「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

グズグズの「お祭り」準備から学ぶべきこと

2010-10-21 23:37:26 | DIG
7時半過ぎ、ホテルをチェックアウト。
道路沿いの食堂で簡単な朝食の後、
コバノまで2時間半の移動。

2年半前に、逆ルートを通ったことがある。
記憶は定かではないが、
それでも、その時に比べ、
相当道が良くなっているなぁ、と思った。
何せ行程のかなりの部分が舗装されている。

道は舗装されているもの、と思い込んでいるであろう、
本学の学生クンには理解できないかもしれないが、
途上国では未舗装道路も穴ぼこだらけの道路も、
驚くには値しない。
むしろ、しっかりとした舗装道路が続いているほうが、
よほど驚かされる。

ドライバーのRさんは4時間かかると言っていた行程。
早く着いたなぁ、というところであった。

30km圏内人口が6500人という、
ニコヤ半島の先端に近いコバノの街。
中心部にある交差点から四方に200mくらいに
町役場も診療所もスーパーもホテルも集中している。
最初にコスタリカを訪問した08年3月、
最初にワークショップを行った記念すべき町でもある。

2年半ぶりの再訪は、
JOCVのO隊員に迎えられた。
岡山市消防局からの現職参加
かつて、自主防災組織の立ち上げに携わった経験を、
途上国でも出来ないか、との思いから
青年海外協力隊員を志した、とのこと。

午前中は、近くのモンテスマ海岸に
プロジェクトの予算で作った看板を立てるとのこと。
サンホセからのCNE(セーエヌエー・国家災害緊急事態委員会)のメンバーが
11時半に着いてから作業開始、となったと聞き、
まずは近くの(前回に訪問時にも寄った)レストランで、
コーヒーを飲みながら待つことに。

待てども電話一つなし。
まぁ、その分、Oさんから、
いろいろと話を聞くことが出来たので、
これはこれで収穫であった。
結局、このレストランで昼食もとることに。

動き出したのは13時半から。
翌日のフェリア(祭りと考えてくれればよいだろう)の会場は、
コンクリートの打ちっぱなしに屋根をかぶせた、
町の体育館(運動場と呼ぶべきかな?)。

40kmほど離れたところから消防車が来てくれて
床面にこびりついた土を洗い流してくれる。
入口近くの水たまりに土を入れて足元を整備する。
学校の使い古なのだろうか、
子供用の木の机40ほどといす150余を持ち込んで並べ、
机には紙をはってテーブルクロス代わりにし、
暗幕をはり、掲示物用にロープを渡し、
体育館?運動場の1面だけは壁になっているので、
そこに掲示物を貼り……。

と書けばきびきびと動くさまをイメージするかもしれないが、
何とももどかしいくらいにダラダラと作業が進む。
段取り、とか、仕切り、という言葉は、
スペイン語にあるのだろうか、と思ったりもする。
というよりも、そういうものを必要とせずとも、
生活が出来ていた、ということなのだろうか……。

看板の設置もドタキャンとなり、
お祭りのデコレーションと化す。

結局のところ、
町のレストランが閉まりかけるので、
19時半近くにJICAチームは失礼する。
(ここまで6時間……)

今日二度目のレストランで、
赤貝ならぬ黒貝のセビーチェ。
身は赤貝に似ているが血液が真っ黒という貝。
黒い血液に漬けたまま、刻み野菜と共に供される。
質の良いものは絶品。
残念ながら、今日のものは今一つであったが。

ドライバー二人と日本語ペラペラのSさんの三人での食事。
食事中も仕事の話をするのは悪い癖なのかもしれないが、
Sさんを通訳に、ドライバーさんからも、今日の感想を聞く。

「マネジメントが悪い」
「同じコスタリカ人として恥ずかしい」
「無駄な時間が多すぎる」
等々。

待つことにも、
待たせることにも、
抵抗感がないのがコスタリカ人とか。
うーん……。

食事を済ませ、
ドライバーの二人はホテルで休ませることとして、
Sさんと、再度、仕込み中の会場へ。

ダラダラと、という感じに変わりはないが、
それでも、少しずつだが準備は進む。
「夜も遅くなったから終わりにしようよ」との声もあり、
山も超えたと思われたこともあって、
23時を過ぎてホテルへ引き上げる。
2時間で出来るところに10時間、か……。

このことから何を学べばよいのか。
その上で、JICAの専門家としてはどう動けばよいのか。


                           (10月24日アップ)

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