろう。

このGWの東日本大震災現地踏破に当たり、プラドにはドライビング・レコーダーを取り付けた。
ただGPS等との連携が良くわかっておらず(IT系の弱さが露呈してしまうところ……)、
記憶には残るがGIS上での記録としては示せない(示し方がわからない、が正しいな)、
そんな状況ではあるが……。

最近、災害毎の国土地理院の災害毎のデータが充実している。
今回も現場周辺のマクロな土地柄のイメージは、地理院のデータを活用させてもらった。

で、現地踏破に当たりもっとも重要と「旅の坊主」が考えているのが、
何をどのような視点から見るか、ということ。

実のところ、多くの場合、現地踏破といっても行き当たりばったりである。
現場勘はそれなりにあるつもりで、飛び込んでいけば概ねヒットしているので、
むしろ何も考えずに、というのが近いのかもしれない。
ただ、若干の後付けにもなるが、多分、こういうことをやりたかったのだろうなぁ、ということを、
後日まとめることになった『近代消防』連載の中では、こんなふうに己の行動を説明している。
(『近代消防』11月号は10月10日発売予定なので、以下の転載はご容赦を。)

*****

常総市の現場に入るに当たり考えていた3つのこと

筆者が現地に入る際、メディアでの報道や地図上での下調べ等から、
「ここを見ておきたい!」と目星をつけた上で入る側面と、
「現地が何かを語ってくれるであろう」ことを期待し、
「現地からのメッセージを受け止め損ねることのないように」と予見を持たずただ歩くだけ・車を走らせるだけという側面、
この両面があります。

重要なのは後者と思っています。
研究者であれば仮説の検証のために現地に赴くかもしれませんが、
こと防災については、被災現場は災害によって異なる訳で、
現場から得られる教訓も様々であり、それは行ってみなければわからないものなのですから。

とはいえ、(若干の「後付け」もありますが)今回常総市の現地に赴くに当たり、
確かめたいことが3つありました。
読者各位にすれば、毎度おなじみのセリフと思われるでしょうが、
「災害・被害をリアルにイメージできるか」
「立地に問題はなかったか」
「立地の問題を(建物等の)構造で補おうというのであればそれはどういうものか」といった話です。

ちなみに、これも読者各位にはおなじみのことと思いますが、
筆者は、行政の避難指示や避難勧告のタイミングを「ああだ、こうだ」いう類の議論にはほとんど関心がありません。
そこに防災・危機管理の本質がないからです。
防災の基本は予防であり、その基本は立地と構造です。
付け加えるならば、「フェイルセーフ・フールプルーフ」、
つまりは「(例えば避難指示を出すタイミングに)失敗しても大事には至らない」状況をどうやって作るか、
なのですから。

ともあれ、常総市に入る際に考えていた3つのことは、こんな感じで表現出来ると思います。

①この地域(常総市)の土地(の形状)は、普通の市民が、
破堤による洪水をリアルな脅威として感じられるようなものか。

②この地域の土地利用に、広島市安佐南区八木地区のように、
一目で問題ありというようなものがあるかどうか。
また逆に、正しい土地利用がなされていたならば、被害を予防(軽減)出来た可能性があるか。

③この地域に相応しい建物の構造はどのようなものか、

もちろん、たかが一回の現地踏破でこれらの問いへの答えが得られるなどとは思っていません。
ただ、この種の「軸」となる問いかけは、常に心にとどめておくべき、とは思っています。

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このような問題意識を抱きつつ、ただ、ボランティアとして汗を流すことは今回は「ごめんなさい」をして、
現地に赴いた、というのが、約2週間前のことだった。

(10月5日記す)


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