「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

Fight or Flight「戦うか、逃げるか」:学生と向き合うにあたって考えておくべきこと

2015-07-30 23:50:21 | 現地調査
今日木曜から前期も試験期間に入った。試験期間は来週水曜日までの一週間。
最終日夜にゼミ生と打ち上げを行った後、夏休みとなる。
学期中と休み中とに関係なく、いろいろな活動が入っている訳で、あまり大きな差は感じないが、
それでも、夏休みが間近になっていることは嬉しい。

それはそれとしても。
今期中、3年生が2人ゼミから去って行ったこと、そのことがどうにも気がかりである。

相当真剣に、学生とその将来に向き合ってきているつもりである。
その分、きついことも言う。だが、言った分だけ学生を伸ばしてきた手応えはある。
それでも、簡単に「折れました」とか言う者がいる。
追加の時間を作って対応しようとしても、そして来ると言っても、来ない者がいる。

それは「旅の坊主」からのメールの文面のせいか?
メールであれば、文意をしっかり示そうとする分、どうしてもきつくなる。
とすれば、電話で声を聞きながら応答しなかったことが問題だったのか?

「来る者拒まず、去る者おわず。」
去る者を追いかけ「首に縄をつけてでも……」、をするほど暇ではない。
去って行った2名に共通なことは、努力の質と量の絶対的な不足。
これは他のゼミ生にも、下級生の目にも明らか。
己を変えたくてこのゼミを選んだのではなかったのか?

先輩達は大変な努力を重ねたがゆえに、世間的に評価される企業や組織に就職できた。
その努力を促すためにかなり厳しいことも言ったが、彼らはそれに応えてくれた。

先輩達は、努力なしに、立派な就職先へと旅立てたと思っているのだろうか。
ゼミの雰囲気に飲まれそうになったとしても、その域に少しでも近づこうと、己を高めようとは思わなかったのか。

実社会に出て金を稼ぐということは、毎日毎日、様々なプレッシャーと戦うということを意味する。
ゼミでのプレッシャーなんぞ、実社会でのそれらに比べれば、
御花畑をわたるそよ風のようなもの、と思っているのだが……。

プレッシャーに直面した時、人は2種類の、どちらかの反応を示すのだそうな。
そんな話を、前々から聞いていた。

Fight or Flight「戦うか、逃げるか」

今期、3年生2名がゼミから去って行こうとしている現実を見て、
このfight or flightという言葉が、実感を持って理解できたように思っている。

それとも……。
プレッシャーをかけるとしても、相手を見つつ、flightが起きない範囲にとどめ、
少しずつ耐性をつけさせていくのがプロ、とでも言うのだろうか……。
であれば、教員稼業16年目の「旅の坊主」、相応以上の実績は出しているつもりだが、
それでもプロ失格、ということになるのだろうか……。

Fラン地方私大の本学である。
底辺校の本校にすら耐えられず、学びから去って行ったということは、
いわゆるサラリーマンのB階層にも到達することは出来ず、
遠からずC階層へと堕ちていき、そこから生涯浮かび上がってくることはない、
そのような人生を歩んで行ってしまうことになるのだろう。

質的にも量的にも絶対的に努力が足りない者ゆえ、詰まる所、自業自得、これは明白。

ただ、世の中には、努力をやりやすい環境と、そうでない環境があり、それゆえ、
それらの面への配慮なくして、単純に本人の努力不足を批判することは賢明ではない、
ということは、理解しているつもり。

それゆえ、少なくても小村ゼミは、努力をする者が集まる場でありたいと願い、
そのための雰囲気は作ってきたつもりである。
ただ、それでも……、ということ、なのだろう。

少しほろ苦いものをかみしめつつの、本年度前期の終盤であった。

去って行ったゼミ生は、いつかこのブログを見る時が来るのだろうか。
その時、ゼミ生はこのブログを、ゼミ担任の自己正当化と読むだろうか。

あるいは……。

「教育のパラドックス」なる考え方があると聞く。
学んでいる者にとって、ある程度学びが進むまで、状況によっては学びが終了するまで、
己が学んでいることの意味はわからない、というもの。
その時までに、小村ゼミ以外であろうとも学びを続け、その甲斐あって、
あの時は気付いていなかったのだ、と読んでくれるだろうか。


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