「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

匿名希望さんのコメントに

2014-11-07 14:59:35 | 防災訓練
コメント欄に返信すればよかったのだろうが、考え方を整理しているうちに少し長くなってしまった。
というので、ノルマ(?)を果たすという意味ではないが、ここにアップすることにする。

オリジナルのコメントは、志賀原発の総合防災訓練を茶番と批判した11月3日の書き込みへのもの。
「よくわかんない例えが多くて何が問題なのかよくわからんかった。」という、短文ではあるのだが。

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お名前がありませんでしたが、コメントありがとうございました。

ことはそんなに難しい話ではないのです。
東日本大震災における福島第一原発の事故を目の当りにした私達日本人は、
原発は事故を起こすものだ、ということを、十分理解したはずです。
であればこそ、「起きてもらっては困ることは考えない」という意味での想定外から卒業して、
「実際に起こったことは再び三度起こり得る」とした上で、
本気で問題点を洗い出す訓練が必要なはず、ということを言いたいだけなのです。

ただ、そのような「あるべき姿」からすれば、今回の志賀原発総合防災訓練は茶番劇であり、
『東京新聞』がとりあげた川内原発の避難計画も「よくぞまぁこんないい加減なものを出せたね」という
レベルの代物ではないか、という話です。

内田樹さんという方が書かれた『下流志向:学ばない子供たち、働かない若者たち』(講談社文庫)の中に、
若い世代には、意味がわからないことは、世の中に存在しないことにすることで、
心の平安を保とうというメカニズムが働いているのではないか、との主張があります。

都合の悪いことはないことにする、と言い換えてもよいかもしれません。
そして、弱い生き物の生き方としては、それもありなのだろう、とも言っています。
原典にあたっていないので、正確な引用ではありませんが。

若い世代に限らないことでしょう。
世の中の誰もが、わからないもの、都合の悪いものは存在しないものとして、
頭の外に追い出すようなことをしていくと、その先に待っているものは何か。

プロの端くれとして、そういう情けないことをする訳にはいかない訳で、
少しでも問題点を明らかにし、かつ、しかるべき対案も付けた上で、
主張すべきは主張しなくてはなるまい、と思っているところです。

原発事故に限らず、防災・危機管理について、
モノを考えるきっかけになってくれれば嬉しく思います。


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