「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

志賀原発総合防災訓練の茶番劇に思う(その4)

2014-11-05 20:18:51 | 防災訓練
今回の総合防災訓練は(今回の総合防災訓練も?)、展示訓練(≒ショー)と受け止めるべきなのか

約四半世紀前、防衛研究所の助手になったばかりの頃の話。
陸上自衛隊の富士総合火力展示演習を研修させてもらった際、同行した自衛官から、
「これは実際にはあり得ないこと。こんな作戦行動はしない。展示用なのだから。」
という主旨の話を聞かされ、愕然としたことがあった。

ではこの場は何のための場なのか、と自問自答しつつも、
だからわざわざ展示演習と断っていたのか、と妙に納得したことを思い出す。

では、今回の総合防災訓練(実働訓練)は、展示訓練と断った上で、
展示訓練をやった、ということだったのだろうか。

正しい意味での訓練、特に今回のような実働訓練とは、以下のようなものと理解している。

すなわち、

担当者が基礎的な技術(例えば測定器の使い方、除染の勘所等々)を習得済みであるという大前提の下
(注:中央政府との音声回線が切れていたのでこのレベルですでにアウトだが)、

①現実的かつ具体的な計画があり、
②その実践的計画を担当者は十分理解しており、
③地図上また机上での検討(注:抜け漏れがあっては困るがダブりは構わない)とそれによる計画案修正のサイクルを何度も回した上で、
④実際に人とモノを動かして、計画通りに動くかどうかを確認する。
 (もちろん問題点があれば計画を修正するというPDCAサイクルを回す。)

しかし、展示訓練には、このようなまともな検討は必要とされない。
幾つもの防災訓練が防災・危機管理のプロではなく、広告代理店によって仕切られていると聞く。
訓練が、問題点を明らかにしてPDCAサイクルをまわすため、ではなく、
いかに見せるかが問われているのあれば、納得できる話。

「展示演習すなわちショーだ」「これは実践的ではない」と、
訓練参加者も見学者も納得しているならば、それはそれで構わない。

航空祭にブルインが来てくれるならば見に行きたいと「旅の坊主」も思う。
現場に出てこない偉いさんに「あなたの部下はがんばっています」「あなたの手駒はかくかくしかじかです」
ということを示すことが目的であっても、それも構わない。

構わないのだが……。

では「ショー」ではない真の訓練はどこに?

原発避難の最中の人が死んだ。そのことは否定し難い事実。
だからこそ、その悲劇を二度と繰り返さないよう、どこが悪かったのかを確認した上で、
その教訓を踏まえた避難計画を作り、それを検証するのが訓練、だったのではなくて?
展示訓練で誤魔化す前に、プロならばやるべきことがあると思うのだが。

防災・危機管理を学ぶ良い方法の一つは過去問を解くこと、と教えられた。
「災害は進化する」と言われる訳で、本来であれば未来の災害の姿を先取りした上での対応を語るべきなのだろうが、
これは実は相当ハードルが高い、というか現実的にはほとんど不可能。

だから、もう少しレベルを下げて、せめて同じ轍を踏まないように、
同じことがあったらどう対応すれば良かったのかを学ぶ中で、
求められる対応フローのあり方を考えよう、というもの。

であるならば、3.11の時の原発避難をイメージしつつ、
志賀で同じ事態になったらどうすればよいのか。
そこを本気で議論しなくてはならないのに、と思うのだが。

先方にも、住民避難を含めた意味での防災・危機管理(この場合災害対応)のプロがいるはず。
茶番劇という評価は変わらないにしても、これらの疑問をぶつけることで、状況を少しでも良くしたい。
こちらもプロの端くれのつもり。そんな思い、先方は受け入れてくれるのだろうか。


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